第82話 ホームシアターと、黒いシュワシュワ(クラフトコーラ)
リビングの窓という窓に、分厚い「遮光カーテン」が下ろされた。
昼間だというのに、部屋の中は漆黒の闇に包まれている。
「……おい、アルリック。なぜ部屋を暗くする? 刺客でも来るのか?」
父エドワードが警戒して剣に手を掛ける。
暗闇の中で、ポップコーンを咀嚼する音だけが響く。
「映画を見るには、闇が必要なんですよ」
アルリックの声が響いた。
「(解像度を上げろ。……光の三原色RGBを制御)」
ブンッ。
部屋の白壁に、突如として四角い「光の枠」が投影された。
「うおっ!? 壁が光った!?」
「これは幻影魔法イリュージョンを応用した『プロジェクター』です。僕の記憶にある映像を、光の粒子フォトンとして壁に反射させています」
アルリックはさらに指を鳴らす。
「そして音響。……風魔法で空気を振動させ、360度から音を届ける『サラウンドシステム』」
ザザザ……。
壁から、波の音や風の音が聞こえてくる。
まるで、壁の向こうに別の世界が広がっているかのような臨場感。
「す、すごい……。壁の中に人がいるようだ」
国王オスワルドが身を乗り出す。
「ですが陛下。……映画には、ポップコーンの相棒が欠けています」
アルリックは闇の中で、怪しく光る瓶を取り出した。
「お待たせしました。……『クラフトコーラ』です」
***
それは、ただのコーラではない。
アルリックがスパイスから調合した、本気の「手作りコーラ」だ。
「シナモン、クローブ、カルダモン、バニラビーンズ。……これらを柑橘類と一緒に煮詰め、数日寝かせた『コーラシロップ』」
ドロリとした黒褐色の液体を、氷の入ったグラスに注ぐ。
「そこへ、強炭酸水を注ぎ込む!」
シュワワワワワッ!!
激しい発泡音。
弾ける泡が、スパイシーな香りを部屋中に拡散させる。
「……黒い水? 泥水か?」
父が顔をしかめる。
「騙されたと思って。……ポップコーンで油っこくなった口に、流し込んでください」
父と国王は、恐る恐るグラスを口にした。
チリチリ……。
唇に触れた瞬間、炭酸が弾ける。
そして、ゴクリ。
「…………ッ!!??」
二人の老人が同時に目を見開いた。
衝撃。
薬草のような複雑な香り。
レモンの酸味。
そして、喉を焼き切るような強烈な炭酸の刺激キック。
「……か、辛い! だが……甘い!」
「なんだこの爽快感は! 口の中のバターが一瞬で洗い流されたぞ!」
プハァァッ!
二人は同時に息を吐いた。
その顔には、中毒者のような恍惚の色が浮かんでいる。
「……もう一口。いや、もう一杯だ!」
「こいつは悪魔の飲み物じゃ……!」
コーラとポップコーン。
塩気と甘味。油と炭酸。
この「無限ループ」の準備が整ったところで、アルリックは上映を開始した。
「では、始めますよ。……本日の上映作品は『巨獣大決戦・エデン』です」
***
ブゥゥゥン……(重低音)。
壁に映し出されたのは、アルリックの前世の記憶にある「怪獣映画」のワンシーンだ。
巨大な恐竜のような怪獣が、街を破壊しながら咆哮する。
『グォォォォォォォォッ!!』
ドォォォォン!!
サラウンドシステムが唸り、部屋の床が物理的に振動する。
「ひぃぃぃっ!?」
国王がポップコーンを撒き散らして飛び上がった。
「で、出たぁぁぁ! ドラゴンか!? いや、もっとデカイぞ!」
「落ち着いてください。ただの光と音です」
「嘘をつけ! あんなリアルな光があるか! 剣を持ってこい、斬るぞ!」
父エドワードが本気で抜刀しようとする。
だが、画面の中の怪獣が熱線を吐き、ビルが崩壊するシーンになると――。
「おおおおぉ……!」
二人は恐怖を忘れ、画面に釘付けになった。
圧倒的な迫力。
見たこともない「動く物語」。
サクッ、ゴクッ。サクッ、ゴクッ。
無意識のうちにポップコーンを口に運び、コーラで流し込む。
視覚、聴覚、味覚。
すべての感覚が刺激され、老人たちの脳内麻薬エンドルフィンがドバドバと分泌されていく。
「……アルリックよ」
映画が終わる頃、国王は完全にソファと一体化していた。
瞳はキラキラと輝き、手には空のグラス。
「……次の作品は、ないのか?」
「ありますよ。『ローマの休日』ならぬ『エデンの休日』が」
「見せろ! 今すぐじゃ!」
「私も見たい! あとコーラのおかわりを!」
こうして、エデンの屋敷に「引きこもり老人会」が発足した。
外では騎士団や家臣たちが「公爵閣下! 陛下! お戻りください!」と叫んでいるが、防音完備のシアタールームには届かない。
アルリックは溜息をついた。
「……快適さを追求しすぎた結果、権力者がダメ人間になっていく」
だが、彼自身もまた、コーラ片手に「次は何を見ようかな」とワクワクしているのだった。
しかし、そんな平和な時間は長くは続かない。
スクリーンの光に誘われて、エデンの外から「とんでもない客」がもう一人、やってこようとしていた。




