【5】
あれから、家の中は幸福の小花が舞っている。
ママは、幸せに満ちた笑みで休日毎に高梨さんと過ごしている。
もちろん、引越しの準備も着々と進んでいる。
「これから夏だから、冬物から荷造りしなさね」
と、ママは言う。
仕事の都合上、あまり遠くには引っ越さないが、この春入学したばかりの高校に通うには少し距離がある。
「近くにも良い高校があるから、そこを受けて見れば?」
折角、合格して通い始めた高校だけど、家庭の事情なのだから仕方ない。
(……新しい学校じゃ、私、高梨美雨って名乗らないといけなくなるのかな?)
何だろう?
私は私なのに、私じゃなくなっていくような…、
もう、藤方美雨は消えて居なくなってしまう?
そんな気持ちになってしまった。
土曜日の朝。
金曜日の夕方、ママから電話で
「ごめん、美雨!高梨さんと一緒だから帰りは日曜日なるけど、いいかな?」
なんて言ってくる。
という訳で、朝は一人で食事。いつもは鹿島家へ上がり込んで食事をするけど、今朝は一人静かに食べるのも…。
きっと、新居に移れば、実結もヒロ兄も居ないから、少し一人に慣れた方が良いのかもしれない。
ピンポーン♪
誰だろう?朝早くから…。
「はい…、あの…」
と玄関の向こう側に居る人に声を掛けると
「あ、美雨ちゃん、おはよう!大樹だけど…」
ひ、ヒロ兄?
急いで玄関を開けると黒のTシャツにジーンズ姿のヒロ兄が両手にお鍋の取っ手を持って立っている。
「朝ご飯、食べた?まだなら一緒に食べようかな…と」
「うん、まだだけど…」
ヒロ兄は台所で持参してきたお鍋に火を掛けている。
「なに?それ?お味噌汁?」
「トン汁!昨日、実結が大量に作りやがってさ!」
くすくす、と思わず微笑んでしまう。
実結って、相変わらず。いつも人数分以上に作ってしまう。
彼女に言わせると「人数分丁度だと、もう少し食べたいって思った時、無くて困るでしょう!」だそうだ。
「ご飯は炊いてあるから、良いタイミングだよ!ヒロ兄」
「それは、良かった」
私はお茶碗にご飯をよそう。
ヒロ兄はトン汁をお椀に入れ、食事の準備を始める。
やっぱり、一人より二人の方が楽しくて嬉しい…。
食事が進むにつれ、会話がぎこちないものに変わっていく。
ヒロ兄は、視点が定まらないのか、眼が泳いでいる。
「――どうかしたの?」
気まずさから、尋ねてみるけど「な、何も無いよ」としか答えてくれない。
(あ…)
あの時の事、そう言えばまだ謝っていない!
あの雨の日にヒロ兄と彼女さんとの……、偶然出くわしたとは言え、あんな場面を見てしまったのだから…。
「ヒ、ヒロ兄…。この間はごめんね。あ、あの…」
「ん?な、何が?」
「えーっと、偶然なの。あの日あの場所へ実結と行ったのは…」
「………」
ヒロ兄はすぐに何の話か気付いたみたいだけど、少し時間を置いて「別に良いよって、言うか変な所見せてしまって…」と、少し苦笑い。
「ごめんなさい…。その…」
「うん…まぁ…。美雨ちゃんが気にする事無いよ」
「………」
謝って気まずい空気を換えようとしたのに、さらに気まずくしてしまった。
***
side:大樹
少し話がしたくて、朝早くからお鍋を持って、藤方家へ向かう。
チャイムを鳴らし、中から「はい…、あの…」と声が聞こえてきた。
「あ、美雨ちゃん!俺、拓樹だけど」
すぐに玄関のドアが開きいたので
「朝ご飯、食べた?まだなら一緒に食べようかな…と」
「うん、まだだけど…」
すぐさま、台所へ行きお鍋を火にかける。
今朝の美雨ちゃんは、白と紺のボーダーの長袖のTシャツのハーフパンツ姿。
何より、首周りが大きく開いるデザインで――っ!!
「なに?それ?お味噌汁?」
「トン汁!昨日、実結が大量に作りやがってさ!」
美雨ちゃんが、くすくすっと笑ってる。けど、俺は美雨ちゃんの方を見る事が出来ない。
「ご飯、炊いてあるから、良いタイミングだよ!ヒロ兄」
「それは、良かった」
とにかく、食事だけして早目にここを切り上げよう!
それしか、頭の中には無かった。
食事をしながら、実雨ちゃんは話掛けてくれるけど頭に入って来ない。
しかも、つい最近別れた彼女の話になって謝ってくる。
美雨ちゃんが悪い訳でもないのに。
「ごめんさない…。その…」
別れた彼女の事なんて、今さらどうでいい訳で…。
むしろ、こっちが“ごめんなさい”状態だ。
気まずいよな。だって、俺、美雨ちゃんの胸ばかり気になってしまう…。
――って言うか、盗み見てるなんて気付かれる前に違う話に持っていかないと!
「み、美雨ちゃん!髪の毛伸びたね。切らないのかな?」
咄嗟に出た言葉は――
こんな事しか言えなかった。