平田銀士《ヒラタ ギンジ》
ルポライターの天田士郎は今、困惑していた。
「平田銀士……お前は一体、何者なんだ……」
士郎は一人、自宅で呟いていた。目の前にはテーブルがあり、雑誌やボイスレコーダー、メモ帳などが無造作に置かれている。
ここ最近、士郎はずっと調べ続けていた。金山裕之から聞いた話の真偽を確認するために……その結果、不動凱、花田克美、黒沢貴史の三人に関しては片付いた。簡単ではなかったが……あちこち飛び回り、金をバラ撒き、なだめすかし、時には暴力を振るい、この三人のことを徹底的に調べ上げたのだ。結果、信じがたい話を多数聞けた。
しかし、最後に残った平田銀士のことだけは……わからない。いや、生い立ちや噂話程度のものなら幾つか聞いた。だが……他の三人とは微妙に異なる。少なくとも、異常な能力の持ち主だとか、そういった逸話は全くないのだ。裕之の話から察するに、裏社会でもかなりの大物……なはずなのだが。大物の情報というものは、放っておいても耳に入ってくるものだ。しかし、平田銀士だけは……。
士郎は仕方なく、今あるだけの情報をまとめてみることにした。
彼はまず、かつての仲間から聞いた話を思い返してみる。
・・・
都内で私立探偵をしている夏目正義は古くからの友人に呼び出され、田舎にある別荘に来ていた……見ず知らずの他人の持ち物だが。十年ほど前に彼は仲間を連れ、この別荘に無断で入り込んでいたのだ。身代金目的の誘拐のために……結局、誘拐は失敗したが。
その誘拐計画に、天田士郎も参加していた。
「久しぶりだな、士郎。元気だったか」
正義の士郎を見る目は暖かい。だが彼は知っているのだ……士郎がどんな人間かを。
それと同時に、正義と士郎は因縁浅からぬ仲でもある。誘拐計画の時には、士郎の持つ戦いの技術のおかげで窮地を免れたのだ。その誘拐計画は、想定外の事態が次々と勃発し、ロシアンマフィアを敵に廻す羽目になった……だが、士郎の活躍と得体の知れない超常現象が起きたおかげで、無事に逃れられたのだ。
「あれから、もう十年経つんですね……」
士郎はしみじみとした口調で、呟くように言った。彼は基本的にはドライな快楽殺人者である……しかし、限られた者たちの前では感傷的になることもあるのだ。目の前にいる正義は、その限られた者の一人だった。
「ところで、お前の言ってた平田銀士だがな……噂話が多いな。あと、これが若い頃の写真だ。見ろよ……二十歳くらいなのに、髪の毛が真っ白だ」
正義は写真を見せる。写真には真っ白な髪の、不気味な目をした青年が写っていた。青年は自信に満ちた表情をしている。若い頃にありがちな、根拠のない自信ではなさそうだ。その自信の源となるものは何なのか……と士郎が考えていると、正義が口を開いた。
「この男は、何ていうか……凡人なんだが天才でもある……努力型の天才だな、こいつは」
そして語り始めた。平田銀士という男を……。
平田銀士は、ごく普通の中流家庭に生まれた。そして小学生の頃から勉強とスポーツ、その両方において……あくまで普通の人よりはいい、という程度の成績を修めた。彼はIQが二百ある天才ではなかったし、また地下格闘技のチャンピオンなわけでもない。普通よりも少し上という評価の平凡な男だったのだ。
銀士の人生は平凡ではあるが、順調に進んでいた。地元の中学校を卒業後、都立の高校に進学する。しかし――
十六歳の時、銀士は車の事故に遭う。家族の乗っていた車が土砂崩れに巻き込まれる。一家は生き埋めとなるが――
銀士だけが、生き延びたのだ。
そして車の中から助け出された時、銀士の髪は真っ白になっていた。
その後、銀士は別人のようになってしまった。暇な時間を全て、肉体を鍛えることと知識を蓄えることに費やすようになったのだ。そして高校を卒業すると同時に、地元の小さなヤクザ組織『沢田組』の組員となる。
組員になった後の銀士の活躍は目覚ましいものがあった。あっという間に組のナンバー2にまでのし上がる。
