第87話 真夏の氷結地獄と、石狩鍋のバター雪崩
魔導飛行車『スリーピング・ビューティー号』は、成層圏から急降下し、西の海へと到着した。
眼下に広がる光景に、同乗していた魔女ゾーラが絶句する。
「な、なんだいこりゃあ!? 今は初夏だろう!?」
本来ならコバルトブルーに輝くはずの海が、水平線の彼方まで真っ白に凍りついていた。
波の形のまま凍結した海面。
そして、その中心にある『回転寿司・海王丸』の店舗も、巨大な氷柱つららの中に閉じ込められている。
「……ひどい。これじゃあ、シャリが凍って『アルデンテ』どころか『石』になってしまう」
アルリックが嘆くポイントはそこだった。
車を氷上に着陸させると、一行は外へ出た。
気温はマイナス30度。
吐く息が瞬時に凍りつき、ダイヤモンドダストとなって舞う。
「クラーケン店長!」
レオナルドが叫ぶ。
店舗の中心には、10本の触手でマグロを掲げたままカチコチに凍った巨大なタコ(クラーケン)の姿があった。
まさに『瞬間冷凍』された海鮮だ。
「……おい、あそこに誰かいるぞ」
ルルナが氷山の一角を指差した。
そこには、透き通るような白い肌をした、小さな少女が体育座りをしていた。
彼女がため息をつくたびに、猛吹雪が発生している。
「……ハァ。……暑い。……もっと涼しくなあれ」
ヒュオオオオオ……!
「(解像度を上げろ。……この魔力パターンは精霊種)」
アルリックの目が光る。
「……『氷の精霊王(の娘)』か。どうやら、夏バテして涼みに来ているらしい」
「迷惑な避暑客だねぇ!」
ゾーラが杖を構えるが、アルリックが止めた。
「待て。力で排除すれば、反撃で海ごと粉砕される。……ここは『熱』で対抗するしかない」
「ファイアボールでもぶつけるのか?」
「いいや。……もっと芯から温まり、かつこの氷の世界にふさわしい『鍋料理』で、彼女を懐柔する」
***
アルリックは、収納魔法から巨大な土鍋を取り出した。
直径1メートルはある特注品だ。
「食材は現地調達だ。……レオナルド、そこら辺の氷を割って『鮭サーモン』を掘り出せ」
「おう! 天然の冷凍庫だな!」
レオナルドが大剣で氷を砕くと、旬の鮭がカチンコチンに凍った状態で出てきた。
鮮度は抜群だ。
アルリックは風の刃で鮭をぶつ切りにし、鍋に放り込む。
さらに、エデンから持参したジャガイモ、キャベツ、玉ねぎ、そして豆腐を投入。
「ベースは『昆布出汁』だ。……だが、この極寒の中で食べるなら、普通の鍋じゃ物足りない」
彼が取り出したのは、東の国から取り寄せた「特製・赤味噌」と「白味噌」のブレンドだ。
「味噌に含まれるアミノ酸と塩分が、冷えた体に活力を与える。……そして、仕上げの『魔法』だ」
グツグツと煮立ち始めた味噌スープ。
鮭の脂が溶け出し、オレンジ色の膜を作っている。
そこへ、アルリックは「黄色い延べ棒」のような塊を投入した。
ドサッ。
「……バター!?」
ルルナが目を丸くする。
「そうだ。……北海道(北の地)の漁師飯『石狩鍋』には、乳脂肪分のコクが不可欠だ」
ジュワワワワ……。
熱々の味噌スープの上で、巨大なバターが溶けていく。
味噌の香ばしい匂いと、バターの芳醇なミルクの香りが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を刺激する「黄色い雪崩」が起きた。
***
「……ん? いい匂い……」
体育座りをしていた氷の精霊の少女が、鼻をひくつかせた。
彼女の周りの吹雪が、少しだけ弱まる。
「お嬢さん。……涼むのもいいが、アイスばかりじゃお腹を壊すよ」
アルリックは、取り分けた石狩鍋を差し出した。
湯気がもうもうと立ち上っている。
「……熱そう。ヤダ」
「フーフーしてあげるから」
アルリックはスプーンですくい、息を吹きかけて適温にした。
とろけたバターが絡んだ、プリプリの鮭の身。
少女は恐る恐る口を開けた。
――パクッ。
「…………ッ!!」
少女の蒼白だった頬が、一瞬でバラ色に染まった。
「あ、あったかい……! なにこれ、トロトロ……!」
味噌の塩気が、冷え切った味覚を目覚めさせる。
その直後、バターのコクが鮭の旨味を包み込み、喉の奥へと滑り落ちていく。
「ジャガイモが……ホクホクしてる……!」
彼女は次々と具材を口に運んだ。
食べるたびに、体の中からポカポカとした熱が生まれる。
それは魔法的な熱ではなく、カロリーという名の「生命の熱」だ。
「……ふぅ。……なんだか、眠くなっちゃった」
満腹になった少女は、こっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。
「よし、今だ。……(解像度を上げろ。……『潜熱放出』)」
アルリックが指を鳴らすと、少女の体から過剰な冷気が抜け、代わりに穏やかな寝息へと変わった。
それと同時に。
パキーン……!
周囲の氷が一斉にひび割れ、本来の青い海が顔を出した。
クラーケン店長の氷も解け、彼は「ハッ!」と息を吹き返した。
「……む? ワガハイ、今何を……?」
「おはよう、店長。……ちょうどいい、解凍された鮭があるんだ。次のネタは『炙りサーモン』で頼むよ」
***
こうして、真夏の氷結事件は、高カロリーな鍋料理によって解決した。
氷の精霊は、満腹のままルルナのクジラの背中(涼しい場所)へ運ばれ、そこでお昼寝をすることになった。
海は平和を取り戻し、回転寿司屋は営業を再開。
だが、アルリックには休む暇はない。
飛行車の燃料(魔力)が切れかかっているのだ。
そして、この海域には「雷」を操る危険なエリアがあるという。




