第81話 肉球の香りと、水蒸気爆発(ポップコーン)
公爵(父)がエデンに居座るようになって数日。
アルリックの屋敷は、完全に「老人たちのサロン」と化していた。
リビングでは、国王オスワルド3世と、公爵エドワードが、エアコンの効いた部屋でコーヒーを飲みながらチェスに興じている。
「……平和だ。平和すぎて退屈だ」
アルリックは自室に逃げ込み、ベッドの上で黒豹のノワールと戯れていた。
ふと、ノワールの肉球を嗅ぐ。
クン、クン。
「……香ばしい」
猫科の動物の肉球からは、酵母菌の一種により「香ばしい匂い」がすると言われている。
例えるなら、そう。
「……ポップコーンの匂いだ」
その瞬間、アルリックの脳内に強烈なインスピレーション(食欲)が走った。
「そうだ。以前深夜のメモに書いた『ポップコーン』……。あれを作ろう」
「グル?(俺の足を食うのか?)」
ノワールがビクッとする。
「違うよ。……もっとサクサクで、塩気の効いた『無限スナック』を作るんだ」
***
アルリックは厨房へ降りた。
農業担当のフィオナから、「爆裂種」と呼ばれるトウモロコシ(ポップコーン用)を取り寄せる。
「おい坊ちゃん、そのカチカチの豆、鳥の餌か?」
レオナルドが不思議そうに覗き込む。
「ただの豆じゃない。……これは『爆弾』だ」
「は? 爆弾?」
「トウモロコシの皮は硬い。加熱すると内部の水分が水蒸気になり、内圧が高まる。そして限界を超えた瞬間……皮が破裂し、中のデンプンが瞬時に膨張する」
アルリックは、ガラス製の耐熱ボウルに乾燥コーンと油を入れた。
「鍋を振るのも面倒だ。……(解像度を上げろ。……マイクロ波)」
彼の指先に微細な魔力が集まる。
「水分子だけを激しく振動させ、摩擦熱を起こす。……『誘電加熱』だ」
ウィィィィン……(魔力音)。
ボウルの中のコーンが震え出した。
ポンッ!
静寂を破る、乾いた破裂音。
「うおっ!? 跳ねた!」
ポンッ、ポポンッ!
バババババッ!!
最初は一つだった音が、瞬く間に連鎖反応を起こす。
硬い茶色の種が、内側から真っ白な花のように弾け飛び、ボウルの中を乱舞する。
香ばしい穀物の香りが立ち上る。
「すげぇ! 豆が爆発して増えてるぞ!」
「これが『水蒸気爆発』の芸術だよ」
ボウルいっぱいに膨れ上がった白い雲。
アルリックはそこへ、溶かしバターと、精製した岩塩を振りかけた。
シャカシャカ……。
全体に味が馴染むように混ぜ合わせる。
『塩バター・ポップコーン』の完成だ。
「熱いうちに食え」
レオナルドが恐る恐る手を伸ばし、白い塊を口に放り込む。
サクッ。
「……!」
軽い。
噛んだ瞬間、シュワッと溶けるような食感。
その後に広がる、濃厚なバターのコクと、キリッとした塩気。
「……なんだこれ、止まらねぇぞ! 空気みてぇに軽いのに、味が濃い!」
サクサク、サクサク。
次々と口へ運んでしまう。
これは危険だ。思考停止して永遠に食べ続けられる悪魔の食べ物だ。
「これだけじゃないぞ。……半分はこれにする」
アルリックは残りのポップコーンに、別のソースをかけた。
砂糖とバターを煮詰めた、茶色い液体。
『キャラメル・ポップコーン』だ。
カリッ、ジュワッ。
「甘じょっぱい! 塩味のあとにこれを食うと、脳がバグる!」
「『エンドレス・ループ』へようこそ」
***
その時だった。
ガチャリ。
リビングの扉が開き、チェスを終えた国王と公爵(父)が顔を出した。
「……おい、アルリック。なんだこの騒がしい音と、美味そうな匂いは?」
「厨房で爆発音がしたが……テロか?」
二人の老人の目が、ボウル山盛りのポップコーンに釘付けになる。
「……おやつですよ。食べますか?」
アルリックが差し出すと、二人は警戒心ゼロで手を伸ばした。
サクッ。カリッ。
「……ほう。これは酒に合うな」(国王)
「……軽薄な食べ物だが、妙に後を引く」(公爵)
気がつけば、エデンの最高権力者たちが、ボウルを囲んで無心でポップコーンを貪むさぼっていた。
王冠を被った王と、厳格な公爵が、口の周りにキャラメルをつけながら。
「……しかし、アルリックよ」
国王オスワルドが、ポップコーンを頬張りながら言った。
「この菓子……口が寂しい時に最適だが、何か『物足りぬ』のう」
「物足りない?」
「うむ。こう、手と口を動かしながら……『目で楽しむもの』が欲しい。ただ座って食うだけでは手持ち無沙汰じゃ」
アルリックは溜息をついた。
この老人たちは、どこまで快適さを貪れば気が済むのか。
ポップコーンには、コーラ。
そしてコーラとポップコーンが揃えば、必要なのは一つしかない。
「……わかりましたよ。最高の『暇つぶし』を用意しましょう」
「ほう! なんだそれは!」
「……『活動写真(映画)』ですよ」
アルリックの目が怪しく光った。
光と音の娯楽。
前世の記憶にある名作映画を、幻影魔法で再現する。
エデンに「ホームシアター」が誕生する瞬間が迫っていた。
だが、その前に。
キャラメル味を食べすぎて喉が渇いた公爵が、「コーラをおかわり!」と叫ぶ声が響くのであった。




