世界大変化
まず初めに、彼らの目に映る世界が崩壊した。
次に、彼らは意識を失い――
そして着いた所は、中世ヨーロッパ風異世界……の様にも見える地獄。
人間など比較にならない力を持つ者たちが蠢く世界である。
並みの人間なら、それも日本で育った者ならば、チート能力でも授からない限り三日と持たなかったであろう。いや、三時間持つかどうかも怪しい。
しかし、彼らは全員、普通ではなかった。
そう、彼らも神の気まぐれが生み出した、ある種のモンスターだったのだ。
彼らは、怪物どもを相手に戦い抜き、そして――
この世界で、語り継がれる者となった。
彼の名は金山裕之。十六歳。高校を中退し、現在はニートである。
ヒロユキは、見た目パッとしない少年である。引っ込み思案で人見知りで小心者な上に意思薄弱な性格ゆえ、中学生の時はイジメの標的にされていた。
その結果、不登校になってしまう。
その後、どうにか高校に進学したものの、一度身に付いた不登校グセは抜けない。
そして、高校を一月も経たないうちに中退した。
以来、半年の間ずっと引き込もっている。
引き込もっている間、彼はファンタジー系のラノベを読み漁り、ファンタジー系のRPGをプレイし続けた。
そして、ヒロユキは夢想する。
いつか、異世界に転生することを。
そこでチート能力を授かり、世界を救う勇者になることを。
その日、ヒロユキはバスに乗り、駅に向かっていた……はずだった。
本来なら、自転車で行ける距離であったが、その日は雨が降っていたのだ。テレビのニュースによると、台風が接近中だという。
バスの中では、他に数人の乗客がいた……ことは覚えている。
そして、乗ってすぐに眠気を感じたのも、なんとなく覚えている。
しかし、それから先の記憶が、すっぽり抜けていた……。
「おい少年、起きろ」
男の声。
そして、誰かに揺さぶられる感覚。
あれ?
ぼくは、寝過ごしたのか……。
大変だ!
ヒロユキは慌てて飛び起きた。
しかし――
「おい少年……とんでもないことになってるぞ。外を見てみろ」
男に促され、ヒロユキは窓から外を見たが――
次の瞬間、固まった。
バスは、木の生い茂る場所に停まっている。
どう見ても、さっきまで見ていた都会の風景ではない。
そもそも、このバスの通るルートにこんな風景はないはずだ。
しかも――
外に生い茂る木は、見たこともない種類のものだ。
さらに遠くの方から、奇怪な生物らしきものの鳴き声が聞こえる。
これは、どういうこと?
もしかして……異世界転生したの? バスが事故を起こして?
いや、バスは無傷だ。
となると……
異世界トリップ?
……バカな。
ヒロユキがそんなことを考えている間――
ヒロユキを起こした男――妙に落ち着いた中肉中背の中年男――は、他の乗客を一人ずつ起こしていた。そして最後に運転席に行くと――
「おい、ドライバーがいないぞ……」
ドライバーは消えた。
そして、ケータイもスマホも圏外になっている。
あまりにも奇怪な状況に頭を抱えながらも、全員が目を覚ましたところで、まずは自己紹介をしようとなった。
不動凱。二十歳。自称、ただのフリーター。短めの髪、作業服姿。顔の右側にある火傷痕と妙にしなやかな動作が特徴的。こんな奇怪な状況にも関わらず、ニヤニヤしている。
花田克美。三十三歳。自称、ただのサラリーマン。スキンヘッドと高い身長、がっちりした体つき、そして怖い顔が特徴的。革ジャンとジーンズに、ギターケースを抱えているが、ミュージシャンの雰囲気は欠片もない。鋭い目付きで、あちこちを見回している。
黒沢貴史。二十八歳。自称、青年実業家。細い体を地味なスーツで包んでいる。ふてぶてしい態度で、落ち着きがないが、どこか冷めているようにも見える。
平田銀士。四十歳。自称、リストラされたサラリーマン。全員を起こして回った男。白髪が目立つ頭が特徴的。中肉中背。スーツの上にコートを着ている。異様に落ち着いた態度で、一人一人を観察するかのような目で見ている。
自己紹介が終わった。
だが――
それから数分が経過したのに、全員黙ったままだ。
不意にヒロユキは、とてつもない不安を感じた。
何なんだ、この人たちは……。
映画やマンガ、アニメとかだと、たいがい誰か一人はパニック起こすはずなのに……。
この人たちは、まったく動じてない。
そう。
誰一人、パニックに陥って、泣き出すわけでも怒り出すわけでもなく、黙りこんでいる。
気のせいか、お互いの出方をうかがっているようにも見えた。
実は全員、内心ではわずかながら動揺していた。
ただし、それは世界が崩壊したことよりも……
目の前にいる男たちに対して、だった。
彼らは近づき、そして言葉を交わした時、本能で悟っていたのだ。
目の前にいる者たちが、自分の同類であることを。
「な、何ですかアレ!」
バスの中を支配する不気味な空気に耐えられなくなったヒロユキが、窓の外を見たとたん――
思わず叫んでいた。
お、おい……
あれは、アレだよな……
ゴブリン、だ……
ゴブリンじゃないか!
