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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第91話 神獣のストライキと、黄金の焦げ目(シーフードグラタン)

 エデン領を灰色のベールで包み込む、終わりのない雨。

 季節外れの長雨――梅雨の到来により、屋敷の窓ガラスはひっきりなしに水滴の軌跡を描いていた。

 この数日、エデンのリビングはどこか静かだった。いつもなら僕の首元に陣取り、ふんぞり返っているはずの「最強の生きたマフラー」の姿がないからだ。

「……アルリック。最近、ブランの奴を見ないが、まさかお前の過剰なスキンシップに嫌気がさして家出したんじゃないだろうな?」

「不敬ですよ、レオナルド。きっと神獣様には、我々には計り知れない深遠なるお考えがあるのですわ」

 唐揚げを齧りながら適当なことを言うレオナルドと、上品に紅茶を啜るエレノアを後目に、僕は深いため息をついた。家出などではない。今も彼は、この屋敷の中にいる。

 僕は自室の扉を開け、キングサイズのベッドへと歩み寄った。こんもりと膨らんだ羽毛布団。その端をめくると、暗がりの中で「キュウゥ……」と情けない声が響いた。

「……そろそろ出ておいで、ブラン。ご飯の時間だ」

「キュゥ……。(……断る。今の我の姿は、神獣としての威厳を著しく損なっているのだ)」

 布団の奥で丸まっていたのは、見る影もなくボサボサになったブランだった。

 原因は二つ。一つは『換毛期』。そしてもう一つが、この『梅雨の異常な湿気』だ。抜けかけの毛が湿気を吸い、まるで「水に落ちたタワシ」のような惨状を呈していた。

「君の美学は尊重するが、僕のQOL(生活の質)は君の肌触りにかかっているんだ。……任せておけ。科学の力で、不快なノイズ(湿気)を消去してやる」

 僕は部屋の四隅に、魔石を組み込んだ魔導具を設置した。

 魔法理論の展開――ターゲットは**『空気中の水分子(H2O)』**だ。

「風魔法で吸気し、氷魔法による『ペルチェ効果』を擬似再現する。室内の空気を露点温度以下まで冷却。飽和水蒸気量を強制的に引き下げ、気体として存在できなくなった水分を結露させ、物理的に分離・排出する」

 ポタポタと水が排出され、代わりに熱魔法で適温に戻された「乾いた空気」が部屋を満たす。湿度80%超の不快な空間が、瞬く間に湿度40%の最適環境へと書き換えられていく。

「さあ、仕上げだ」

 湿気が消え、体が軽くなったブランに『静電気防止付ブラシ』を当てる。乾いた空気の中、不要な冬毛がスルスルと抜け落ち、そこには――極上の艶を誇る「美しい夏毛」の神獣が復活した。

「キュゥ……。(……うむ。この流線型のフォルム。我が神々しさが戻ったようだな)」

「よし。相棒の毛並みが整ったところで……冷える雨の日には、熱々の『あれ』を作ろうか」


 厨房に降り立った僕たちは、因縁の発明品――『魔導スチコン(スチームコンベクションオーブン)』の前に立っていた。

「アルリック殿、今日は何を作るでござるか?」

「今日は原点回帰の『洋食』だよ、カエデ。……まずはソース作りだ」

 フライパンでバターを溶かし、小麦粉を投入する。

「焦がさないよう弱火で炒め、デンプンを油膜でコーティングする。そこへ冷たい牛乳を投入。……カゼインによる『乳化だ」

 純白で滑らかなベシャメルソースに、北の海の恵み――プリプリの天然エビと、繊細な甘みのズワイガニ、そしてアルデンテに茹でたマカロニを絡める。

 仕上げに、雪のようなチーズをこれでもかと降り積もらせ、スチコンへと滑り込ませた。

「上火出力を最大に固定。……魔法の仕上げだ」

 数分後。厨房から暴力的な香りが漂い始めた。

 ジュワワワッ……グツグツ……。

「ああっ……! チーズの焦げる香ばしい匂いが……! 胃袋を直接掴まれているようですわ!」

「アミノ酸と糖が熱振動で結合する**『メイラード反応』**だ。人間が本能的に抗えない香りの極致だよ」

 チンッ!

 取り出した耐熱皿の中では、純白のソースがマグマのように煮え滾り、表面のチーズは完璧なきつね色の焦げ目をつけていた。

「完成だ。『北海シーフード・マカロニグラタン』」

「い、いただきます!」

 レオナルドがスプーンを入れる。

 **サクッ……**という心地よい音。

 直後、トロォォォリと黄金色のチーズが糸を引く。

「あっつ! はふっ、はひぃっ……! うおぉっ、エビが口の中でプリッと弾けやがる! ソースが濃厚なのに、後味が驚くほど滑らかだぜ!」

「んんっ~! カニの甘みが、ミルクのコクと完璧に調和していますわ! 雨の日の冷えが、芯から温められていきますわ!」

 ブランは言葉を発しない。ただ、残像が見えるほどの速度で、己の皿を一滴のソースも残さず舐め尽くした。それが彼なりの最高級の賛辞だ。

 やがて、満足したブランがふわりと僕の首元に着地した。

 さらさら、ふわふわ。

 除湿された空気の中、最高級の夏毛の温もりが僕を包む。

(……やはり、エデンに不快なノイズは不要だ)

 外の鬱陶しい雨音など、もはや誰も覚えていなかった。

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