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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第99話 勇者救出作戦と、人をダメにする迷宮

「……はぁ、はぁ。ルナ、息はあるか。あともう少しだ。あともう少しで、アレックスを助け出せる……ッ」

 エデン領の地下深くに広がる、旧・地下遺跡。

 全身を分厚い鋼の鎧で包んだ聖騎士ガウェインは、脂汗を流しながら大剣を杖代わりにして歩みを進めていた。

 隣を歩く魔導師ルナも、泥と魔物の返り血に塗れたローブを引きずり、今にも倒れそうな足取りだ。

 数ヶ月前、辺境に潜む「新興の魔王」を討つと言って王都を旅立った、彼らのリーダーである勇者アレックス。彼からの連絡が途絶え、残された二人は決死の覚悟で救出の旅に出たのだ。

 雨の日は泥水をすすり、冷たい岩肌で身を寄せ合って眠り、ブーツの底のような硬い干し肉を齧りながら、ついに魔王アルリックの拠点へと潜入した。

「気をつけて、ガウェイン……。この迷宮、おかしいわ」

 ルナが震える声で囁いた。

 地下深くの迷宮だというのに、カビ臭さや湿気がまったくない。それどころか、空気は魔法で完璧に浄化され、室温は快適な二十二度に保たれている。どこからか、ほのかにラベンダーの香りすら漂っていた。

「油断するな。きっと、我々の精神を弛緩させる恐るべき幻惑魔法だ。アレックスは今頃、この奥で凄惨な拷問を受けているに違いない……!」

 ガウェインは決死の覚悟で、最深部の大扉を勢いよく蹴破った。

「アレックス!! 今、我々が助け――」

 だが、二人の絶叫は、間抜けな声によって遮られた。

「あー、そこそこ。肩甲骨の下の筋膜ね。そこが張ってるんだよ」

 無駄に広くて清潔な空間。

 眩いほどの魔導照明の下で、アレックスはエデンのロゴが入ったフカフカのスウェット姿で、巨大な半透明の球体スライムの上にデロデロに溶けていた。

 しかも彼の手にある『聖剣エクス・カリバーン』は、なぜかブゥンブゥンと奇妙な音を立てて微振動している。

「ア……アレックス!? 貴様、何をしているんだ!」

「おっ、ガウェインにルナ。遅かったじゃないか。ほら見てよ、僕の聖剣。この剣から出るα波の微弱な振動をスライムに当てて揉み込むと、極上の『低反発マッサージ機』になるんだよ。今はエステコースの最中だ」

「は……? せ、聖剣を、マッサージ機に……?」

 ガウェインが呆然と立ち尽くしていると、アレックスが「まあ、長旅で疲れただろ? いいから座れよ」と、ガウェインの足元に丸いクッションを投げた。

「ふざけるな! 我々はお前を助けるために、血を吐くような思いで――」

 怒りに任せてガウェインがそのクッションを踏みつけた、瞬間だった。

 ――ふにぃぃん。

「なっ!? 床が――沈むッ! 底なし沼のトラップか!」

「違うよ。それはアルリック様が敷き詰めた『人をダメにするクッション』さ」

(解像度を上げろ。……非ニュートン流体の粘度を調整し、接触した瞬間に体圧を等方的に完全分散。単位面積あたりの荷重を極小化し、重力と釣り合う反発力のみを残して筋肉の緊張を強制的にゼロへと書き換えろ)

「……っ!!?」

 ガウェインの巨体が、二十五キロある鎧の重さごと、スライムの海へと音もなく吸い込まれる。

 冷たい金属の不快感も、数ヶ月に及ぶ野営で凝り固まった腰の痛みも、すべてが「完璧な体圧分散」によって無重力空間に放り出されたように消え去った。

「あ……。あああ……っ。腰が……。長年の重荷だった、あの世界を救う義務感が……溶けていく……」

「ガウェイン!? 幻惑魔法に負けないで!」

 ルナが杖を構えようとした、その時。

 ――ぐぅぅぅぅぅぅっ。

 静かな部屋に、ルナの腹の虫が盛大に鳴り響いた。

「ああ、お腹空いてるよね。ちょうど僕の夜食ができたところだ」

 アレックスが、魔導スチームコンベクションオーブンから湯気を立てる銀色のトレイを取り出した。

 ルナの鼻腔を直撃したのは、理性を焼き切るような「ニンニクと乳脂肪」の暴力的な香りだった。エデンの温室で採れた色鮮やかな緑のアスパラガスと純白のカブが、黄金色のソースを纏っている。

「ルナ。一週間の野営で食べた、あのブーツみたいな干し肉を思い出してごらん? ……さあ、あむっ、して」

「ふざっ……! 私は、勇者パーティの魔導師……こんな怪しい食べ物……んっ。…………っ!!???」

 ルナの杖が、カランと床に転がった。

 アンチョビの強烈な塩味と、オリーブオイルの円やかなコクが「乳化」によって完璧に混ざり合った熱々のバーニャカウダソース。それが、100度の飽和水蒸気で極限まで甘みを引き出されたアスパラガスの断面に絡みつき、口の中でサクッ、ジュワァァッと音を立てて弾けたのだ。

「おいひい……っ。何これ、意味が分からない……。私たちが命懸けで守ろうとしていた王都の宮廷料理が……ただの残飯に思える……」

 そこへ、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、一人の青年がやってきた。

 首には美しい皇帝オコジョの神獣ブランを巻き、ひどく眠そうな目をしているエデン領主、アルリックだ。

「……アレックス。地下からうるさい悲鳴が聞こえるんだけど。僕の睡眠の邪魔ノイズをするなら、君の部屋の除湿機の電源を切るよ」

「す、すみませんアルリック様! 昔の仲間が迎えに来ちゃいまして! でも大丈夫です、もう胃袋とクッションで無力化しましたから!」

 アルリックは、クッションの上で赤子のように丸まる巨漢の騎士と、ソースを口の周りにつけて恍惚としている魔導師を交互に見下ろした。

「ふぅん。……まあいいや。その聖騎士、ガタイがいいから明日から透水性アスファルト運搬の重機代わりに使おう。そっちの魔導師は、温室の温度管理の並列処理に回して。三食と風呂は保証するから」

「アルリック様! 慈悲深きご処置、ありがとうございます! おい、お前ら。再就職だぞ! 福利厚生は『1日10時間の睡眠保証』と『週一の回転寿司・海王丸』だ!」

「……ああ……エデン万歳……。俺は……もう、戦いたくないんだ……」

 魔王の討伐を誓い、世界を救うはずだった勇者パーティ。

 彼らはたった数枚のクッションと、ひと皿の温野菜によって、その「正義感」を分子レベルで分解され、完全なエデンの社畜(定住者)へと成り下がったのである。

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