緑色の肌をした、猿のような――しかし毛に覆われているわけではない――生物が、バスの周りに集まっている。
RPGの雑魚モンスターの代表ともいうべき、ゴブリン。
だが、現実のゴブリンは野生の猛獣のように見える……。
いや、猛獣より始末が悪い。
その目や動きからは、知能が感じられるのだ。
ゴブリンは全部で八匹いる。
バスの周りを、ゆっくりと回りながら――
時折り、威嚇するかのような叫び声を挙げる。
叫ぶ瞬間、鋭く伸びた牙がのぞく。
大きさは百五十センチから百六十センチほど。両腕は長く、力は強そうだ。皮の腰巻きのようなものを身に付けている。
ヒロユキは、いよいよ混乱した。
夢だ。
夢に違いない。
現実なわけない……
すぐに目が覚めて……
ははは、そうに決まってる。
だって、こんなこと……あるはずない。
「うっとおしい猿だなあ……先輩方、オレちょっと行って、あいつら追っ払ってくるよ」
突然、声がした。
フドウ ガイと名乗った若い男の声だ。
ガイはバスの窓を開け、身軽な動きで、するするっと外に出る。
ヒロユキは唖然としながら、ただ見ていることしかできなかった。
そして他の三人も、止めようとしなかった。
黙ったまま、成り行きを見ていた。
ガイはポケットからナイフを取り出し、ニヤニヤしながら、手近な一匹のゴブリンの前に立つ。
そして言った。
「お前ら何だ? 緑色の毛なし猿……動物番組でも、見たことねえぞ……言葉わかるか? いや、わかるわけねえな」
ガイの言葉に対し、ゴブリンは耳障りな声……いや鳴き声で返す。
惨劇を想像し、ヒロユキは思わず目を覆った。
ゴブリンは、さらに大きな鳴き声を挙げた。
そして次の瞬間、鉤爪の生えた手を振り上げ――
しかし、ガイは異常な早さでゴブリンの懐に飛び込み、ナイフの一撃。
ボクシングのジャブのような早い動きで、胸にナイフを突き刺す。
そして早い動きで腕を引き戻したかと思うと、次は横方向にナイフを振り、喉を切り裂く……
驚愕の表情らしきものを浮かべ、喉を押さえて崩れ落ちるゴブリン。
だが、あと七匹いる。
ゴブリンは奇怪な声を挙げながら、ガイを取り囲み――
いや、囲めなかった。
ガイはゴブリンの動きに素早く反応し、いきなり前転したのだ。
ゴブリンの囲みを破り、そして手近なゴブリンの胸に一突き、さらに喉を切り裂く――
次の瞬間には、ガイはそのゴブリンの体を片手で支えて立たせ、楯のようにしながら、ゴブリンの出方をうかがう。
その瞳は、なぜか喜びに満ち溢れているようにも見えた。
「オレも遊んでくる」
突然、低い声。
ハラダ カツミと名乗った男であった。
カツミはギターケースを開け、中に入っていた物を取り出す。
何あれ……
日本刀じゃないか!
何でギターケースに日本刀入ってる?
こいつら、おかしいだろうが!
みんな狂ってる!
