少年大直訴
ヒロユキは震え出していた。そんなことは悪趣味を超えている。悪……いや、それ以前の問題だ。悪と呼ぶのも生ぬるい。
「その貴族は……人間なのか? そんなの人間のやる事じゃないだろ!」
思わず叫んでいたヒロユキ。彼の脳裏にあるもの……それは、美しい女奴隷たちとのラブロマンスを主体にしたゲームやアニメだった。美少女奴隷たちとの恋……そんなものを夢見ていた自分。『ご主人様』と呼んでくれて、自分の言うことは何でも聞いてくれる奴隷たち。
だが……そんなものを妄想していた自分が、今は恥ずかしくてたまらない。自分は何もわかっていなかったのだ……。
「少年……オレやラーグよりも悲惨な目に遭っている奴らはいるんだ。でもな……同じ人間のやる事なんだよ。こいつらの中には……領主の娘の着替えを偶然見ちまったばっかりに、去勢させられた奴もいるんだ。もっとも、その領主は領民たちの間じゃ情け深い人格者だと言われていたらしいがな」
オックスは淡々とした声で答えた。周りの奴隷たちも、沈んだ表情になっている。中には涙ぐんでいる者さえいる。自らの過去を思い出しているのだろうか。
「……」
奴隷たちのあまりに酷すぎる境遇……ヒロユキは何も言えなかった。いや、言う資格などないのだ。人権を保障され、蛇口をひねれば水が出て、暇になったらスマホをいじる。そんな恵まれた生活を送っていた自分の理屈など、過酷な環境で人間以下の生活を強いられてきた奴隷たちの前にあっては、ひとたまりもなく蹴散らされてしまうものでしかないのだ。
「オレたちには……山賊くらいしかできないんだよ。他にどんな生き方ができるというんだ? 森の中にはゴブリンやオークの群れ、さらにはオーガーまでいるんだ……かといって、この辺で自給自足の生活なんかしてたら……たちまち貴族連中に捕まっちまう。これくらいしかできねえんだ」
淡々と、自らの悲惨な境遇を語るオックス。しかし――
「オックスさん、あんたの言いたいことはわかった。しかしな、こっちもガキの使いじゃない。あんたが山賊やろうが何しようが、それはあんたの自由だ。オレたちの知ったことじゃない。ただ……山賊やりたいなら、他でやってくれ。言いたいことはそれだけだ」
静かな口調で言い放つギンジ。彼は既に拳銃を抜いていた。何かあったら、いつでも撃てる構えである。そしてタカシもまた、ヘラヘラしながらも周囲の様子を油断なく見ている。
「ギンジさん……嫌だと言ったら、どうするんだ?」
オックスが静かではあるが、殺気のこもった口調で尋ねる。同時に、山賊たちが動き始める。ギンジたちを囲むような形。ヒロユキは周りを見渡し、圧倒的に不利な状況であることを確認した。山賊たちは、すぐにでも襲いかかりそうな雰囲気だ。
しかしヒロユキにとって、そんなことはどうでもよかった。
違うだろ……。
あんたたちは確かに悲惨だ。ぼくみたいな人間には何も言う資格はないだろうさ。
認めるよ。ぼくは甘やかされたガキだ。
でも……やっぱり間違ってる!
あんたらは間違ってる!
