少年大決意
孤児院で一泊した一行は、翌日の昼間に、子供たちに別れを告げて出立した。そして今は馬車に乗り、魔術師がいると言われている場所に向かっている。元の世界に帰るためのヒントを魔術師なら知っているのではないか、というのがヒロユキの考えだ。ちなみにその場所は『サリアン魔法研究所』と呼ばれている。何でも、多くの魔術師たちが出入りしているらしい。もっとも街の人々も、あまり詳しいことは知らないようなのだが。
「しかし、魔法使いってのはどんな連中なんでしょうなあ?! チャム、君は会ったことがあるかい?」
馬車を操るタカシが、そう言いながら振り向くと――
「前見ろバカ野郎!」
横にいるカツミが怒鳴りつけ、力ずくで前を向かせる。カツミは顔や体格の割に慎重な男である。もっとも、横にいるタカシが無茶苦茶すぎるせいもあるだろうが。
「なー? あほう使いにゃ? あほう使いは……一度ケットシー村に来たことあるにゃ。凄かったにゃ……手に持ってたはずの石が消えて、チャムの耳から出てきたりしてたにゃ。あいつは本当に凄い奴だったにゃ……」
チャムは一人でうんうんと頷き、感心したような口調で答える。しかし――
「チャム……あほう使いじゃなくて魔法使いだ。あと……それは魔法使いじゃなくて、ただの手品師だ」
ガイの冷静なツッコミ。するとチャムはきょとんとした表情になり、ガイの顔を見る。恐らく、何のことやらわかっていないのだろう。ガイは苦笑し、説明を始めた。
「いいかチャム、手品ってのは、こういうもんだ。例えば、右手に持っていた銅貨が……こうやって撫でると消える……ほらな。これには種や仕掛けが――」
「な?! 凄いにゃ! ガイ凄いにゃ! ガイはあほうが使えるにゃ?!」
「いや、あほうじゃなくて魔法だ……それにこれ、ただの手品なんだが……」
困った顔をするガイと、瞳を輝かせてガイを見つめるチャム。
ヒロユキは二人を見ていると、思わず笑みがこぼれてしまう。ガイとチャムには、周りを幸福にする不思議な力があるような気がする。ガイ一人だと、人相の悪い怖い青年だ。チャム一人だと、頭の悪い猫娘だ。しかし、その二人が一緒になると、周りの人を幸福にできる……。
そんなことを思いながら、ヒロユキは横にいるニーナを見る。しかし、ニーナの表情は暗い。下を向き、ずっと沈んだ表情をしている。
「ニーナ、どうしたの?」
ヒロユキは心配になり、語りかけた。そう言えば、昨日も変だった。ずっと自分のそばに寄り添い、ノートとペンを用いて色々な質問をしてきたのだ。ヒロユキが答えると、その答えの一つ一つを丁寧にメモしていた。
「ねえニーナ、君、変だよ……何か心配事でもあるなら、ぼくに言ってよ。あ、いや……ごめん……そんなつもりじゃ……」
次の瞬間、ヒロユキまで沈んだ表情になる。すると、ギンジがヒロユキの横に来た。
「ヒロユキ……お前とニーナは知り合って間がないんだ。知られたくないこともあるかもしれない。それにだ、今はまず魔術師たちに話を聞かなきゃならない。ヒロユキ、魔術師はどんな連中だ?」
ギンジはそう言いながら、ヒロユキを見る。その表情には、昨日からの憂いが感じられない。ようやく、いつものギンジに戻ったようだ。
「正直、良くわかりませんね……ただ、白魔術師と赤魔術師と黒魔術師がいました。単純な分け方で言うと、白は正義、赤は中立、黒は悪……という感じだったと思います」
「正義? 悪? 何だそれは……どういう違いがあるんだ?」
「うーん、白は他の人間のために魔術を使い、黒は自分のためだけに魔法を使い……赤はその中間という感じです。あと、白魔術師は白いローブ、赤魔術師は赤いローブ……みたいに、一目でわかるようになってました」
「そうか……で、ここにはどっちがいるんだ?」
「確か、白と赤でした。そもそも、黒はこんな街中をうろうろしてなかったように思います」
やがて、一行は酒場で聞いた場所に到着した。三階建ての大きな建造物はシンプルな造りで、余分な装飾などが一切ない。まるで病院のようであった。いや、刑務所のようにも見える……実際、大きくはないが、頑丈そうな塀に囲まれているのだ。
「ここらしいんですが……えらく殺風景な場所ですねえ。酒場で聞いた話では、ここに行けば魔法使いに会えると……」
