青年大懇願
「てめえは何を言ってるんだ? 彼女って誰だ?」
「もしかして、地下室で寝てるヴァンパイアのことですか? 」
ガイとヒロユキは、ほぼ同時に言葉を発した。だが、男はヒロユキの言葉に素早く反応する。
「そ、そうです! 彼女は……ミリアは人の血なんか吸わないんです! ミリアを見逃してください! お願いです! 何でもしますから!」
男は額を地面にすり付け、懇願する。ヒロユキは男が何を言っているのか理解しようとした。まず、この男は地下にいるヴァンパイアの知り合いらしい。見逃してくれ、と言った。彼女は人の血は吸わない、とも……。
「すみません……地下室まで来てください。彼女は無事です」
地下に降りたヒロユキたちは、男から話を聞いた。その結果、わかったことは……。
男の名はジムといい、この近くのトランス村に住んでいる。村といっても、ホンチョー村とは違い規模は大きく、住人も多い。城塞都市ガーレンとの交流も盛んで、行商人が行ったり来たりしている。
ところが、いつ頃からかははっきりしないが、村にヴァンパイアが入り込んだのだ。
ヴァンパイアは密かに村人を餌食にし、徐々に仲間を増やし、村を侵食していった……だが、村長のモリソンが異変に気付く。まだ若く、勇敢なモリソンは村人を率いて、ヴァンパイアを次々に狩り始めた。さらに、流れ者のヴァンパイアハンターを雇い、村のヴァンパイア撲滅に乗り出したのである。村人たちは、次々とヴァンパイアを狩り殺していったが……。
ある日、ジムの恋人であるミリアがヴァンパイアに噛まれた時……。
ジムは気のいい農民の青年だった。人を押し退けたり蹴落としたりすることを嫌い、穏やかな生活を好む物静かな性格の持ち主である。ヴァンパイアの討伐など、やりたくはなかったのだ。しかしモリソンの命令で仕方なく討伐隊に加わり、ヴァンパイアの胸に杭を打ち込んでいた。
だが、恋人のミリアがヴァンパイアになったことを知った時、ジムはミリアの胸に杭を打った……ふりをして、この廃墟に隠したのだ。
「なるほど……だがな、そこの顔色の悪い美女はヴァンパイアなんだろ? なのに、人の血を吸わないってのはおかしくないか?」
とギンジが尋ねると、ジムは持ってきた皮袋を見せる。
「この中には、ぼくが集めてきた動物の……豚や牛や鶏なんかの血が入っています。ヴァンパイアは本来、人間の血なんか吸わなくても……他の動物の血さえ吸えれば、生きてはいけるんですよ。だから、ぼくは……動物の血を持ってきてあげてるんです。ミリアのために……」
「なるほど、そういうことか……しかし……」
ジムの言葉を聞き、ギンジは思案げな表情になる。何か思うところがあるようだ。そしてカツミは黙ったまま、タカシはヘラヘラ笑いながら、ギンジの次の言葉を待っている。
一方ガイは、眠っているミリアを睨みつけ威嚇するかのような動きをしているチャムを、必死でなだめている。ニャントロ人たちにとっても、ヴァンパイアは忌むべき存在なのだろう。チャムは恐れと憎しみとを同時に感じているようだ。
そしてヒロユキは……複雑な表情で、ジムとミリアを眺めていた。ジムは気の弱そうな青年である。優しそうな青年でもある。そんなジムが村長に逆らい、ミリアを匿っているのだ。
ヒロユキは隣にいるニーナの顔を見る。松明の明かりだけでは、よくは見えない。しかし、ニーナの顔は曇っているように見える。やはり、ニーナも何か思うところがあるのだろう。ヒロユキは頭の片隅から、ヴァンパイアに関するゲームの断片的な記憶を引き出してみた。確か、ヴァンパイアは人間を餌としてしかみていなかったはず。なのに、ミリアはジムを襲っていないのだ。となると……。
「ジムさん……ヴァンパイアと人間の共存は可能なんですか?」
気がつくと、ヒロユキはそんなことを言っていた。ジムが振り向き、答えようとしたその時――
「ミリアさんが起きたみたいですよ」
タカシの声。と同時に、皆の目が一斉にミリアに向いた。