「だったら……交渉は決裂だ。村に残してきた二人……いや三人は強いぞ。はっきり言うがな――」
「あなたたちのすべきことは……山賊じゃないはずだろう! 違うか!」
いきなりの叫び声。
ギンジの言葉の途中、突如ヒロユキが吠えたのだ。顔を真っ赤にし、体を震わせながら、今にも泣き出しそうな目でオックスを睨みつけている。
オックスもさすがに面食らっているようだ。
「おい……お前は何を言ってるんだ?」
「あんたらの……あんたらのやるべきことは……山賊じゃないはずだ! 奴隷の顔に焼き印を押したり、女奴隷を集めて力ずくでハーレム作って喜んでるような……そんなゲス野郎を倒すべきだろうが! あんな小さな村から搾取してどうすんだよ! あんたらのやってることは……ただの弱い者いじめだ!」
感極まったのか、ヒロユキは涙を流していた。だが、溢れる涙を拭おうともしない。オックスの鼻先に触れ合わんばかりの位置まで顔を寄せ、訴える。
しかし……。
「てめえみたいなガキに……何がわかる!」
次の瞬間、オックスの拳が炸裂……ヒロユキは吹っ飛ばされた。だが、ギンジもタカシも助けようとしない。黙ったまま、成り行きを見守っている。空気は変わった。山賊……いや、奴隷たちの雰囲気が変わっているのだ。少なくとも、ヒロユキを見る目は一変している……。
そのヒロユキは鼻血を出していた。さらに、唇も切れている……だが、それでも立ち上がる。そして、オックスの前に進み出た。
「殴りたきゃ、気の済むまで殴れ……ぼくは今まで、あんたみたいな弱い者いじめしかできない奴らにさんざん殴られてきたんだ! 殴られるのは慣れてる! でもな、あんたの殴る相手は他にいるはずだ! その拳は権力者に向けるべきじゃないのか! ぼくたちの世界では、かつて奴隷だった種族の子孫が大国の大統領……いや、王様になってるんだぞ! あなたのやることは山賊なんかじゃない! 奴隷を助けるために戦うことじゃないのか!」
「このガキが……いい加減にしろ……また殴られてえのか!」
オックスはヒロユキの襟首を掴む。だが実のところ、オックスは得体の知れない迫力に圧倒されていた。ヒロユキの涙を流しながらの訴えを前にして怯んでいた。これまでに数々の地獄を見てきたはずの男が……たった一人の、自分よりも小さな体の少年に圧倒されていたのだ。
そしてヒロユキには、怯む気配が全くなかった。彼の涙は感じている恐怖のためではない。奴隷たちのために流していたのだ。かつていじめられっ子だった自分……そんな自分など比較にならないほどの痛みと苦しみを経験してきた奴隷たち。
だからこそ、奴隷たちに戦って欲しかったのだ。こんな山賊のまま、人生を終えて欲しくなかった。自由を勝ち取って欲しかった。奴隷などという制度を作り出した権力者たちを倒して欲しかった。
そんなヒロユキの異様な迫力に圧倒されているオックス。だが、彼もここで引くわけにはいかなかった。口で言うのは簡単だ。しかし、自分たちに何ができると言うのだ? 今はまだ、ちんけな山賊だからいい。周りの領主や貴族たちも、放っておいてくれている。しかし、奴隷たちを解放するとなると……それは革命である。極端な話、この世界の権力者すべてを敵にまわすことになるのだ。勝ち目のない戦い以外の何物でもない。自分のような、オークと人間の間に産まれた……人でも怪物でもない者を慕ってくれる部下たち。その命を無謀な戦いで散らすわけにはいかないのだ。
「てめえは何もわかってないんだ。てめえみたいなガキに……オレたちの何がわかる――」
「わからない! わかりたくもない! あんたはしょせん、できない理由を探すだけのクズだ! 他の人たちはどうなんだよ! このまま……一生山賊を続けるのか!」
ヒロユキは溢れる涙を拭おうともせず、周りを取り囲む男たちを見渡す。
いかつい顔、大きな体、手にした武器……男たちの中で、ヒロユキと戦い負けるような者はただの一人もいない。にも関わらず、ヒロユキと目が合った男はみな例外なく、気弱そうな表情を浮かべて目を逸らしている。かつて奴隷だった男たちは、ヒロユキの純粋さと優しさが生み出した訴えの前に圧倒されていた。だが、その視線はあまりにも眩しい。男たちは目を合わせることができなかった。目を合わせてしまえば……自分の怠惰さと臆病さを見透かされてしまう。
だが同時に、男たちの心の中に何かが生まれようとしていた。目の前の小さな少年は、奴隷だった自分たちのために泣いている。しかも、ただの憐れみではない。自分たちの前で、小さな体を震わせ、全身全霊をかけて訴えている。励ましている。進むべき道を説いている。目的のある人生を生きるべきだと……オックスの暴力にも屈せずに。
しかし――
「てめえは……殺されねえとわからんらしいな……」