だが、銀士はそこで満足しなかった。組員を全員引き抜き、『沢田組』を解散させてしまう。組長の沢田は解散の直前、行方不明になっていた……銀士に消されたのだろう、というのが大方の予想だが。
そして、平田銀士は裏社会から消えた……かに見えた。だが、実のところは裏社会で活動していたのだ。表向きは、普通のビジネスマンとして生きていた……だが、わずかな人間を影から操り、時には自分の手を汚し、裏社会の実力者として君臨するまでになったのだ。
しかし――
「よくは知らんが……平田銀士はその後、二十億の金をかき集めて行方をくらましたらしい。今も平田を探してる奴らがいるって噂を聞いたぜ」
正義はここまで話すと、いったん言葉を止めた。
「そうですか……他に何か聞いてないですか? 銀士の武勇伝とか、逸話なんかを……前に調べてもらった、花田克美や黒沢貴史みたいな話はないんですか?」
「その二人とは、まるで違うんだよな……普通の人間なんだよ、平田は」
「普通?」
「そう……いろんな人から聞いたが、基本は普通の人間だよ。ただ、頭はキレる上に度胸がある。しかも、荒事に関しても誰よりも上手かったらしい。沢田組の組員になった直後……いきなり建築用の重機を盗んでATMをブッ壊し、金を奪って逃げたらしい。その後も、他の組が仕切ってる賭場を襲ったり、戸籍のないガキ共を大量に引き取っては……売ってたって話も聞いた」
「売ってた?」
「ああ。子供には需要が多い。性奴隷にする、内臓や眼球を抜き取る、果ては殺人マシーンに育てたり……子供を扱えば、金にはなるらしい。だがな、ヤクザの間でも尊敬はされない仕事だよ、子供を売るのは。平田の場合は、儲けた金をバラ撒いて味方を増やしていたらしいが」
「……」
士郎は思わず口をつぐんだ。そして考える。裕之から聞いた話とは、まるで印象が違っているのだ。裕之は言っていた……銀士さんは凄い人だと。いや、違わない部分もある。頭はキレる上に度胸があり腕も立つ……その部分は同じだ。しかし、子供を売るような真似をするとは……。
「しかも、それだけじゃねえんだ。この平田は……利用できるものを全て利用してのし上がってきた。金は相当貯め込んでたって話だよ。にも関わらず、一切贅沢はしなかったらしい。暇になると体鍛えたり本読んだり……そんなことばかりしてたらしい」
「正義さん、銀士は……消える直前に何をやってたんです?」
「何か……政治家を巻き込んでの大勝負をやるって言ってたらしい。そのために二十億集めてたらしいんだが、その二十億を失い、そして追われる羽目になった……かと思ったら、いきなり消息が途絶えたらしいんだ。おかしいのは、平田の部下だった連中も皆消えちまったってことだよ」
・・・
士郎はボイスレコーダーを止めた。金山裕之から聞いた平田銀士の姿、そして夏目正義が調べあげた平田銀士の姿……あまりにも違い過ぎるのだ。共通する部分はある。しかし……疲労困憊し泣き出した裕之を慰める銀士、その一方で沢田組長を殺害し組を乗っ取った銀士。
裕之をある時は優しく、ある時は厳しく導いていく銀士……その一方で、戸籍のない子供を大量に引き取り、そして売り捌く銀士。その子供たちが性奴隷と化したり、内臓を抜き取られたりするのを承知の上で。
矛盾している。
だが、その矛盾こそが、銀士の怪物たる由縁なのではないか。普通の人間には考えられないほどの振り幅……どんな人間にも、善の部分と悪の部分がある。家庭では良き夫であると同時に良き父親であるが、職場ではパワハラを行い部下を自殺に追い込む部長。逆に家庭ではDV夫でありながら、子供たちに人の進むべき道を説く教師であったり……。
裏の顔は誰にもある。
ただ、銀士の場合はスケールが大きすぎるのだ。もしや銀士は、世が世なら英雄となっていた男なのかもしれないと士郎は思った。士郎のような凡人――とは言えないかもしれないが、それでも人としてのスケールは銀士とは比べ物にならないだろう――には到底、計り知れないであろう大きさの人間。
