少年大憂慮
「ヒロユキくん……私は南米にいた時に見たことがある。これは、喉を切られたんだよ……声が出ないようにね。たまにいるんだよ……奴隷は口を動かす必要はない、手を動かせばいいんだ、って考える人がね」
タカシの表情、そして声は極めて冷静なものだった。しかし、ヒロユキの体は震え出している。まただ。またしても……虐げられた弱者と出会ってしまった。一体、この世界は何なのだ……地獄なのか? どこまで弱者をいたぶれば気が済むのだろう。これが当たり前なのか? この世界には、けだものしか住んでいないのか?
いや、けだものならただ殺して食べるだけだ。しかし、この仕打ちは……悪魔の所業だ。
ヒロユキの目から涙が零れる。彼はそのまま下を向き、唇を噛みしめた。だがそれでも、時おり洩れてしまう嗚咽。目の前の女奴隷は、あまりにも気の毒であった。この世界の現実は想像を絶する。あまりにも残酷で、残虐だ……ヒロユキは涙をこらえようとするが、それでも零れ落ちていく……。
その時、女奴隷の手がヒロユキの肩に触れる。ヒロユキが顔を上げると――
女奴隷は優しい微笑みを浮かべて、こちらを見ている。まるで、自分を慰めようとでもしているかのように。さらに、女奴隷の手がヒロユキの頭に伸びる。髪の毛を撫で始めた。
ヒロユキは女奴隷の顔を見つめる……。
ちょっと待てよ……。
君は、ぼくを慰めようとしてるのか?
こんな悲惨な目に遭っている君が……。
この、ぼくを……。
ぼくは……。
ヒロユキは耐えきれなくなった。女奴隷にしがみつき、人目をはばからずに泣き出す……幼い子供のように彼は泣きじゃくった。
そして女奴隷は微笑みながら、ヒロユキの肩を優しく叩いている。その横で見ているチャムも鼻をすすり出し、ガイに慰められていた。
一方……。
ギンジとカツミとタカシはその様子を横目で見ながら、どうするか話し合っていた。
「さて……これからどうするかね」
ギンジは二人の顔を交互に見る。
「仕方ねえ。まずはガーレンとかいう街まで行って、そこでガキ共を奴隷商人に渡そう。あのアルゴとかいう奴を敵に廻すことになっちまったが……今さら仕方ねえ。また来やがったら、オレが殺す」
「そうですね……とりあえずは、この馬車に乗り、みんなで街に行くとしましょう」
そして一行は馬車に乗り、城塞都市ガーレンへと向かうことになった。タカシが馬車を操り、ギンジとカツミがその横にいる。タカシは馬車に乗るのは初めてだ、と言っていたが、完璧に馬と意思を通じ合わせていた。
一方、ヒロユキとガイとチャムは荷台で、子供たちと話している。怯えていた子供たちも、徐々に口を開くようにはなってきている……しかし、ヒロユキの心は暗かった。あの、ホンチョー村で会った山賊たちのことを思い出す。顔に焼き印を押された男たち。彼らの境遇は想像を絶するものだった。目の前の子供たちも、顔に焼き印を押され、悲惨な生活へと……しかも、自分たちは何もできず、ただ見ていることしかできないのだ。
そんなことを考えていると、ヒロユキは子供たちの無邪気な顔を見ていられなくなった。子供たちから目を逸らし、涙をこらえる。このままだと、また泣いてしまいそうだ。ヒロユキは自分の弱さを呪った。さらに、この世界の神のことも……この世界にトリップした時、なぜ神は自分にチート能力を与えてくれなかったのか、などとバカなことを考える。自分に力があれば、この子供たちを救ってやれるのだ。しかし、今の自分には何もできない。ただ売られて、そして悲惨な境遇に堕ちていくのを知りつつ、見て見ぬふりをするしかないのだ……。
「ちくしょう!」
ヒロユキは思わず、檻を殴りつける。子供たちが怯えた表情で、一斉にヒロユキを見る。
「おいヒロユキ……何やってんだよバカ」
ガイは近づき、ヒロユキの頭をはたいた。しかし――
「ガイさん……あなたは、どうやってそんなに強くなったんです?」
尋ねるヒロユキの目は、真剣そのものだった。
「……知らねえよ」
「お願いです……教えて下さい。ぼくは強くなりたい……力が欲しい。みんなが平和に暮らせる世界を作りたい――」
「ヒロユキ……オレたちは神様じゃないんだぜ」