そう言いながら、タカシは馬車を止めた。そして一人で御者台を降り、近づいていく。門は金属製であり、鉄棒を縦横に組み合わせた檻のような形状だ。その門の隙間から見える建物は冷たくそびえ立っている。
「すみません! どなたかいませんか!」
だが、ヒロユキはそんなものを見ていなかった。ニーナが震えだしたのだ。顔を青く……いや死人のような色に染めて、ガタガタ震えている。目は虚ろで下を向き、襲い来る何かに懸命に耐えているようだ。
「ニーナ! ニーナ! しっかりするんだ! 気分でも悪いの?! どこか痛いの?!」
ヒロユキは懸命に呼びかける。だが、ニーナは何も答えない。頭を両手で覆い、下を向き震えている。ガイやチャムも、心配そうに寄り添う。
その時、
「ニーナ、もしかして……お前、あそこにいたんじゃないのか?」
そう言ったのは、意外にもカツミだった。カツミは冷静な目でニーナを見ていたが、やがて建物に視線を移す。手はギターケースに伸び、ナイフと拳銃を取り出した。そして――
「ヒロユキ……面倒なことになるかもしれない。今のうちに決めとけ」
「決める? 何をです?」
「ニーナをどうするか、だ……お前の見たくねえもの、聞きたくねえものが出てくるだろうよ。オレにはわかるんだ。あそこは、人間を人間でないものに変える場所だ……」
その時、一人の男が建物から出てきた。白いだぶだぶの衣装を着た、若い男である。男は門のそばにいるタカシには目もくれず、小走りでこちらに向かって来る。そして門を開けると、馬車に歩いてきた。
そして――
「いや、これはどうもご苦労様です! わざわざ届けていただけるとは……さあニーナ、来るんだ」
男はそう言うと、荷台にいるニーナに近づく。すると、ニーナは震えながら立ち上がった。そして、馬車を降りる。だが、すぐそばでニーナの顔を見た瞬間、男の表情が変わった。
「ニーナ……お前、魔法を使ったのか! 何をやってる! あれほど……魔法を勝手に使うなと言ってあっただろうが!」
男は手を振り上げた。その瞬間、ニーナが両手で顔を覆う。男の殴打から、顔を庇おうとしているのだ……。
「やめろ!」
ヒロユキは叫んだ。と同時に、ガイが素早い動きを見せる。男とニーナの間に割って入った。男は憤怒の形相でガイを睨む。
「何だ君は! 君らがウチの商品を届けてくれたことは感謝する。だがな、君らがわざわざ届けてくれなくても、遅かれ早かれ見つけられたんだ! しかし……これでは傷物だ! 商品としての価値はない。廃棄するしか――」
「待てよ……商品て何だよ……廃棄って何だよ……教えてくれよ……」
ヒロユキは呆然とした顔で男に近づく。そして、取り憑かれたような声で男に尋ねた。
「はあ?! 君らは生まれたての赤ん坊なのか?! いいか、このニーナは魔法少女なんだよ! 貴族や領主といった方々にお仕えするためのな! 魔法少女は魔法石の魔力を引き出し、そして高く買ってくださった方々にご奉仕するんだ! だがな、その魔法石を見ろ! 濁ってるだろうが! 魔法少女を買う方々はな、綺麗な体と濁りのない石の者をお望みなんだ!」
男は一気に喋り終えると、疲れたのか息を整える。その時、ヒロユキが口を開いた。
「じゃあ、ニーナは商品なのか……商品だから喉を切って声を出なくしたのか……挙げ句の果てに、ちょっと魔法を使ったから廃棄するのか……」
「そうだよ! こいつらに喋る能力なんか必要ないんだ! 便利な魔法を使うことができて、さらに夜のお相手ができれば、他に何もする必要はないんだ! だが、これじゃあ売り物にならないんだよ! 仕方ないから石だけ外して――」
「お前らは……人間じゃない!」
ヒロユキは、凄まじい形相で男に飛びかかる。
そして……生まれて初めて、人を殴った。
ヒロユキのパンチは弱かった。しかし、男も殴られたことがないのだろう、実にあっさりと倒れた。
ヒロユキは男に馬乗りになる。
「な、何をする――」
「お前ら、それでも人間なのか! ニーナだって……お前と同じ人間なんだぞ! 同じ人間相手に……何でこんな酷いことをするんだよ! ニーナはどんだけ辛いか! お前だって……考えればわかるだろ! お前は人間じゃない! お前らこそ怪物だ!」
ヒロユキは涙を流しながら男を殴った。何度も殴った。拳の皮膚が裂け、骨に痛みを感じる。だが、それでも殴り続けるのを止めない――