ミリアは起き上がろうとして、手錠を掛けられていることに気づく。さらに、見知らぬ者たちに囲まれていることにも。その瞬間、ミリアの表情が一変する。目から不気味な赤い光を放ち、口からは鋭い牙が一気に伸びる。さらに、指からは鉤爪が――
「ジム! あなた裏切ったのね!」
ミリアはわめきながら、何とか立ち上がろうとするが、右手首と左足首が手錠で繋がれているため、上手く立ち上がることができない。すると今度は、チャムの表情が変わる。赤毛を逆立て、尻尾が倍以上の太さに膨れ上がっている。チャムはミリアに飛びかかろうとしたが、ガイに羽交い締めにされる。
「なー! ガイ! 離すにゃ! こいつはニャンゲン人もニャントロ人もみんな襲う、とっても悪い奴だにゃ! チャムがぶっ殺してやるにゃ!」
チャムはガイに羽交い締めにされながらも、凄まじい形相でもがき、わめきちらす……ミリアもそれに呼応し、野獣のような声をあげる。地下室の中でこだまする、吸血鬼と獣人の咆哮――
「てめえら! うるせえ! ガイ! お前チャムを連れて馬車に行け!」
ついにカツミがキレ、怒鳴り付ける。ガイはチャムを抱き寄せ、小声でなだめすかし、頭をなでながら梯子まで誘う。チャムは怒りを露にしながらも、ガイの言うことに従い、梯子を昇って行った。ヒロユキはこんな状況であるにも関わらず、ガイとチャムの仲の良さを改めて確認し、思わず笑みを浮かべてしまう。一方、ミリアにはジムが近づき、耳元で何やら囁いている。こちらも、少しずつ落ち着いてきているようだ。
その時、黙り込んでいたギンジが口を開く。
「ミリア……お前、ヴァンパイアなんだってな。オレたちは今のところ、お前と争う気はない。ただ……少し話を聞きたいんだ」
ミリアは黙ったまま、ギンジを睨む。だが目の赤い光が消え、伸びたはずの牙が引っ込み、鉤爪も収まった。すると、それを見ていたジムがおずおずと口を開く。
「すみません……これを外していただけないでしょうか……」
そう言って、ミリアに付けられた手錠を指差す。だが、ギンジは首を横に振った。
「すまんが……外すのはもう少し先だ。それよりも、お前たち二人に聞きたいことがある。ヴァンパイアは魔法に詳しいのか?」
ギンジの問いに、今度はジムが首を横に振る。
「ヴァンパイアと言っても……ミリアは、元はただの農民の娘です。魔法なんか知らないです……」
「つまり、ヴァンパイアになっても人間の時の記憶は残っているんだな?」
「はい……」
ジムはうなずいた。その時、横で聞いていたヒロユキは一つ思い出す。確か、ヴァンパイアは仲間を呼ぶ能力を持っていた。となると、ミリアも仲間を呼べるはずだ。もしミリアが仲間を呼んだりしたら……ヒロユキは不安になった。だが、すぐに思い直す。そもそも、ミリアはジムとは上手くやっているのだ。こちらに敵対心がないとわかれば、仲間を呼んだりはしないだろう。仲間を呼んだら、ジムもまた、危険に晒されることになるのだ。
一方、ギンジは何やら考え込むような表情で、ミリアを上から下まで眺めている。端から見ると、エロ親父が若い女を値踏みしているかのような姿だ。だが、ギンジの表情は極めて真剣である。何か、引っ掛かるものを感じているようだ。ヒロユキは、ギンジが何を気にしているのだろうかと思った。ただ、ギンジは下手なことを口にしない男である。ヒロユキが尋ねても、おいそれとは答えないだろう。
やがて、ギンジはため息をついた。そしてカツミの方を向く。
「カツミ、すまないが手錠の鍵をジムに渡してやってくれ。ジム、お前が手錠を外せ」
ジムが不器用な手つきで手錠を外そうと四苦八苦している間、ギンジは黙り込んだままだった。カツミは抜き身の日本刀を片手に、ミリアから……いや、ミリアとジムから目を離さずにいる。何か妙な動きをしたら、すぐに斬りかかれる態勢だ。タカシはヘラヘラ笑いながら、ジムの不器用さを楽しそうに眺めている。
そしてヒロユキはニーナの手を握り、ジムとミリアの様子を見ていた。しかし突然、ニーナが手を引っ張る。ヒロユキがそちらを見ると、ニーナは上を指差し、さらに軽く手を引く。どうやら、上に行こうと言いたいらしい。
「あの、ギンジさん……ニーナが上に行きたいみたいなんで、ぼくたちは上にいます」