そう言ったのはギンジだった。彼は御者台を離れ、ヒロユキのそばにやって来る。
「ギンジさん……」
「ヒロユキ、オレたちは……この世界の人間じゃないんだ。いずれは元の世界に戻る。いちいち出会った人間すべての面倒を見る訳にもいかないだろう。それに……この世界の問題は、この世界の人間が解決するべきなんだよ。オレたちは所詮、ただの部外者でしかない。それとも、お前はここの世界の住人になる覚悟はあるのか?」
「そ、それは……」
ヒロユキは思わず口ごもる。この世界に自分一人で取り残されたら……いや、それ以前にギンジの言っていることは正しい。自分は所詮、この世界の異分子なのだ。
そんなヒロユキの反応を見つつ、ギンジは言葉を続ける。
「なあヒロユキ、仮にだ……オレたちが今、無茶苦茶やって、こっちの世界を変えたとしてみよう。どうなるか……急激な変化に、人間の意識は付いて行けないものだ。色んなところから不満が出る。その不満を押さえ込むのに、どうすればいいんだ?」
「……」
「力で押さえつけなきゃならねえ。その結果、何人の死者が出る? 何人の子供が孤児になる? それがこの世界の現実なんだよ。オレたちが何をしようが、所詮は部外者だ」
「そんな……」
「ヒロユキ、オレの話も聞いてくれ」
珍しく、ガイが会話に参加してきた。ガイはヒロユキの前で、いきなりシャツを脱ぎすてる。
火傷痕だらけの上半身が露になった。
「オレは……この面とこの体のせいで、どこに行っても気持ち悪がられたよ。しかも、中卒のオレはまともに就職なんかできやしなかった。だからオレは……空き巣だのひったくりだの強盗だの……そんなことくらいしかできなかった。ヒロユキ……差別はどこの世界にもあるんだよ」
「ガイさん……」
「ヒロユキ……オレはこの面のせいで、友だちなんかできやしなかった。女も寄って来やしなかった。オレはな――」
「ガイー! チャムはガイのこと好きだにゃ! 大好きだにゃ!」
ガイの言葉の途中、いきなりチャムが抱きついた。
そして叫び続ける。
「チャムはガイの顔も体も大好きだにゃ! チャムはガイのことが――」
「バ、バカ! わかったから離れろ!」
耳まで真っ赤にしながらチャムを突き放そうとするガイと、感極まったのか泣きながらガイに抱きつくチャム……馬車の上で揉み合う二人を見て、女奴隷と子供たちが笑い出した。心の底から楽しそうに、声を上げて笑っている。
ギンジも苦笑しながら、ヒロユキの肩を叩く。
「ったく、こいつらは……真面目に言ってんのがバカらしくなるぜ。だがな、ヒロユキ……こんな風に、どんな辛い生活だろうと笑える瞬間、楽しい瞬間てのはあるんだよ。オレたちにできるのは、このガキ共にそんな瞬間がたくさん訪れますように、と神に祈る……オレたちにしてやれるのは、そのくらいのことだ」
やがて、一行は城塞都市ガーレンに辿り着いた。
どのようにして造ったのか、巨大な石造りの塀に囲まれており、さらにその周囲を堀が囲んでいる。出入口らしき場所には大きな跳ね橋が設置されており、その横には重装備の衛兵が二人、あちこちを睨みつけている。さらに、塀の上にも一人いるのだ。
「やれやれ、警戒厳重ですな……彼らは我々を入れてくれるんでしょうか?」
タカシが呟く。一応、跳ね橋は降りている。だが、槍を持った門番はこちらをじっと見ている。その目つきは鋭い。また、塀の上からこちらを見ている男はボウガンらしき物を持ち、首からは角笛をぶら下げている。
「ああ、確かに厳重だな。ギンジさん、どうするよ……」
カツミが振り向き、尋ねる。その時――
「カツミさん、確かここの門番には賄賂が利いたはずです。試してみましょう」
言うと同時に、ヒロユキが降りる。彼は門番に向かい歩き出したが――
なぜか、女奴隷までもが荷台から飛び降りた。そして、ヒロユキの隣に寄り添っている。
「え……あ、あの……どうしたの?」
だが、彼女は何も言わない。こちらを見て微笑んでいるだけだ。まあ、言わないのではなく言えないのだが。
「ヒロユキ……その娘に気に入られたみたいだな。いいよ、賄賂が利くならオレとタカシが行ってくる。これで足りるかわからんが……おいタカシ、来てくれ。お前のマシンガントークの出番だ」
