第96話 兄の謀略と、氷点下と灼熱のアフォガート
王都のクロムウェル公爵邸。
長雨の湿気とカビ臭さに包まれた薄暗い大広間で、長男ヴィクトールは苛立ちと共に『遠話の水晶』を睨みつけていた。
「……話はついたな、ガレリア帝国の将軍よ。我が公爵家の私兵と、貴殿の国境警備隊で挟み撃ちにする。あの生意気な弟からエデン領を没収し、技術は帝国へ引き渡そう」
水晶の向こう側に映る帝国の将軍が、重々しく頷く。
母と妹に逃げられ、王太子ルディウスからも「エデンの通販の邪魔になる」という理由で見放されたヴィクトールは、ついに敵国である帝国軍と結託してアルリックを潰すという凶行に出たのだ。
「フン、火力を持たぬ無能め。俺の『大炎球』と帝国軍の数の暴力の前に、あの鉄屑(飛行車)ごと平伏すがいい……!」
ヴィクトールが狂気を孕んだ笑いを上げた、その瞬間だった。
――ピィィィィンッ!!
突如、通信用の水晶が鼓膜を破るような高音を発し、帝国の将軍の映像がノイズと共に吹き飛んだ。
「な、なんだ!? 通信妨害か!?」
代わりに水晶の上に浮かび上がったのは、不気味なほど鮮明で立体的な、二人の貴婦人のホログラム映像だった。母セシリアと、姉フェリシアである。
『あら、ヴィクトール。まだそんなカビ臭い部屋で、暑苦しい顔をしているのですか?』
「は……母上!? なぜエデンから、王都の軍事通信回線に割り込めるのです!」
『ふふっ。アルリックが言うには、「低周波の魔力通信なんて、電磁波の出力を少し上げるだけで簡単に上書き(ハッキング)できる」そうですわよ』
ホログラムの中の母と姉は、全自動マッサージチェアに深く腰掛け、見たこともないほどツヤツヤの肌を輝かせていた。さらに彼女たちの手には、ガラスの器に盛られた純白の冷たいスイーツが握られている。
『見てごらんなさい、この**「ソフトクリーム」**を。……ただ氷魔法で冷やすのではありませんのよ』
***
――同時刻。エデン領、領主館のサンルーム。
室温は冷房で完璧な22度に保たれている。
アルリックは、魔導スチコンの横に設置した巨大な銀色のボウルに向かい、魔力を練り上げていた。
(解像度を上げろ。……氷魔法でボウルの周囲から急速に熱を奪う『吸熱反応』。同時に風魔法で激しく撹拌し、ミルクに空気を抱き込ませる)
グルグルグルッ!
凄まじい速度で回転するミルクと生クリームが、急激に冷やされながらフワフワに膨らんでいく。
「アイスクリームの滑らかさは、氷の結晶の大きさと、含まれる空気の量で決まる。空気含有量を40%に固定し、氷の結晶が成長する前に極微小サイズで凍結させるんだ」
完成したソフトクリームを、美しいガラスの器に高く絞り出す。
純白で、雲のように軽い、究極の冷たいスイーツだ。
「これだけでも美味いですが、今日はこれでは終わりませんわよね、アルリック様?」
エレノアが、期待に胸を膨らませてゴクリと喉を鳴らす。
「ああ。冷たいものには、熱くて苦いものを合わせるのがQOLの極致だ」
アルリックは、自作の『魔導エスプレッソマシン』のレバーを下ろした。
(解像度を上げろ。……水蒸気圧を利用し、9気圧の圧力をかけて深煎り豆の成分を瞬間抽出する)
シューーーッ……ポタッ、ポタッ。
濃厚で真っ黒なエスプレッソが、黄金色のクレマ(泡)を伴って抽出される。焦げたカラメルのような、暴力的に香ばしい匂いが部屋中に充満した。
「さあ、純白のソフトクリームの上から、この熱々のエスプレッソを惜しげもなくかける。……完成だ。『氷点下と灼熱のアフォガート』」
トロォォォッ……ジュワァァァ……!
