仲裁大流血
城塞都市ガーレンは、ギンジたち一行が驚くほど整然としていた。道路はとても広く、石が敷き詰められている。その道路沿いには、レンガ造りの大きな建物が並ぶ。さらには街灯らしき物さえ設置されているのだ。馬車も行き交い、交通整理の役目を果たす兵士たちや清掃員のような者たちまでいる。今まで訪れた場所に比べると、文明のレベルが段違いである。どこかのテーマパークのような雰囲気だ。
「いやあ、この街は凄いですね。ヒロユキくん、ここは実に面白い世界ですな! もし、この世界と我々の世界を行き来できる方法があるなら、きっと大儲けできますよ」
馬車をゆっくり走らせながら、タカシが言う。彼はあたりをキョロキョロ見回し、時おり感嘆の声を上げている。
そして、カツミに叱られるのだ。
「てめえ! ちゃんと前見ろ! 危ねえだろうが!」
一方、檻の中の子供たちも、物珍しそうに周りを見ている。このような風景を見るのは、恐らく初めてなのだろう。建物や道行くお洒落な人々などを見ては、小さな瞳を輝かせる。
そんな姿を見ていると、ヒロユキはどうしても心が痛んでしまう。しかし、今は他にやるべきことがあるのだ。女奴隷のニーナに文字を教えることである。
ニーナの学習能力には素晴らしいものがあった。ほとんどのカタカナの文字を、このわずかな時間で読み書きできるようになっていたのだ。さっきは、ノートに自分の名前を書いてみせた。その上、今はヒロユキ、ガイ、カツミ、ギンジ、タカシ、チャム……といった名前を書いている。もともと素直な性格なのだろうか、スポンジが水を吸い込むように、ヒロユキの説明したことをどんどん吸収していくのだ。
「君は凄いよ……」
ヒロユキはそう言って、改めてニーナの顔を見つめる。すると、ニーナは澄んだ綺麗な瞳でこちらを見つめ返してきた。そして優しく微笑む。ヒロユキは思わず顔を赤らめ、目を逸らした。
「おお、あそこに大きな店がありますよ……とりあえず、あそこで一息つきますか」
タカシがそう言って、馬車を脇に寄せて停める。タカシは動物とも意思を通わせることができるようだ。馬車に乗るのは初めてだ、と言っていたが、完璧に馬車を操っている。
そして目の前には、周囲の店舗を圧倒するかのようにそびえ立つ、巨大で派手な建物があった。奇怪な文字の書かれた巨大な看板が設置されており、中からは騒ぎ声がしている。
「確かに大きいな……ヒロユキ、あの店は何だ?」
「あれは……トレボーの酒場かもしれません。冒険者たちのたまり場です……ゲームでは」
ゲーム『異界転生』において、主人公たちはトレボーの酒場で仲間となるキャラを雇う。もっとも、画面に登場するのは美しい美少女キャラたちなのだが。戦士、魔術師、僧侶、盗賊などなど……様々な職業のキャラがいた。また、二階は宿屋になっている。
「なるほど……じゃあ、とりあえず寄ってみよう。何か情報が得られるかもしれないしな」
ギンジの言葉に、皆がうなずいた。
「で、でも……子供たちはどうします?」
と、ヒロユキが尋ねると――
「そうだな……じゃあ、ヒロユキとガイとチャムは馬車で待っててくれ。カツミ、ヒロユキでも使えそうな拳銃はあるか――」
「あ、大丈夫ですよ。ガイさんとチャムは強いですからね。この二人がいてくれれば安心です」
そして、一行はトレボーの酒場の前に馬車を止め、二手に分かれた。ギンジとカツミとタカシは店の奥で、酒を飲みながら情報を集める。一方、ヒロユキとガイとチャムは馬車に残り、三人の帰りを待つこととなった。
ヒロユキは馬車の上で、ニーナに字を教えている。とはいっても、彼女はもうほとんどの文字は書けるようになってしまっている。
だが、それでもニーナはヒロユキに勉強をせがむのだ。彼女は今まで、他者とのコミュニケーションを取る方法をあまり知らなかったのだろう、とヒロユキは思った。身振り手振りで自分の意思を伝える……それくらいしかないのだ。しかも、自分とは違い娯楽もない。ニーナは文字を学びたいと心から願い、そして自分がそれに応える……ニーナは今、初めて自由を感じているのではないだろうか。好きなことを好き勝手にできる、それが自由ではない。自分が本当にしたいと心から願うことをできる……それこそが本当の自由だ。いくら好き勝手なことができても、本当にしたいことがないなら、それは自由ではない。そう、ヒロユキはニーナに、初めての本当の自由を教えたのだ。ヒロユキは夢中で、ニーナに言葉を教えていく……。
