【30】
金曜日。
仕事の合間に、ママは転居手続きを終わらせてしまった。
もちろん、婚姻届も。
担任からは、転校先、決まったら早く連絡するようにと言われ、苗字は変えずにこのままで構わないなと確認された。
そっか、名前“高梨”に変わるんだった。
土曜日。
明日は、引っ越しで部屋はダンボールでいっぱいになり、すっかり片付けられている。
お父さんも、ここ数日仕事も休んで片付けを手伝ってくれている。
夕方、あとは食事をしてお風呂に入って、眠るだけ。
3人で近くのお洒落なレストランで夕食を取って、お父さんはママと私を送ってくれた。
じゃあ、また明日と片手を挙げて帰って行くお父さんに、ママは「改めて、娘共々宜しくね」と微笑む。
幸せな二人を間近で見て、素敵だと思う反面、苛立ちを覚えてしまう。そんな自分が醜くて――。
心の振り子が行ったり来たりで、気分が落ち込む。
お風呂を済ませて、髪を乾かしているとママがそっとタオルを取って乾かしてくれる。
「今日は、久々に一緒にママと寝ちゃう?」
「え?」
「ベッドも梱包しちゃったし、出てるのは布団一つだけなのよ」
「………」
「狭いのは仕方ないけど、今日だけ美雨と一緒に寝たいな」
「ママ…」
今夜で、二人きりの生活に終わりを告げる。
幸せになるのに、どうして淋しく感じるのかな?
つらかった事、悲しかった事、泣いた事、たくさんの思い出が浮かんでは消えていく。
きっとママも私と同じ記憶を思い出しているんだと思う。
一つの布団にママとくっ付いて眠る。
小さい頃は、ママと一緒より一人で眠った方が多い。
むしろ、実結やヒロ兄と一緒に眠った事の方が多い。
小さな明かりが、何も無くなった部屋を照らす。
「こうやって、もっと美雨と一緒に居てあげたかった」
「………」
「もっと、甘えさせてあげたかった」
「ママ?」
「あの頃は、生きていく事だけで必死で…」
「………」
「美雨も、辛かったはずなのに」
「私は大丈夫だよ。実結も居たし、ヒロ兄も…」
確かに、パパは居なくなってからは生活も何もかも変わってしまって、淋しかった。
でも、実結にもヒロ兄にも出会えた。
不幸せばかりではない。無限の幸せを私に与えてくれる人達に私は感謝している。
「そう?」
ママが優しく問い掛けてくる。だから、私は「うん」と小さな声だけど強く答える。
「じゃあ、ママからのお願い」
「?」
「ママに我儘言って」
「……また、そんな事言って」
「ママを困らせて」
「……」
“ママを困らせて”って、逆に私を困らせてどうするの?
このままじゃあ、堂々巡りになりそうだったから「そのうちにね」と、返事をして話を終わらせた。
ママ一緒に眠る心地よさから、私はすぐに眠りに付く。
だから、ママが囁いた言葉なんて聞こえるはずもなく――。
「美雨、あなたも幸せになって」