【17】
傘を差すほどでもなかった雨は、大粒の雨に変わっていく。
雨宿りをするにも、アパートまであと少し。
手にしていたバッグを胸に抱き、駆け出そうとした瞬間――目の前を人影が横切った。
「!――ヒロ…兄…!」
「…え?美雨ちゃん!」
街灯の下、それはまるでスポットライトよう。
ビニール傘を差して驚いた顔を見せるヒロ兄。
でもすぐに表情は“しまった!”“困った!”という風に変わる。
「――っ!?ヒ、ヒロ兄…?」
「ご、ごめん!」
咄嗟の事で、何が起こったのか理解するのに時間が少し掛かった。
いきなり走り出したヒロ兄。駆け出した先は、もちろんアパートの方じゃなくて……。
う、嘘!?嘘でしょう!!
「待っ――」と、途中まで言い掛けて、私も駆け出す。
ヒロ兄の背中を追って――。
今、ここで見失ったら、もう二度と会えなくなってしまうのではないかと強迫観念にも似た気持ちを持って――。
出来たばかりの水溜りも、乱れるスカートの裾も、そしてどこをどう走っているのかも気にする余裕も無く、ただ走って――。
でも、ヒロ兄と私の距離は縮む事は無く、離されていくばかり。
本気で逃げて行くヒロ兄に追いつく事なんて出来るはずも無く。
「きゃっ!!」
見事なまでに転んでしまった。
「どうして…、どうしてっ!!」
呟いても、大声で叫んでも、もうヒロ兄には届かない。
見慣れたはずのヒロ兄の背中は、夜の暗闇の中に消えてしまっていたから――。
全身を雨で濡らしてしまい、さらに転倒で泥だらけになり、しかも左腕と膝を擦り剥いてしまった。
私、何やってるんだろう?
血が滲んでいる腕を見て思う。
本当の痛みは、転んだ怪我ではなく心の方。
もしかして、私、嫌われてたの?
私が知らなかっただけで、本当は面倒な子だと思われていたの?
実結が居たから、仕方なく私とも一緒に居てくれたの?
あんなあからさまな態度で、逃げて行くなんて信じられない。
私だって、こんなに全力で走った事なんてないのに。
だんだん雨は強くなる中、怪我をした足を引き摺りながら歩く。
アパートの玄関のドアを開け、中に入った途端、電話が鳴り響く。
「――もしもし…」
「美雨、帰ってるなら電話してくれないと心配するでしょう」
電話の相手はママだった。
そう言えば、家に着いたら電話するように言われていたのを思い出す。
「ママ、ごめんなさい。雨に濡れて先にお風呂に入っていたの」
「そうなの。じゃあ、風邪引かないように早く寝なさいね」
ママには、気付かれていない。私の声が震えている事に。
もう、今にも溢れてしまいそうな涙。
お互いに「おやすみ」と言って受話器を置く。
その瞬間、もう立っていられなくてその場に崩れ落ちる。
声を張り上げて泣き叫びたい。
でも、涙が頬を伝うだけ。
声を無くした人魚姫のように、ただ手のひらに中に涙の粒が落ちていくだけ。
いっその事、初めから言葉なんて持っていない方が良かった。
伝える手段が無ければ「好き」なんて言葉を伝えたいと思わなかっただろう。
たった「好き」という二文字のを言葉にして伝えたいだけなのに、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
神様が、ヒロ兄には本命という他に好きな人が居るから、無駄な事をするな!諦めろ!って言ってるのかな?
そんな事を考えながら、雨に濡れたままの身体を抱きしめ、夜は更けていった。