熱いコーヒーが冷たいソフトクリームに触れた瞬間、表面が微かに溶け出し、純白と漆黒の美しいマーブル模様が描き出された。
レオナルドが、たまらずスプーンを入れる。
冷たいアイスと熱いコーヒーを同時にすくい上げ、口へ運ぶ。
「あむっ……! つめっ! いや、あつっ!? ――うおぉぉぉっ!!」
レオナルドが目を見開く。
「冷たいのに熱い! 苦いのに……直後にめちゃくちゃ濃厚なミルクの甘みが追いかけてきやがる! 口の中で、真冬と真夏が同時に爆発してるみたいだぜ!!」
「んんっ~! エスプレッソの香ばしさが、ミルクの脂肪分で包み込まれて、たまらないコクになっていますわ! 溶けかけたドロドロの部分が、もう……ッ!」
エレノアも頬を押さえ、うっとりと身悶えしている。
その様子を、ブランがアルリックの首元からジッと見つめていた。
アルリックが小さなスプーンでアフォガートを差し出すと、ブランは「キュゥ……」と気品高く鳴き、ペロリと一瞬で平らげ、満足げに喉をゴロゴロと鳴らした。
***
――再び、王都のクロムウェル公爵邸。
ホログラム通信の向こうで繰り広げられる「アフォガートの宴」と、視覚暴力とも言えるトロトロのマーブル模様。そして、熱々のコーヒーと冷たいミルクが混ざり合う、甘く香ばしい匂い(アルリックのハッキング技術は、嗅覚のデータまで転送していた)。
ゴクリ。
ヴィクトールの背後で控えていた、公爵家の精鋭騎士たちが、一斉に喉を鳴らした。
『さあ、ヴィクトール。あなたも無意味な「火力」を誇示するのはやめて、早くこの快適な世界へ下働きにいらっしゃい? 今ならまだ、草むしりのポジションが空いているそうですわよ』
『おほほほ! では、わたくしたちはエステの時間ですので、ごきげんよう!』
プツンッ。
ホログラムが切れ、大広間に再び湿っぽいカビの匂いと、静寂が戻った。
「……くっ、ふざけるな! あんな甘味の幻影で、俺の意志が揺らぐとでも……!」
ヴィクトールが怒り狂って振り返ると。
そこには、剣と鎧を床に放り捨て、静かに荷造りを始めている騎士たちの姿があった。
「お前たち、何をしているッ! 出撃の準備か!?」
「……ヴィクトール様。申し訳ありません」
騎士の隊長が、虚ろな目で答えた。
「俺たち……冷たくて熱い、あのアフォガ……なんとかが食べたいんです。……エデンへ行って、草むしりをしてきます」
「なっ!? 貴様ら、クロムウェル家の誇りを捨てる気か!」
「誇りでは、舌と胃袋は満たせませんので。……今までお世話になりました」
次々と屋敷を出ていく騎士たち。
ヴィクトールは誰もいなくなった大広間で、ギリッと歯ぎしりをして叫んだ。
「ええい、おのれアルリック……! セバスチャン! セバスチャンはおらんか! あの裏切り者の騎士どもを捕らえよ!」
その声に応え、広間の影から一人の老齢の男が姿を現した。
かつてアルリックを連れ戻しにエデンへ向かい、無惨に敗退した公爵家の元執事・セバスチャンである。
だが、その顔はゲッソリとやつれ、手には辞表と、分厚い書類の束が握られていた。
「……ヴィクトール様。申し訳ありませんが、私もこれよりエデンへ向かいます」
「な、なんだと!? セバスチャン、貴様までクロムウェル家を裏切るというのか!」
「裏切るも何も……」
セバスチャンは、虚ろな目で手元の書類――アルリックから突きつけられた『不当解雇慰謝料および精神的苦痛に対する損害賠償請求書』をパラパラと捲った。
「あの日、私がエデンで目にした『全自動洗濯機』と、ボタン一つで乾燥まで終わる『純白のシーツ』……。執事として、あの完璧な家事の数々を知ってしまった以上、このカビだらけの屋敷での終わりのない掃除など、もはや拷問と同じです。……残りの借金は、当主代行であるヴィクトール様宛てに名義変更しておきましたので。それでは、ごきげんよう」
セバスチャンは深々と一礼すると、異常なまでの俊敏さで屋敷を飛び出し、エデン行きの乗合馬車(サスペンション付き)へと走っていった。
後に残されたのは、家族にも、部下にも、ただ一人の執事にすら見捨てられ、途方もない額の借金を背負わされたヴィクトールただ一人。
「ア……アルリックゥゥゥゥゥッ!!」
彼が全力で放った怒りの大炎球は、湿気を含んだ屋敷の壁を少し焦がしただけで、虚しく消え去るのだった。




