第89話 炎色反応の夜空と、ソース焦がし焼きそば
西の海から帰還したアルリックたちを待っていたのは、いつもと違うエデンの夜だった。
時刻は夕暮れ。
メインストリートには、無数の「提灯(魔石ライト)」がぶら下がり、通りは浴衣のような薄着を纏った領民たちで溢れかえっている。
「……なんだ、この騒ぎは?」
アルリックが車を降りると、東の国出身のカエデとジンが駆け寄ってきた。
「おかえりなさいませ、主殿! 留守の間に、今年も『夏祭り』の準備を整えておいたでござるよ!」
「ああ、去年のアレか。たしかに悪くないQOLの娯楽だったけど」
「はい。去年が大変好評だったので、今回は主殿の帰還祝いも兼ねて規模を拡大したのです」
見れば、通りには屋台が並び、射的や金魚すくい(ポイは紙ではなくスライム膜)のような遊び場ができている。
素晴らしい。領民のガス抜きとしても完璧だ。
だが。
ドォォォォン!!
上空で、何かが不格好に爆発した。
「……あれは?」
「花火の代わりでござる! ガリン殿が留守で火薬が足りず、魔法使い部隊に空に向かって『ファイアボール』を撃たせているのでござる!」
見上げると、ただの赤い火の玉が、不規則にドカドカと爆発しているだけだった。
色も形もなく、ただうるさい。これでは花火というより「対空砲火」だ。
「……美しくない。去年の僕の『解像度』を忘れたのか」
アルリックは眉をひそめた。
「あれはただの爆発だ。……去年からさらにアップデートした『本物の光の芸術』を見せてやる」
***
アルリックは急遽、工房へ向かった。
用意したのは、備蓄していた特製火薬と、様々な「金属粉末」だ。
「花火の色は、魔力で無理やり着色するんじゃない。化学(炎色反応)の力だ」
彼は金属粉を精密に調合していく。
「ストロンチウムの深紅。銅の青緑。バリウムの緑。……今年はこれらを多層構造に配置し、空中で色が変化する『多段式・割物火薬』に仕上げる」
(解像度を上げろ。……燃焼温度と金属イオンの励起状態を完全にコントロールし、時間差で波長を遷移させろ)
アルリックは、改良型の打ち上げ筒を設置した。
「さあ、祭りの本番だ。……点火!」
***
ヒュルルルルル……(風切り音)。
一筋の光が、夜空高くへと昇っていく。
屋台を楽しんでいた人々が、一斉に空を見上げた。
ドンッ!!
夜空に、巨大な「光の菊」が咲いた。
「「おおおおぉぉッ!!??」」
歓声が上がる。
それは単色の火の玉ではない。中心から外側へ、赤、緑、青と色が鮮やかに変化しながら広がる、完璧な円形の花火だ。
「きれい……。色が、変わった……」
今年からエデンに加わった魔女ルルナが、口をポカンと開けて見上げている。
「金属イオンが熱エネルギーを受け取り、基底状態に戻る際に固有の光を放つ。……去年よりも精密に調整した、光の遷移だよ」
パラパラパラ……。
光の粒が、柳のように垂れ下がり、消えていく。その儚さこそが、夏の夜の醍醐味だ。
***
花火が終わると、強烈な空腹感が襲ってきた。
アルリックは、祭りの中心にある一番大きな屋台へと向かった。
そこには、鉄板の前でコテを振るうレオナルドの姿があった。
「へいらっしゃい! エデン名物『鉄板焼きそば』だぜ!」
ジュウウウウウッ!!
分厚い鉄板の上で、大量の麺とキャベツ、豚肉が踊っている。
そこへ、アルリック特製の「濃厚ソース」が投入される。
ジャァァァァァッ!!
爆発的な蒸気。
ソースが焦げる香ばしい匂いが、夜風に乗って会場全体を支配する。
甘く、酸っぱく、そしてスパイシーなあの香り。
「……たまらん」
アルリックの胃袋が収縮した。
花火もいいが、祭りの本質はこの「茶色い匂い」にある。
「大盛り一丁!」
渡されたパックには、山盛りの麺。
その上には、青のり、紅生姜、そして熱気でゆらゆらと踊る「かつお節」。
アルリックは割り箸を割り、豪快に麺を持ち上げた。
ズルルッ! ハフハフッ!
「…………ッ!!」
熱い!
だが、その熱さが美味い!
少し焦げたソースの苦味と、野菜の甘みが麺に絡みつく。
豚肉の脂が口の中で溶け出し、紅生姜の酸味がアクセントになって、無限に食欲を加速させる。
「ビール! 誰かビールを持ってこい!」
隣では、公爵(父)と国王が、浴衣姿で焼きそばを頬張りながら、キンキンに冷えたエールを流し込んでいた。
「ぷはぁっ! このソース味と麦酒……犯罪的な相性じゃな!」
「うむ。王宮の料理より、このジャンクな味が夏には合う!」
権力者たちも、ここではただの「酔っ払い」だ。
「……アルリック。私も」
ルルナが袖を引っ張る。
彼女の手には、すでに「りんご飴」と「チョコバナナ」が握られていたが、焼きそばの魅力には抗えなかったようだ。
「はい、あーん」
アルリックが食べさせてやると、ルルナはリスのように頬を膨らませた。
「……んぐ、んぐ。……濃い。……美味しい」
エデンの夜空には進化した花火。
地上にはソースの香り。そして笑顔の人々。
アルリックは、夜風に当たりながら最後の一口を飲み込んだ。
「……完璧な夏だ。QOL、測定不能」
だが。
そんな平和な祭りの夜に、人混みに紛れて「怪しい影」が近づいていた。
それは、エデンの噂を聞きつけてやってきた、隣国の「スパイ」だった。




