不死大乱戦
その異変に気付いたのは、ヒロユキとニーナだけではなかった。馬車の荷台に乗っていたはずのガイとチャムもまた、弾かれたように立ち上がる。そして二人とも馬車を飛び降り、廃墟の中に飛び込んで来た。
ガイが叫ぶ。
「ヒロユキ! あの赤い点は……さっきの女と同じやつらか?!」
「ええ、ヴァンパイアですよ……何て数だ……」
ヒロユキは呆然とした表情で呟き、ニーナの手を握る。そう、赤い点の数はどんどん増えているのだ。かすかに人の形も見える。彼らは街道に近い離れた場所に集結し、何かを待っているようだ。
ガイの横にチャムもやって来た。尻尾が異常に太くなっている。喉からは唸り声。額には汗がにじんでいる。さすがのチャムも、脅威を感じているのだ。しかし、それも当然だろう。あれだけの数のヴァンパイアが相手では……しかも、チャムは奴らの怖さを肌身で知っているのだ。一方、ニーナは震えながら、ヒロユキの腕を掴んでいる。
「ヒロユキ……お前はニーナとチャムを連れて地下室に行け。ギンジさんにこのことを伝えろ。あとは……カツミさんに上がってくるように頼んでくれ。オレ一人じゃ厳しいな……」
ガイの乾いた声。明らかに普段とは違っている。どうやら、その動物的な勘により、赤い点の持ち主たちの強さを理解したようだ。そしてガイはナイフを抜き、廃墟の壁に背中を密着させて外の様子をうかがう。
「わかりました。ヴァンパイアは……首を切り落とせば動かなくなるはずです。首を叩き斬るか、心臓に杭を打ち込むかすれば、殺せるはずですから……すぐにカツミさんたちを連れて来ますよ!」
ヒロユキはそう言うと、ニーナとチャムの手を引いて地下室に降りようとした。しかし、チャムはその手を振りほどき、ガイのそばに来る。そして――
「なー! チャムは降りないにゃ! チャムはガイと一緒に戦うにゃ! 奴らをぶっ殺してやるにゃ!」
チャムのその言葉を聞いたとたん、ガイは目を剥いて睨みつける。
「チャム! 言うことが聞けねえのか! てめえは下に行って――」
「イヤだにゃ! チャムも戦うにゃ! ガイと一緒に奴らと戦うにゃ!」
チャムの顔からは、不退転の決意がうかがえる。恐怖を感じながらも、退かずに戦おうという固い決意があった。さらに、ヴァンパイアへの強い憎しみも伝わってくる。もしかして、過去にヴァンパイアと何かあったのだろうか……そんなチャムの顔を目の当たりにして、ガイの表情にも変化が生じる。怯むような表情に……ガイは怯みながらも、さらに怒鳴りつけようとしたが、ヒロユキが二人の間に割って入る。
「ガイさん……怒鳴り合ってる場合じゃありません。一人よりは……二人です。悔しいけど、チャムはぼくより強い。それとニーナ……君は魔法が使えるよね。戦えるかい?」
ニーナは一瞬、ためらうような仕草を見せる。だが顔を上げ、コクリとうなずいた。
「じゃあ、ここで待ってて……全員でヴァンパイアと戦うんだ。ぼくは下に行って、みんなを連れて来る。ただし、魔法を使うのは……君の身に危険が迫った時だけにするんだ。これからは……人のために魔法を使わなくていいんだよ。自分のためだけに使うんだ。自分が生き延びるためだけに……」
そして、ほぼ全員が廃墟に集まり、ヴァンパイアの出方をうかがっていた。もっとも、ジムとミリアはギンジの意見により、地下室に残っていたのだが。
「ヒロユキ……奴らは何をやってるんだ?」
ギンジはヴァンパイアたちの動きを見ながら、低い声で尋ねる。彼は地下室のテーブルの足を削った杭、そして拳銃を持っていた。どうやら拳銃をハンマー代わりに使い、ヴァンパイアに杭を打ち込むつもりのようだ。
「わかりません……奴らが何を考えているのか……」
ヒロユキには、ヴァンパイアたちの動きが理解できなかった。奴らは人間の血を求めているのではなかったのか。ここには六人の人間と一人のニャントロ人がいる。つまりは、獲物が七体いることになるのだ。しかし、今のところ奴らは襲ってくる気配がない。こちらの様子をうかがっているように見えるが、同時に何かを待っているかのようにも見える。
「なあギンジさん……いっそのこと、こっちから仕掛けようぜ。オレとカツミさんで突っ込む――」