「ほうほう、わかりましたよ。交渉なら、私の出番ですね」
タカシは御者台を降り、馬に何やら語りかけると、そのまま門番の方に歩いて行く。ギンジがその後から続いた。
一方、ヒロユキは横にいる女奴隷を見る。女奴隷は何か言いたげな目を、こちらに向けている。ヒロユキはどうすればいいのかわからなかった。彼女との、意思の疎通……どうすればいいのだろう。
その時、ようやく思い出した。自分の荷物の中に、ボールペンとノート、手帳があったはず。彼女に字が書けるかどうかはわからない。しかし、元よりこの世界の文字が自分に読めるとは思えない。なら、自分が読める文字を教えればいい。平仮名や漢字を教える必要はない。ただ、一番簡単なカタカナだけを教えればいいのだ。
ヒロユキはノートとペンを取り出す。そして自分の顔を指差した。
「ヒロユキ。ヒ・ロ・ユ・キ」
そう言うと、次にノートを開き、ヒロユキと書いて見せる。
女奴隷は不思議そうな顔をしている。だが、ヒロユキは辛抱強く続けた。
「ヒロユキ……ガイ……カツミ……チャム……」
そして、ギンジとタカシは門番と交渉していた。
「どうでしょう門番さん、通してくれませんか! 我々はなんーにもしやしません。ただただ、ひたすらおとなしくしてますから!」
喋り続けるタカシ。さすがの門番も疲れた顔をしている。
「いや、だからお前ら怪しいだろ……」
門番は苦り切った表情で言うが、
「怪しい?! はあ! 何をおっしゃっているのですか! 我々のどこが怪しいと! あなた方の目は節穴ですか! 我々を見てください。人畜無害な単なる人買いです。あそこに積まれた哀れな子供たちを、極悪でゲスな悪徳商人どもに二束三文の値段で叩き売り、その金を飲む打つ買うの非生産的行為に費やすべく、この街にやって来ました! ですから街に入れていただきたいと――」
「わかった! わかったからこっちにも喋らせろ!」
うんざりした表情で怒鳴りつける門番。すると、
「なあ門番さん、この男はかなり面倒だよ……さっさと通した方がいいと思うぜ……」
そう言いながら、ギンジは門番に近づき、金貨を一枚握らせる。
「う、うーん、これだけではな……もう少し――」
「はあ?! 今、もう少しとおっしゃいましたね?! 何がもう少しなんですか?! 今言いましたよね、もう少しと! はっきり言ってください!」
黙りこんでいたのはほんのわずかな時間だった。門番の言葉に反応し、いきなり騒ぎ出すタカシ。慌てた顔になる門番。そしてニヤリと笑うギンジ。
「門番さん、早いとこ通してくださいよ……通してくれないと、あいつは一晩中でもわめき続けますよ。しかも、馬車の所にいる男は恐ろしい奴です」
そう言いながら、ギンジは片手を挙げる。すると、馬車に乗っているカツミが、バトルアックスを片手でブンブン振り回す。
門番の顔が、今度は青ざめた。その瞬間、さらに金貨を握らせるギンジ。
「どうです、門番さん……こんなもんで……お願いしますよ」
「ヒロユキ……ガイ……チャム……コドモ……バシャ……」
ヒロユキは辛抱強く、女奴隷の目の前でいろいろな物を指差したり、様々な文字を書いたりして教え込んでいる。一方の女奴隷も真剣な眼差しで、ヒロユキの一挙一動を注意深く見ていた。
やがて女奴隷は、身振り手振りで自分に書かせて欲しいと訴えてきた。ヒロユキがペンとノートを渡すと、女奴隷はヒロユキを指差し――
(ヒ ロ ユ キ)
その瞬間、ヒロユキの目から涙が零れる。今度は嬉しさゆえの涙だった。やっと、目の前の女奴隷と意思の疎通が、会話らしきものができるようになるかもしれない……その糸口が、希望が見えてきたのだ。
「君は……凄いよ……こんな短時間で……良かった……もっともっと……いっぱい字を教えるから――」
「おいヒロユキ……門番との話がついたみたいだぜ。ギンジさんが呼んでる。行こうぜ……二人とも」
ガイの声。それと同時に頭を小突かれた。
「ったく、オメエは本当に泣き虫だなあ……」
そう言うガイの表情は優しさに溢れていた。その横にいるチャムもニコニコしている。二人の眼差しはとても暖かい。ヒロユキはふと、ガイとチャムが一緒なら、この世界に残ってもいいかもしれない……などと思った。