ヒロユキがそう言うと、ギンジは黙ったまま右手を上げた。ヒロユキは先に梯子を上がる。外は夜になっていた。既に日が沈み、月が出ている。ヒロユキは廃墟から出て、辺りを見渡した。広がる草原と、まばらに生えている木。すぐ近くに止まっている馬車。馬車の荷台にはガイとチャムが並んで座り、何やら小声で話している。ヒロユキは、チャムが付いて来ると言った時にカツミと一緒に反対したことを思い出した。なのに、チャムはそのことを根に持たず、自分と普通に接してくれる。もっともチャムは、カツミのことは好きではないようだが。
そして三十メートルほど向こうには街道が見える。城塞都市ガーレンに通じていて、先ほど通っていた道だ。そう言えば、ジムはトランス村から来たと言っていた。トランス村はここから近いのだろうか。ざっと見たところ、付近に村らしきものはない。となると、かなり遠くから来たのだろうか……しかし、馬は見当たらない。徒歩でここまで来たのか。
そこまで考えた時、ヒロユキは腕を引っ張られた。ニーナは何を思ったか、ヒロユキの腕を引っ張り、馬車から離れようとしているのだ。
「ちょっとニーナ、どうしたの?」
ヒロユキが尋ねると、ニーナは馬車を指差した。彼は馬車を見る。すると、いつの間にか荷台の上で、ガイとチャムがぴったりと寄り添って座っていた。ガイはチャムの肩に手を回し、チャムはガイの肩に頭を乗せている。囁く声が断片的に聞こえてきた。だが、ヒロユキはその会話を聞いてはいけない気がした。理由は考えるまでもない。
「そういうことか……わかった。二人きりにさせておいてあげようか。でも、あまり離れるのは危険だ。廃墟の中に戻ろう」
二人は廃墟の中で座り込む。廃墟の屋根は半分以上が崩れており、星明かりや月明かりが射し込んできている。ふと、手を握ったままであることに気づき、ヒロユキは手を引っ込めようとした。だがその時、ニーナの手に布が巻かれているのが見えた。自分が白魔術師を殺そうとした時、それを止めるために負った傷だ……。
ヒロユキはニーナの顔をに視線を移した。微笑んでいる。微笑みながら、彼女は月を見上げていた。喉に付けられた、細い傷痕が見える。いつ付けられたものかは知らない。だが、恐らく生涯消えることのない傷痕……いや、烙印だ。そしてこの烙印は、彼女から声も奪ったのだ。
永遠に。
ヒロユキはたまらない気持ちになった。ニーナの手を、両手で握り締める。彼女の布の巻かれている手を握り――
「ニーナ、ぼくたちと一緒に行こう。ぼくたちの世界……いや、ぼくたちの国に。楽しい所だよ。美味しいお菓子があるんだ。いっぱい食べさせてあげる。そして、もっと綺麗な服を買ってあげるよ。人形も、装飾品も、君の欲しい物は何でも手に入れる……君には……それくらいの権利はある……あるはずだ……でなきゃ、不公平すぎる……」
ヒロユキは言葉を続けられなくなった。涙をこらえ、唇を噛み締める。彼は自分が今まで、どれだけ恵まれた環境にいたのかを悟った。同時に、中世ヨーロッパ風の異世界がどれだけ残酷な場所であるのかも……自分の今いるこの世界はあまりにも残酷だ。この世界には神はいない。少なくとも、ラノベに登場するような間抜けな神は。あるいは人間の残酷さに絶望して、自殺したのかもしれない……。
その時、ニーナの手が伸びてきた。ヒロユキの頭を撫でる。ヒロユキは黙って、されるがままになっていた。押し殺していた感情が溢れ出してしまいそうだ。しかし、不意にその手が止まった。次の瞬間、ニーナは弾かれたように立ち上がる。そして遠くに視線を向け、同時に指を差す。ニーナの様子にただならぬものを感じたヒロユキは、すぐさま立ち上がり、ニーナの視線と指先の示す場所を見た。すると――
遠くの方に、赤い小さな点のようなものが見えるのだ。それも一つではない。十を優に超える数の、二つで一組になっている赤い点だ……それが怪しく動きながら、真っ直ぐこちらへ向かって来ているのだ。
「あれは何だ……まさか、ヴァンパイアか?」
ヒロユキは呆然とした顔で呟いた。