突然、ヒロユキは背中に重みを感じた。同時に、腕に巻きつく柔らかい何か……振り返ると、ニーナが泣きながら背中を抱きしめ、腕を押さえようとしている……。
だが次の瞬間、ニーナの体が宙に浮いた。そのまま引き離される。そして――
「ヒロユキ、どうしてもそいつを殺したいなら……そして、てめえの手を汚す覚悟があるなら……こいつを使え」
言ったのはカツミだった。いつの間にか横に立ち、片手でニーナを押さえつつ何かを差し出している。それは大型のハンティングナイフだった。ガイが普段使っている物より大きい。ナイフというより、鉈に近い大きさである。
「ヒロユキ……どうするんだ? ただ、覚えとけ。一度殺しに手を染めたら、もう二度と戻れないってことをな。もし、その覚悟があるなら……こいつを使え。オレが誰にも邪魔させねえ。ガイにも、ギンジさんにもな……」
カツミの表情も変わっている。普段の強面ヤクザの顔ではない。出会った直後にゴブリンやダイアウルフを殺してみせた時のような……機械のごとき者と化している。
「オレは止めねえよ。ヒロユキ、殺したいなら殺せ。決めるのはお前だ。ただ、カツミの言ったことをよく考えろ。相手の流した血で、真っ赤に染まっちまった両手はな……どんなに洗っても、元通りの色にはならないんだ」
ギンジの声が聞こえる。しかしヒロユキは、ナイフを受け取った。そして逆手に持ち、振り上げる――
「おい! ニーナお前何やってるんだ! ギンジさん! ニーナが自分の手のひらを噛み切りやがった!」
ガイの慌てた声。ヒロユキがそちらを向くと――
ニーナが自分の服に、指で文字を書いていた。
手のひらから流れる血で、真っ赤な文字を……。
( ダ メ !)
ヒロユキは再び、視線を男に戻す。
そして、ナイフを首に押し当てた。
「ニーナについて、知ってることを全部話すんだ……そうしたら命だけは助けてやる」
だが男から聞いた話は、ヒロユキを絶望の淵へと引きずりこんだ……。
ニーナが魔法を使い続ければ、いつかは魔法石が真っ黒に濁る。その時、魔法石はニーナの生命力を全て吸い取るのだ。そしてニーナは死に、魔法石は死体となったニーナの体から離れるのだという。しかも生きている間は、ニーナから魔法石を外すことはできないのだ。つまり、ニーナが人としての寿命を全うしようとしたら……魔法を使わないようにするしかないのである。
さらに……魔法石は非常に高価な物だ。ニーナを連れていたアルゴという商人は、この施設に侵入してニーナをさらい、売るつもりだったのだ。しかし、魔法石はそれぞれ、独自の電波のようなものを放っている。魔法により、それらを探知し探すことが可能だ。
たとえ、どこに隠れようとも探し出すことができてしまうのだという……。
「つまり、お前ら魔術師はニーナがどこに居ようと見つけ出せるってわけか……なあ、ニーナを普通の人間に戻せないのかよ……魔法石は外れないのか……」
ヒロユキの虚ろな声。しかし、
「む、無理です……一度そうなったら……二度と元の人間には……でも、私が悪いんじゃないんです! 他の奴らがやったんです! 私は悪くない……」
言い終わった後、男は泣き出した。さっきまでの居丈高な態度が嘘のようだ。泣きじゃくる姿を見て、ヒロユキはかつての自分を思い出した。いじめられた挙げ句、自分もこんな風に何度泣きじゃくったことだろう。だが、彼らは自分を解放してくれなかった。彼らが飽きるまで、いじめは続いたのだ。どんなに泣いて許しを乞うても、彼らの心には響かなかった。結局、最後に自分はいじめから逃げた……そう、泣いたところで、悪意は解放してくれないのだ……この世界もまた、ニーナを解放してくれない。この世界は地獄にも等しい場所なのだ。それならば……。
ニーナを、この世界から逃がす。
そして自分たちの世界に連れ帰り、自分がニーナを守る。
ニーナの命が尽きるまで……。
ヒロユキは立ち上がり、ニーナのそばに行く。そして、彼女の手を握った。
真っ赤に染まっていく、ヒロユキの手……ニーナの手から流れる血が、ヒロユキの手と……心を染めていく。
「ニーナ……ぼくと一緒に行こう……ぼくたちの世界に君も行くんだ。ここよりも、ずっと楽しい世界だよ……そして、ぼくが君を守る」