オックスはついに決断した。目の前の少年は危険である。周りの部下にまで影響を及ぼし始めていた。部下たちの中には、明らかに感化されている者がいる。それも一人や二人ではないのだ。この少年は危険である。殺さなければならないのなら、殺す。彼は今まで、そうやって生きてきたのだから。
オックスは短剣を抜き、ヒロユキを睨みつけた。そして短剣を振り上げた……だが、その腕を掴む者。ギンジである。ギンジはオックスの短剣を持った手首を掴み、捻りあげる。と同時に――
空に向け、拳銃を撃つ。凄まじい銃声。取り囲む男たちは皆、落雷のような音を聞いた。一斉にざわめく男たち。表情が一変している。
「あんた……魔術師なのか……」
オックスの表情も変わっている。ギンジの得体の知れない恐ろしさを前に怯んでいた。だが、ラーグは恐れていない。唸り声を上げると、凄まじい勢いでギンジに迫るが――
「ラーグ! 止めろ!」
オックスの声と同時に、ラーグは動きを止めた。そして次の瞬間、タカシが進み出る。ヒロユキとオックスの間に割って入った。
「オックスさん、そして皆さん……どうでしょう、我々と一つ勝負しませんか? もし我々が勝てば……あなたたちはあの村から手を引いてください。そして願わくば、ヒロユキ君の意見について考えてみてください。もし我々が負けたら……我々はおとなしく引き上げます。あなたたちは今まで通り、山賊の生活をすればいい」
タカシの顔から、軽薄なヘラヘラした笑いが消えている。代わりに不敵な笑みを浮かべて、オックスを見ていた。その不気味な表情から、オックスは人間離れした何かを感じとる。彼は恐怖を覚え、思わず後退っていた。
「お前ら……一体何者なんだよ……」
「何者かと問われると答えに窮しますが……強いて言うなら旅人です。我々は故郷に帰るために旅をしている者ですよ。ところで話の続きですが、勝負は一対一の素手の決闘です。そちらの代表はラーグさん。こちらの代表はガイくんです。あの、顔に火傷の痕がある青年ですよ。さあ、どうします? この勝負、受けていただけませんか?」
「バ、バカ言うな……誰がそんな勝負――」
「オレはやるぞ! さっきのクソガキの両手をへし折ってやる!」
オックスの言葉を遮り、ラーグが吠える。そしてタカシの前に進み出た。岩のような筋肉が隆起し、今にもタカシに掴みかかりそうな雰囲気だ。しかし、オックスが割って入る。
「ラーグ……ここは押さえてくれ。タカシさん……そんな勝負は――」
「できないとおっしゃるんで? おやおや、あなた方はヒロユキくんの言う通り、村人のような弱い者いじめしかできない方々のようですね! ガイくんとラーグさんを比べてみれば、どちらが有利かは一目瞭然のはず。なのに、そんな勝負すら受けられないとは! あなた方がどういう人間なのか、よくわかりました。ギンジさん、ヒロユキくん、帰りましょう。話になりません」
タカシは大げさな身振りで両腕を振り回す。顔には呆れ果てた表情、そして軽蔑の眼差し。そのままギンジとヒロユキの腕を掴み、強引に連れ出そうとした。
だが、その時――
「ボス、この勝負受けて下さい」
一人の男が進み出る。焼き印を押された顔を悔しそうに歪め、体を震わせながらタカシの行く手に立ちふさがっていた。
と同時に――
「ボス、お願いします!」
「受けて下さい!」
「ラーグさんに闘わせてあげて下さい!」
周りを取り囲む男たちの心からの叫び。それも一人や二人ではない。半分以上だ。さらに声を出していない男たちも、悔しそうな表情でギンジたちを睨みつけている。だが襲いかかって来る気配はない。むしろ、彼らの怒りは他の何かに向けられている。ここにいない何かに……そう、ヒロユキの涙を流しながらの訴えとタカシの挑発が彼らの心を動かしたのだ。彼らの忘れかけていた人としての感情、倫理、正義感、そしてプライド……彼らの心の奥底に眠っているものが呼び覚まされてしまったのだ。
オックスは苦笑するしかなかった。まさか、こんな状況を作り出すとは……ギンジとタカシと名乗る二人の言動は経験からくる計算ずくのものだろう。しかし、あの少年は違う。自分たちの境遇に対し本気で怒り、そして若さゆえの純粋さから、立ち上がり意見し……さらに暴力に屈せず捨て身で訴え続けた……それが部下たちの心を動かしてしまったのだ。タカシはその状況を上手く利用しただけだ。もちろん、その機転も並みの人間には真似できないが。
もちろん、ラーグが負けるとは思えない。しかし、目の前の男たちが勝ち目のない勝負をするはずがないのだ。ガイという男も普通ではない。数々の地獄のような状況を見てきたオックスの勘は、一目見た時から反応していたのだ。だからこそ、勝負に乗り気ではなかった。
しかし……。
「わかった。受けよう」