「まあ待て。オレも考えている。奴らがただ集まっているだけなら、放っておけばいい。戦いにならなければ、それに越したことはないからな」
ギンジの落ち着いた声。しかし、ガイの表情が変わる。
「何言ってんだよ! 奴らどんどん増えてんじゃねえか! 奴らがこれ以上増えたら、オレたちは勝てねえぞ――」
「いざとなれば、地下室に籠城する。入り口は人一人が通るのがやっとの大きさだぜ。数が多くても何とか守りきれるだろう。しかも朝になり日が出てくれば、奴らは退散する。いや、日が出る前に退散せざるを得ない……そうだろうヒロユキ?」
「ええ、そうです……」
言いながら、ヒロユキは驚いていた。ギンジはこの場の状況を冷静に分析し、既に打開策を考えていたのだ。
ならば、なぜ……。
「ギンジさん、だったらなぜ上に出て来たんです? 初めから、ずっと地下室にいれば――」
「少々危険でも、奴らの力がどんなものか、この目で見て、そして肌で感じておく必要があるからな……この世界の怪物ってのがどんなものなのか。オレだけじゃねえ。ガイ、カツミ、タカシ……この世界に関する知識のないオレたちには、またとない観察の機会だよ。特に、実際に戦わなくちゃならないガイとカツミにはな……みんな、良く見ておけよ」
「にしても、不気味な連中ですなあ。あんなのとは、できればやり合いたくないですね」
呑気な声を出すタカシ。タカシだけは全く恐れる様子を見せていない。楽しそうにヘラヘラ笑いながら、蠢くヴァンパイアたちを見ている。ガイやカツミですら、わずかながら怯む様子を見せているのに……。
そこで初めて、ヒロユキは異常に気づいた。いや、異常というよりは……恐ろしいまでの違和感だ。ゴブリン、ダイアウルフ、コボルド、オーガー……今まで遭遇した怪物たちは皆、まがりなりにも生物だったのだ。血の通った生物としての動きや反応があった。
しかし奴らは違う。上手く言えないのだが……生物らしさがまるでない。現実の不死者がどんなものなのか、ようやくヒロユキにも理解できた。彼の人間……いや、生物としての勘が告げている。こいつらは敵だ、と。ある意味、生者すべての敵かもしれない。
しかし……。
「ギンジさん、どうするよ……マジな話、今だったらオレとガイが突っ込めば全滅できると思うが……ところでヒロユキ、確認なんだが、奴らに銃は効かないんだな?」
「ええ……でも、首を叩き斬れば死ぬはずです」
カツミに聞かれ、ヒロユキは答えた。カツミの顔にもわずかながら焦りが見える。普段は殺人マシーンのような戦いぶりを見せるカツミだが、不死者というのは勝手が違うらしい。
「カツミ……待つんだ。奴らが動かないのは何か理由がある。いざとなれば籠城だ。ただし――」
ギンジは言葉を止めた。ヴァンパイアの群れが一斉に動いたのだ。ゆっくりとではあるが、こちらに近づいて来る。赤い光を放つ目の者たちの口からは牙が伸びている。
「ギンジさん、奴ら来るみたいだぜ……戦うか? それとも――」
「戦おう。ガイ、カツミ、頼んだぜ。オレとタカシは援護に回る。チャムとヒロユキとニーナ……お前らはここで身を守れ。いざとなったら、オレたちに構わず逃げろ。ただし、地下室には行くなよ。いいな」
「え? 何で地下に?」
聞き返すヒロユキ。だが、ギンジはその問いに答えず立ち上がった。そしてタカシのそばに歩いていく。すると――
「さてと……じゃあ戦うとしますか! まあ、負けても殺されるわけじゃないですからね。最悪、ヴァンパイアになるだけです。みんな仲良くヴァンパイアってのも、案外オツなものかもしれませんね!」
ひとかけらも空気を読まない発言と同時に、タカシも立ち上がった。そしてヘラヘラ笑いながら、素手でヴァンパイアの方に歩いて行こうとする。だが、カツミに腕を掴まれて引き戻された。
「てめえは何考えてんだ……せめて武器くらい持ってけ」
そう言うと、タカシに鉈のような大きさのハンティングナイフを手渡す。
そして右手でバトルアックス、左手で日本刀を構えたカツミは、ガイと目を合わせた。
ガイがうなずき、立ち上がると同時にナイフを構える。
次の瞬間、二人は無言のまま、ヴァンパイアめがけ突進した。
