第94話 強奪された背徳の味と、帝国最前線の崩壊
深夜のエデン領主館。
アルリックは自室のフカフカなソファに深く腰掛け、不満げに眉をひそめていた。
「……キース。どういうことか説明してくれるかな。僕の『深夜のQOL』を著しく向上させるための試作品が、ごっそり消えているんだけど」
執務用の魔導タブレットを抱えた実務官キースが、胃を押さえながら頭を下げる。
「申し訳ありません、アルリック様。……国境の『道の駅』に輸送中だった試作品の木箱が、ガレリア帝国の斥候部隊に強奪されました。警備兵は最新の暗視ゴーグルで捕捉していたのですが……スパイのバイパーたちから『わざと見逃してやれ』と謎の指示がありまして」
「……はぁ。バイパーとコブラの奴ら、また勝手な工作活動を」
アルリックは深いため息をついた。
強奪されたのは、ただの食料ではない。アルリックが「どうしても夜中にジャンクなものが食べたくなる発作」を鎮めるため、ガリンたちと共同開発した**『エデン式・即席カップ焼きそば』**だった。
(解像度を上げろ。……小麦粉に『かんすい』を加えて麺のデンプンをα(アルファ)化し、高温の油で瞬時に揚げる。水分が蒸発して多孔質になった麺は、お湯を注ぐだけで元の状態に復元される**『瞬間油熱乾燥法』**だ)
「まあいい。……あれの『暴力的なまでの旨味』を前に、帝国軍が正気を保てるならの話だけどね」
アルリックは、別のストックを取り出しながら冷たく笑った。
***
一方その頃。
冷たい雨が降りしきる、泥まみれのガレリア帝国・最前線基地。
見張りの兵士たちは、塩でガチガチに固められた干し肉と、石のように硬い黒パンを水で流し込みながら、震える体を寄せ合っていた。
「クソッ、エデンの連中はあんな光り輝く街に住んでるってのに、なんで俺たちはこんな泥の中で……ん? おい、斥候部隊が持ち帰ったあの箱、なんだ?」
兵士の一人が、陣幕の隅に置かれた木箱を開けた。
中には、四角い紙製の容器がぎっしりと詰まっている。蓋には親切にも、エデンの公用語で『作り方』が書かれていた。
『①同封の魔石(発熱パック)を底に入れ、水を注ぐ。②三分待つ。③湯切り口からお湯を捨てる。④ソースを絡めて完成』
「……なんだこれ? 水を入れると熱くなるのか?」
半信半疑の兵士が、容器の底に水を注いだ。
シュゥゥゥゥッ!!
「うおっ!?」
生石灰(酸化カルシウム)と水が反応する水和熱を利用した発熱パックが、一瞬で中の水を沸騰させる。
兵士たちは警戒しながらも、暖を取るようにその容器を囲み、きっちり三分待った。
「よ、よし。ここからお湯を捨てるらしいぞ。……あちっ」
ペリッとシールの湯切り口を剥がし、テントの外へお湯を捨てる。
そして、最後の手順。
銀色の小袋に入った『特製液体ソース』を、熱気立ち昇る縮れ麺の上へとかけた。
――ジュワァァァァッ!!
その瞬間、帝国軍の陣幕内に、かつて嗅いだことのない**「暴力的な香り」**が爆発した。
「な、なんだこの匂いは……ッ!?」
「脳髄が……直接揺さぶられるような……っ!」
焦がしラードの濃厚な油の匂い。
数十種類のスパイスとフルーツを煮詰めた、甘辛いソースの香り。
そして何より、アルリックが科学の力で精製した**『悪魔の粉(化学調味料)』**――昆布のグルタミン酸と、鰹節のイノシン酸が引き起こす「旨味の相乗効果」が、兵士たちの本能を狂わせる。
たまらず、一人の兵士が木のフォークで麺をすくい、口の中へとかき込んだ。
ズズッ、ワシャッ……。
「……っ!!??」
兵士の目が見開き、手からフォークが滑り落ちた。
スパイシーなソースが絡みついたジャンクな縮れ麺が、口の中で強烈な旨味を放ちながら解けていく。帝国の薄味で硬い保存食しか知らない彼らの舌にとって、それは完全に「オーバードーズ(過剰摂取)」だった。
「う……美味すぎる……ッ! なんだこれ、噛めば噛むほど油と甘みが……止まらねぇ!!」
「俺にも一口食わせろ!!」
「ふざけんな! これは俺が見つけたんだ!!」
理性を失った兵士たちが、カップ焼きそばを巡って泥の中で取っ組み合いを始めた。
騒ぎを聞きつけた小隊長が、テントに飛び込んでくる。
「貴様ら、何をしている! 敵国の物資に手を出すなど、帝国の誇りを忘れたか!」
小隊長は兵士を蹴り飛ばし、奪い取ったカップ焼きそばを地面に叩きつけようとした。
だが、手元から漂う**「ジャンクなソースの匂い」**が、小隊長の鼻腔を直撃した。
「……ゴクリ」
小隊長は無意識に喉を鳴らし、震える手で、残っていた一本の麺を口に運んでしまった。
「…………ッ!!!」
その夜。ガレリア帝国最前線の第一小隊は、何者とも交戦することなく「全滅」した。
翌朝。
エデンの国境関所に、泥まみれの帝国兵数十名が、空っぽになった四角い容器を大事そうに抱えながら白旗を振って歩いてきた。
「頼む……! 武器も防具も全部置いていく! 奴隷でもなんでもするから……あの『ヤキソバ』を、もう一度俺たちに食わせてくれぇぇぇっ!!」
彼らはもはや、誇り高き帝国兵ではなかった。
エデンの生み出した「圧倒的なQOLとジャンクフード」の前に屈した、ただの腹を空かせた虜囚だった。
***
「……というわけで、帝国最前線の小隊が、カップ焼きそばの空容器を持ったまま集団投降してきました」
報告を聞いたアルリックは、自室のベッドでブランを抱き枕にしながら、深くため息をついた。
「ただの夜食だよ? どんだけ食生活の解像度が低いんだ、あの国は。……まあいい。投降兵は『クレンジング・ゲート』に放り込んで、透水性アスファルトの敷設工事に回して」
「承知いたしました。……アルリック様、恐ろしいお方だ」
キースが畏敬の念を込めて呟くが、アルリック本人はすでに二度寝の態勢に入っていた。
一滴の血も流さず、ただ**「不健康で最高に美味い夜食」**を一つ奪わせただけで、大陸最強の軍隊が崩壊し始めた。
魔法の解像度は今や、国家の軍事バランスすらも狂わせようとしていた。