一方のガイとチャムは、子供たちとあれやこれやの話をしていた。陽気なチャムが、子供たちの心を解きほぐしていく。
しかし――
「おいおい……誰だよ、こんな所に乞食を連れてきたのは!」
突然、響き渡る罵声。明らかに自分たちに向けられた言葉だ。ヒロユキが声のした方向を向くと、色とりどりの衣装を身にまとった若者が数人、酒ビン片手にこちらを見ている。
まずい。ヒロユキはガイを止めようと、振り向いたが遅かった。
「誰が乞食だ!」
ガイは既に馬車を降り、男たちに接近する……ナイフこそ抜いていないが、それでもガイは素手で男たち全員を殺すことは可能なのだ……止めなくてはならない。ヒロユキは慌てて馬車から降りる。そしてガイの元に走るが――
「てめえは……ひでえ面だな……」
男たちの一人がガイに近づき、そう言った瞬間――
ガイのパンチが飛んだ。男は一撃で吹っ飛び、仰向けに倒れる。手に持っていた酒ビンが手から離れ、ヒロユキの足元に転がる。
「て、てめえ! 何しやがる!」
「ぶっ殺せ!」
男たちは一斉に吠える。中には短剣を抜いた者もいる。酔いも手伝い、今にも襲いかかって来そうな雰囲気だ。
その時、ヒロユキは――
このままじゃあ……また死人が出る!
何とかしなきゃ!
でも、どうやって……。
ヒロユキはあちこち見るが、ギンジたちはまだ出て来ない。周りには野次馬が集まって来ているが、止めに入る気配がない。ガイは残忍な笑みを浮かべ、男たちを見ている。一方の男たちは殺気立ち、ちょっとした弾みで殺し合いが始まりそうだ。
いや殺し合いではない。一方的な殺戮……。
その時ヒロユキの目に留まったのは、中身の入った酒ビンだった。
「チャム! お前はヒロユキたちを守れ! さて、てめえら……さっさと始めようや。全員ブッ殺してやるからよ……」
ガイは口元を歪ませながら、男たち一人一人の顔を睨みつける。彼の暴力衝動は今や歯止めが利かない状態にあった。この顔のせいで、さんざん差別されてきた人生……他人に見下されないために、ガイは暴力を振るってきた。これからもそうするつもりだ。
今までも、金や地位があるというだけで偉そうにしていた奴らはいた。しかし皆、ガイの軽く出したパンチ一発で吹っ飛び、鼻血を出しながら許しを乞うてきたのだ。その瞬間が彼にはたまらない。暴力を振るう瞬間、自分は誰にも見下されない。全ての人間が、暴力を振るう自分に敬意を払うのだ……。
だが、その時――
「皆さん、すみませんでした。勘弁してください」
突然、自分の目の前に飛び込んできたもの……それはヒロユキの小さな背中と、何かに取り憑かれたような声だった。
ヒロユキはガイに背を向けた状態で、なおも言い続ける。
「皆さん……とりあえずは……これで許してもらえませんか……」
ヒロユキはそう言うと、酒ビンを振り上げる。そして――
自分の頭に、叩きつけた……。
響き渡る鈍い音。ガイは血相を変え、
「お、お前! 何をやってるんだ――」
「ガイさんは黙ってて下さい!」
振り向いたヒロユキの目からは、尋常でない何かを感じる。さらに、彼の頭からは血が吹き出ている……ガイは思わず後退った。ヒロユキはまた、男たちの方を向くと――
酒ビンを、自らの頭に降り下ろす。
鈍い音が響いた。
「ま、まだ割れないですね……割れるまで続けますよ……あなた方への、お詫びです……」
そう言って、ヒロユキは虚ろに笑った。
「ヒロユキ! 何してるにゃ!」
「!」
チャムとニーナが、ヒロユキを止めようと走って来た。しかし、ガイは二人の腕を掴み、強引に引きずって下がらせる。
「ガイ! 何するにゃ! このままじゃヒロユキが――」
「黙ってろ! 奴にやらせてやれ!」
ヒロユキの顔は、頭から流れ出る血で真っ赤に染まっていた。前もよく見えない状態だ。だが、彼は酒ビンを降り下ろす。
今度は高い音、そして頭上で何かが破裂したような感触……頭に突き刺さる、小さな破片……だが、それをはるかに上回る、頭全体が痺れてしまうかのような強烈な痛み。
「どうです……これで許してくれませんか……」
ヒロユキが言いながら顔を上げると、男たちは震えながら後退っていた。全員、怯えた表情をしている。
「何とか言ってくださいよ……」
そう言って、ヒロユキが近づいて行った途端――