カツミは凄まじい戦いぶりを見せる。群れに突進すると、バトルアックスで手近なヴァンパイアの首をはね飛ばした。
そしてバトルアックスを右手で振り回しヴァンパイアたちを牽制しながら、同時に左手の刀で止めを刺していく。ピンポイントで首を狙い、左手の刀を振るっていった。カツミの刀により、次々と首を落とされていくヴァンパイア……そして首を切り落とされ、地面に倒れると同時に灰と化していく。
だが、カツミはそんなものを見ていなかった。彼は自分から間合いを詰めていき、さらにヴァンパイアたちを狩り殺していく……。
だが、ヴァンパイアたちもやられっぱなしではいない。カツミの人間離れした腕力と、そこから発生する恐るべき攻撃力とを理解して、すぐに対応した。次の瞬間、ヴァンパイアたちは一斉に動き、バトルアックスの間合いの外に出る。と同時に周囲を取り囲み、数に物を言わせてじわじわと攻める作戦に出た。
しかし、カツミは慌てる様子もなく、ゆっくりと周りを見渡す。その顔からは、廃墟にいた時のような焦りや怯えが消えている。能面のように表情の消え去った顔で、彼は両手の武器を構えた。
ガイは素早い動きで牽制する。ヴァンパイアの群れの中を駆け回り、走り抜けざまに一匹ずつ、ナイフでダメージを与えていく。だが、首を斬り落とさない限り致命傷ではない。ヴァンパイアの傷は即座に回復するのだ。ガイの素早い動きには対応できないものの、彼らを殺すことはできていない。
しかし、戦いにおけるガイの判断は早い。わずかな切り傷ではすぐに再生すると見るや、即座に戦法を変えた。右手のナイフを首に突き刺す。さらに一秒にも満たない間に、小刻みに何度もナイフでえぐり、傷口を広げていく……その直後に左手で相手の頭を掴み、同時に前蹴りで吹っ飛ばす――
相手の頭はちぎれ、体だけが吹っ飛んで行く。
そして灰と化す、ヴァンパイアの体……。
「こいつら……体は意外と脆いな……」
一方、ギンジとタカシは廃墟を上手く利用し、巧みに攻撃をかわしつつ、確実にヴァンパイアたちの戦力を削いでいった。いつの間にかチャムも加わり、三人の連携プレイが出来上がっていたのだ。タカシがハンティングナイフを振り回して注意を引き、後ろから力の強いチャムが羽交い締めにし、ギンジが杭を打ち込んで止めを刺す……三人の連携プレイは完璧なものだった。もっとも、ヴァンパイアの大半はガイとカツミに気を取られていたため、廃墟に来るのはわずかであったが。
そしてヒロユキはニーナの手を引きながら、棒きれを構えていた。しかし、二人のそばに来るヴァンパイアはいない。タカシが奇怪な叫び声を上げながらハンティングナイフを振り回して、注意を引き付けているせいであったが……ヒロユキは怖かった。怖くて、その場から逃げ出したかったが……彼は必死で恐怖に耐え、ニーナの手を握りしめていた。
だが突然、ヒロユキとニーナの前に、一匹のヴァンパイアが現れた。ヴァンパイアは二人を見てニヤリと笑う。笑った口元から、鋭く尖った牙が覗く。
ヒロユキは必死で辺りを見渡した。だが、一番近い場所にいるギンジたちも、ヴァンパイアたちと死闘を演じている。こちらに駆けつける余裕はない。
なら、自分で戦うしかないのだ。
ヒロユキは棒を握りしめて立ち上がった。だが、足がガタガタ震える。暗闇の中、立ちはだかるヴァンパイアは恐ろしく巨大な存在に見えた。そして、不気味に赤く光る目が、ヒロユキの恐怖に拍車をかける……逃げたかった。今すぐ、恥も外聞もなく逃げ出したい衝動に駆られる。そして彼は、その恐怖に抵抗する術を知らなかった。
そうだよ……。
ぼくは弱い……逃げたって、文句は言われない。
ギンジさんだって、逃げろって言ってた……。
ぼくの仕事は戦うことじゃない。だから逃げる。
ぼくは悪くない。
悪くないんだ……。
ヒロユキの心の中は、逃げることを正当化する理由で満たされていった。彼は後ろを向き、我を忘れて走りだそうとしたが――
いつの間にか、ニーナが床にへたりこんでいた。腰を抜かしてしまったのか、尻を床に着け、両手で上体を支えている。瞳は恐怖で見開かれ、体はまるで痙攣しているように震えていた……。
そしてヴァンパイアの赤い瞳は、ヒロユキを見ていなかった。床の上のニーナを真っ直ぐ見ていた。