かつて二人の盲人が、象に触れた。一人は象の鼻に触れ、象は蛇のようだと言った。もう一人は象の腹に触れ、象は壁のようだと言った。
もしかすると、裕之の見ていた銀士も、正義の聞いた銀士も、全ては平田銀士という人間の一部でしかないのかもしれない。
そして、もう一つわかったことがある。
不動凱、花田克美、黒沢貴史……この三人は、ある日突然に予期せぬ出来事が起きた――もっとも、克美の場合はケースが異なるが――。そして、異常な能力が目覚めたのだ。そう、なりたくてなった訳ではないのである。ならざるを得なくて、異能力者になった者たちなのだ。
しかし銀士は、異常な能力に目覚めなかった。車の中で生き埋めにされ、目の前で家族が死んでいった。そして本人も、髪が真っ白になるほどの恐怖を味わい、奇跡的に助け出されたのだ。にも関わらず、凱のような力が目覚めたわけではなかった。
だが……その日を境に銀士は変わったのだ。彼には強固な意志が芽生えた。そう、他の三人と銀士を分ける決定的に違う点……それは意志だ。
他の三人は流されるように生きてきた。仕方がないと言えば仕方がないのだが……しかし、銀士は違う。銀士は自らの意志で、空いた時間の全てを、自分の能力を高めることにのみ費やしてきた。そして自らの意志でヤクザになった。その後も、自らの意志の力を発揮してのし上がっていった……。
そう言えば、ヤクザになった時、銀士はこんなことを言っていたらしい。
「何でヤクザになったかですって? 普通の人間なら一年かかって、やっとたどり着く地点に、ヤクザなら一日でたどり着くことができるからです」
異能力者の一人、花田克美もヤクザだった。しかも克美は、敵対するヤクザや外国人マフィアといった組織に単身乗り込み、幾つも潰している。だが、克美は言わば戦闘マシーンだ。研究所で徹底的に叩き込まれたことを、命令のままに実行していたに過ぎない。もちろん、克美は恐怖を感じていたのかもしれないが……それでも、命令されたことを確実にこなしていったのだ。そこに克美の意志はない。
しかし銀士は違う。銀士は克美とは比べ物にならないくらい弱い。にも関わらず銀士は自らヤクザとなり、率先して荒事をこなしていき、裏の世界の大物に――
だからこそ、銀士は他の三人に一目置かれたのではないか。異常な能力ではない、誰もが持っている普通の能力を不断の努力で高め、そして普通の人間なら誰もが避けて通るはずの修羅場を自らの意志でくぐり抜けて見せたのだ。もちろん、そこには運の良さもあったろう。また銀士自身、ある種の才能があったという点も否めないが。
いずれにせよ、銀士は自らの意志で修羅の道を歩き、結果として身につけたもの……それは天から与えられた異常な能力とは全く異質のものだ。裕之が銀士を語る時の表情は……純粋な尊敬と憧れの思いに満ちていた。他の三人について語る時とは違う種類のものだった。そう、銀士は魅力的な人間なのだろう。使い古された言葉であえて言うなら、カリスマと呼ばれる者だ。
そして、この話を調べれば調べるほど、運命というものの不思議さについて考えざるを得ない。平田銀士は二十億という金を失い、半ば逃げるようにしてバスに乗った。不動凱は強盗をした後に警察に追われたが、雨に紛れてバスに乗り込んだ。花田克美は鉄砲玉として中国マフィアの事務所に乗り込むはずだったが、タクシーが捕まらない上に雨が降り、仕方なくバスに乗った。黒沢貴史も同じく、タクシーが捕まらない上に雨が降ってきたために――
そして金山裕之も、雨が降ってきたがゆえにバスに乗った。普通なら自転車を使う道を……彼らのうち、誰が欠けても異世界で生き延びることはできなかっただろう。
だが、その結果……。
士郎は苦笑し頭を振る。ここから先は、自分の手には負えない話だ。自分は彼らの人生に、充分すぎるくらい踏み込んだ。もはや彼らは、自分のような人間には手の届かない場所にいるのだ……。
その時、ケータイが震えだした。
「ん? どうしたんだい鈴……わかった。今から行くよ。何か欲しい物はあるかい?」