男たちは、さらに後退りする。そして次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。
次の瞬間、へたりこむヒロユキ。
「良かった……すげえ怖かったよ……」
言い終えると同時に、前のめりに倒れる――
その体を抱き止めたのはガイだった。ガイはヒロユキの血を浴びながらも、彼の体を抱き起こし、仰向けに寝かせる。そしてヒロユキの頭に付いたガラスの破片を、黙ったまま取り始める。
そして、チャムとニーナがヒロユキのそばに来た。チャムはどうすればいいのかわからず、オロオロしている。一方のニーナは、じっとヒロユキを見ている。どこか迷っているような、ためらうような仕草をしていた。
「クソ、この傷は結構デカいな……ヒロユキ、あんな奴らのために……何でここまでやったんだよ……」
「あんな奴ら、どうでもいいです……ガイさんの手を汚して欲しくなかったんです――」
「もういい……わかった。もう喋るな」
ガイはシャツを脱ぎ、ヒロユキの傷口に押し当てる。だが、血が止まらない。みるみるうちにシャツが赤く染まっていく……。
その時、ニーナが動く。彼女はヒロユキのそばにしゃがみこんだ。そして目をつぶり、顔を空に向けるとヒロユキの傷口に手のひらを当てた。
すると、手のひらが光りだす……水色の優しげな光が、ヒロユキの頭を包み始め――
ヒロユキの流血が止まった。そして、頭の傷がふさがっていく……。
「な! なー! す、凄いにゃ! ニーナ凄いにゃ! ヒロユキのケガを治したにゃ!」
チャムは仰天した顔で、叫びながら三人の周りをぐるぐる回りだした。ガイもポカンとした顔で、ニーナを見ている。
そしてヒロユキは感じていた。摩訶不思議、としか言い様のない感覚を。傷口に何かが流れ込むような、奇妙な感触……同時に痛みが引いていき、そして傷がふさがっていく……これはヒロユキの知っている言葉では表現できないものだった。あえて言うなら、母の胎内にいた時、であろうか……覚えているはずなどないのだが。
「ニーナ……君は本当に凄いね……ありがとう」
そう言って、ヒロユキは微笑んだ。しかし、ふと妙な点に気づく。ニーナの浮かない表情。そして――
額に埋め込まれている魔法石が、ほんのわずかながら黒く濁っているのだ。
「ニーナ……ねえ、どうしたの?」
ヒロユキは体を起こし、ニーナに尋ねた。だが、ニーナは答えない。いや、答えられないのだが。ただ、ヒロユキを見つめて微笑むだけだった。しかし、その笑顔はどこか妙だ。さっきまでと比べると、悲しみを押し隠しているように感じられるのだ。
ヒロユキは釈然としないものを感じたが――
「やあ三人とも! そんな所で何をやってるんです?! 良いニュースですよ! その子供たちを引き取ってくれる所が見つかりましたよ!」
陽気な声と同時に、タカシが出て来た。だが、三人ではなく四人であることに気付き、意外そうな表情でニーナを見る。
「おやおや、君は……さては、ヒロユキくんの彼女になったのですね! いやあ、君たちは素晴らしい! 青春青春! 良いことですね!」
「ちょ、ちょっと! 違いますよ!」
ヒロユキは慌てて否定するが――
「何を騒いでるんだ、ヒロユキ……行くぞ。この街には、孤児院があるらしいんだ。身寄りのないガキを引き取ってくれるらしいぞ」
続いて出てきたギンジが、冷静な口調で言う。その後ろから、カツミがのっそりと現れた。
「ギンジさん、孤児院って――」
「その前に……何があったんだ?」
ギンジは四人の顔を見回し、尋ねる。その表情は険しい。
「べ、別に何も――」
「ヒロユキ、下らん嘘をつくな。お前ら二人、血まみれだろうが」
ギンジの、ごく当たり前の指摘。そう、二人とも血まみれだったのだ。なぜタカシは指摘しなかったのだろうか、などとヒロユキは考える。そんなことを考えている場合ではないのに。しかし――
「ギンジさん、ヒロユキは悪くねえ……クズ野郎共がオレたちを乞食だと言いやがって――」
そう言うと、口下手なはずのガイが、今しがた起きた出来事を説明し始めた。
「そうか……ヒロユキ、お前もずいぶん無茶したもんだな。だが……よくやったよ」
ギンジはそう言うと、今度はガイの顔を見た。
「ガイ……お前はもう少し慎重に動け。ここは街なんだって事を忘れるな。あとな、一つ覚えとけ。簡単に人を殺すような奴は……悪党からも信用されねえ。簡単に殺す奴は……自分の世界を狭めていくことになるんだ。忘れるな」




