【19】
昨夜、雨に濡れて…――という事があったおかげで、ママは私の仮病をあっさり信じてくれた。
そっと小さく息を吐く。でも、まだ実結は居る。
長い付き合いだからこそ、性格もよく理解している。
こうなった実結は、自分が納得しない限り、梃子でも動かない。
「何があったか、話してくれるよね」
「…実結」
私も実結もお互いの家を行き来してるから、キッチンも何が何処にあるのか知り尽くしている。
実結は、キッチンに立ってお湯を沸かしている。
朝、食べてない私には、インスタントのポタージュスープを、実結は自分にコーヒーを淹れ、テーブルにコトっと置いてくれる。
それが、合図――さぁ、話なさい、と実結全身で言っている。
嘘は付きたくない、でも本当の事も言いたくない。
出来る範囲で、言葉を選びながら話そうと心に決める。
「昨日の夜、…ヒロ兄に会ったの」
実結は、驚いた顔をして何かい言いたそうな素振りを見せたけど、話を遮るのは得策ではないと思ったのか、ただ黙って続きを待っている。
「会ったのに…、久しぶりに会ったのに、逃げたの」
「あ、会っただと~~っ?!」
驚きの声を上げて、実結は「ボケ兄貴め!」とこめかみがピクっと引きつらせている。
「だから、私、追いかけたの――でも、追いつけなくて――」
「ご、ごめんっ!美雨!!」
最後まで言わなくても、実結は分かったんだろう。頭を下げて、真剣に謝るから何も言えない。
「実結は、謝る必要は無いよ」
「私が“禁止令”なんか出したから…」
例え“禁止令”のせいであっても、ヒロ兄は実結の事を考えて動いた結果だと思う。
それほどまでに、兄妹の関係は強いのだと。
きっと2人にしか分からない、何かがあっての“禁止令”。
「ううん、実結はヒロ兄には優しいし、ヒロ兄も実結には優しいから」
「…はぁ?!何言ってるの!!私が兄貴に優しいなんて有り得ない!!」
嫌そうな顔をして強く否定してたかと思えば、瞬時に心配そうな顔をして「“美雨接近接触禁止令”は美雨の為なんだよ!」と言われてしまう。
よく理解出来てない私は、頭の中は「?」でいっぱいだ。
「とにかく、禁止令は撤回するよ」
また、偶然会って、追いかけっこになって、さらに怪我でもしたら大変だし――実結はそう言って、電話の傍にあるメモに何やら書き出した。
「美雨、これ、渡しておく」
差し出されたメモには、住所と名前、そして電話番号が書いてあった。
「今、兄貴がお世話になってる友達の名前と連絡先」
「!」
「月曜日だし、仕事も無いし、今日の兄貴は油断してると思う」
「………」
真面目な顔をして“油断してる”って。
気を許しているヒロ兄を想像してしまうと可笑しい。
「まさか、美雨にこんな怪我をさせてしまうなんて――本当に、ごめん」
私も、心の中で「ごめんね」と謝る。
実結には悪いけど、結果的にはこれで、ヒロ兄に会える。
もしまた、逃げ出そうとすれば、禁止令は無くなったと言えばいい。
これからすぐに、会えるんだと思うと心が踊る。
実結に見えないように、メモを持つ手に力を込めた。