【42】
side:大樹
昨日、乗り捨てた自転車の事なんて、もうどうでも良かった。
美雨ちゃんの引っ越し先から帰った後、自分の布団の中に潜り込んだ。
自分で言うのもなんだが、こんないい年した男がメソメソと泣いてしまった。
たかが、失恋如きで。
「兄貴、ご飯出来たよ。兄貴の好きな酢豚だよ」
部屋の外から妹の気遣う声が聞こえてくる。返事をしないで放っておくと「入るよ」と言って相変わらず乱暴にドアを開けて入って来た。
「兄貴!結果は目に見えていたはずでしょう?」
「………」
「美雨は、何て言った?“嫌いだ”って?」
「………」
布団の中で首を振る。
実結には、伝わってようで「そっか」と答える。
「好きな人が居るって、言ったでしょう?」
「………」
もう一度、首を振る。
「じゃあ、美雨は、何て言ったの?」
「―――“嘘つき”」
聞こえるかどうか分からないほどの、自分でも吃驚するほど、小さな声で返事をする。
「はぁ?何それ!兄貴は、嘘なんて付かないよ!!」
そして、実結は「分かった!」と。
「明日、美雨をウチに連れて来る」
きちんと「嫌いだ!」と、美雨の口から聞くべきだと言う。
それこそ、強烈な破壊力。
精神的ダメージは、免れない。
「そうやって、明日も布団の中に篭ってれば?」
美雨もそんな兄貴を見れば、素直に「嫌い!」って言ってくれるよと、実結は
痛恨の一撃にも等しい捨て台詞を吐いて、部屋から出て行った。
次の日、宣言した通り、実結は美雨ちゃんを連れて来た。
こんなダメの男に「嫌いだ!」と、言う為だけに。
* * *
side:美雨
私は、声を掛ける為、小山のような布団に近付いた。
布団の横まで来て、隣に座る。
布団の小山の天辺をポンっと手を乗せる。
たったそれだ、中に居るヒロ兄は身体を震わせたのが伝わってくる。
「ヒロ兄、あのね、このままでもいいから、聞いて」
気を利かせてくれたのか、すっと実結は部屋を出て行ってくれる。
何をどう話せば良いのか、本当はもっと順序立てて話すべきだと思う。
だけど、私の口からは、ぽつりぽつりと取り留めの無い言葉が出て来るだけ。
「昨日は、ごめんなさい」
ヒロ兄は、何も言わないけど、私の話は聞いてくれるようだ。
「でも、ヒロ兄には好きな人が、他に居るでしょう?」
布団に乗せた手からヒロ兄が、ぎゅっと身体を小さくしたのが分かる。
「だから“嘘つき”って、言ってしまったの」
実結が私に耳打ちした台詞は、言わなかった。
ヒロ兄の為と言っても「嫌いだ!」なんて、言えるはずがない。
私には、口が裂けても無理。
「何が有ったかは知らないけど、嘘はダメって、昔から言ってたのはヒロ兄でしょう。それから、もうここには来ないから」
ごめんなさい、ともう一度謝って、立ち上がってヒロ兄の部屋を出て行こうとした時、手首を強く捕まれ振り向くとヒロ兄が真っ赤な目をして私を見つめていた。