ヒロユキの混乱をよそに、カツミは慣れた手つきでドアコックを操作し、外に出た。
刀の鞘を抜き、バスの中に置く。
「おいガキ、鞘を頼む」
ヒロユキの方を向き、そう言ったかと思うと――
「緑の猿を斬るのは……初めてだ」
言葉と同時に、刀を構え、ゴブリンの群れめがけて突進した。
そして、刀を振る。
次の瞬間、一匹のゴブリンの首が飛んだ――
新たな敵の出現に、ざわつくゴブリン。
不快そうな顔で、カツミを睨むガイ。
だが、カツミは周りの雑音を無視し、次のゴブリンへと突進する。
そして、カツミは返り血を浴びながら、さらに刀を振るう――
その横では、敏捷な猫のような動きで、ナイフをゴブリンに突き刺し、さらに切り裂き、絶命させていくガイ。
ガイの巧み過ぎるナイフさばきは、プロのダンサーの動きのように見事で、華麗ですらあった。
しかしヒロユキの目には、怪物が怪物を殺しているようにしか見えない。
そしてバスの中にいる、中年と青年は……
「いやあギンジさん、頼もしい奴らがいて良かったですねえ……しかし、ここは何なんでしょう?」
タカシと名乗った男がそう言うと、
「オレにはわからん……正直、理解を超えた出来事だよ。めんどくさい話だ、まったく」
本当にめんどくさそうに答えるギンジ。
「ですよね……あ、終わった。さて、戦った二人、そして……くたばったお猿さんたちには悪いが、今からメシ食わせてもらおう」
そう言うと、タカシはカバンの中から潰れたサンドイッチらしきものを取り出し、食べ始めた。
そして……ヒロユキは口を開けたまま、タカシの奇行と外の惨状を交互に見ている。
彼に残っているはずのわずかな正気が、音を立てて崩壊し始めていく……そんな気がした。
タカシはそんなヒロユキには構わず、話を続ける。
「あ、そうそう……ギンジさん、あの猿なんですが……食べられますかね?」
「……食えんことはないだろうが、お前、食うのか? あの猿を?」
「いやー、今ワケわからない状況じゃないですか。食料になるかと思って……まずそうですけど」
その会話を聞き、ヒロユキは……
何これ?
日本刀持った怖いオッサンと、ナイフ持ったキチガイが、ゴブリンの群を全滅させたよ……
その横での、この二人の会話は何だ?
これは夢だ。
だったら……
はやく覚めてくれ!
その時――
「オッサン……誰もあんたに手伝えとは言ってねえよな……」
明らかに不快そうな、ガイの声。
ヒロユキが外を見ると――
ゴブリンの死体が転がる中、返り血を浴びた二人が睨み合っていた。
「だが、手伝うなとも言ってない」
カツミは、刀に付着した血と脂をゴブリンの腰巻きで拭いながら、静かな口調で答える。
「……オッサン、あんたが乱入してくれたせいで喰い足りねえ。だから……相手してくれ」
「何だと……」
カツミの表情が変わる。
「オッサン、血が騒いでんだよ……こんなの初めてでさ……」
ガイはナイフを軽く振りながら、残忍な目で睨みつけた。
そして姿勢を低くし、構える。
「てめえは本物のキチガイのようだな……そんなに死にたいなら、殺してやるよ……」
カツミは、綺麗にしたばかりの刀を構える。
返り血を浴びたまま、対峙する二匹の凶人。
しかし――
「まあ待て。んなことしてる場合か? ガイ、ここで殺りあわなくても、獲物は後からいくらでも出てくるだろうよ」
静かな、しかし強固な意思を感じさせる声。
そして、声の主であるギンジが歩みよる。
「何だてめえ!」
不意の乱入者に、カツミは怒りを露にして吠える。
ガイもまた、不快そうな顔で睨む。
しかし、ギンジは引かなかった。
「お前ら、周りを見てみろ……ここがどこか、わかってんのか?」
「……」
二人はその言葉を聞き、周りを見回す。
「なあ、オレたちは今どこにいるんだ? 何が起きた? これからどうすればいい? 何もわかってないんだぞ。こんなワケわからない生き物が出てくる状況だ、協力しなきゃいけないだろうが。協力して、ここを脱出しなきゃならないだろ? 殺り合うのは、その後でも遅くないだろうが。なあ……オレの言ってることは間違ってるか?」
「……」
二人の空気が、徐々に変わっていく。
その空気を敏感に察したのか、ギンジは言葉を続ける。
「その程度の損得勘定もできねえバカなのか……お前らは」
「……」
二人とも、ギンジの冷めた迫力と言葉を前にし、徐々に理性を取り戻しつつあるようだった。
「いやあ、大したもんですねえ、あのギンジさんて人は……あの二匹の化け物の殺し合いを収めちまいましたよ」
ヘラヘラ笑いながら、サンドイッチを食べているタカシ。
タカシがサンドイッチを咀嚼する音が聞こえてきた瞬間――
ヒロユキの神経は、限界を超えた。
窓から頭を出し、胃の中のものを戻し始める。
同時に涙がこぼれる。
これは、悪夢なのか……夢なら覚めてくれ。
それとも……
ここは地獄なのか?
ぼくたちは、もう死んでいるのか?