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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第8話 月光の姫君と泡の革命

その日のクロムウェル公爵邸は、朝から戦場のような騒ぎになっていた。

「どういうことだ、これは……!」

 父のエドワード公爵が、執務室のデスクに積み上げられた手紙の山を前にうめいている。

 それはすべて、昨晩の夜会に出席した貴族たちからの「問い合わせ」と、令息たちからの「釣書プロポーズ」だった。

 原因は、アルリックの姉、セシリアだ。

「お父様! 昨日は凄かったのよ! 誰も彼もが私を見て溜息をつくの!」

 当のセシリアは、朝食の席で興奮冷めやらぬ様子だった。

 昨晩の彼女は、アルリックが改造した『エアリー加工』のドレスをまとって夜会に参加した。

 動くたびに光の粒子を撒き散らすような真珠色のドレスは、会場中の視線を独占し、彼女は一夜にして「月光の姫君」という二つ名まで付けられたらしい。

(……やれやれ。ドレス一枚で大袈裟だなあ)

 アルリックは、焼きたてのふわふわパンに特製イチゴジャムを塗りながら、他人事のように考えていた。

 だが、火の粉はすぐに降りかかってくる。

「でもね、アルリック。みんなが驚いていたのは、ドレスだけじゃないの」

 セシリアが、獲物を狙う猫のような目で弟を見た。

「私の『肌』よ。……ねえ、貴婦人たちが聞いてきたわ。『どこの美容液を使っているの?』って。透き通るような白さと、赤ちゃんのほっぺみたいな弾力。……これ、間違いなくアレのおかげよね?」

 彼女が指差したのは、アルリックの指定席――ではなく、浴室の方向だった。

「……ああ、石鹸のこと?」

「やっぱり! あの、ヌルヌルしないのにしっとりする、不思議な白い石鹸ね!」

 そう。アルリックがQOL向上のために手を加えたのは、水やタオルだけではない。

 体を洗うための「洗浄剤」にも、徹底的なメスを入れていたのだ。

 この世界の一般的な石鹸は、動物の脂と木灰アルカリを混ぜただけの、非常に刺激が強いものだ。

 汚れは落ちるが、肌に必要な皮脂まで根こそぎ奪い去り、洗った後は肌が突っ張って乾燥してしまう。

(肌のバリア機能を破壊するなんて、洗浄とは言えない。ただの『攻撃』だ)

 五歳のアルリックの肌はデリケートだ。

 だから彼は、浴室に置かれた石鹸すべてを、こっそりと書き換えていた。

(解像度を上げろ。……見るべきは『pHペーハー』のバランスだ)

 人間の肌は弱酸性。だが、この世界の石鹸は強アルカリ性だ。

 アルリックは魔力を使って、石鹸の成分を分子レベルで再構築した。

(過剰なアルカリ成分を中和。……そして、反応過程で捨てられていた天然の保湿成分『グリセリン』を、あえて残す)

 さらに、洗浄力の主役となる界面活性剤の構造を調整し、「酸化した古い皮脂」と「汚れ」だけを吸着し、肌の潤いを守るセラミドなどは残すように設定した。

 いわゆる『選択洗浄機能』付きの、超高級アミノ酸系ソープの完成である。

「……汚れを落とすつもりが、肌を削っていたら意味がないからね。必要な潤い(グリセリン)を残すように調整したんだ」

 アルリックが淡々と説明すると、母のエレナ公爵夫人が身を乗り出した。

「やっぱりそうだったのね! 最近、お化粧のノリが全然違うと思ったわ。小ジワが消えて、肌が内側から発光しているような……」

 母はうっとりと自分の頬を撫でている。

 美意識の高い女性陣にとって、この効果は魔法以上の奇跡だった。

「アルリック、あなたにお願いがあるの」

 母が真剣な眼差しで言った。

「来週のお茶会に、王妃様がいらっしゃるのよ。……その時に、この石鹸を献上したいのだけれど、作ってくれるわよね?」

「えー……」

 アルリックは露骨に嫌な顔をした。

「面倒くさいよ。僕たちが使う分だけで十分じゃない?」

「ダメよ! これは外交問題に関わるわ!」

 母の剣幕に押され、父のエドワードも重々しく口を開いた。

「……アルリック。母上の言う通りだ。我が家の女性たちがこれほど美しくなった秘密を独占していては、他家からの嫉妬を買う。特に王家に対してはな」

 父の目は、机上の手紙の山を見ていた。

 ジャムの時と同じだ。彼はこの石鹸が持つ、恐ろしいほどの「政治的価値」を見抜いている。

 美しくなりたいという女性の執念は、どんな軍事力よりも強いことを、公爵は知っていたのだ。

(……はあ。仕方ない)

 アルリックは最後の一口を飲み込み、ナプキンで口を拭った。

「わかったよ。……ただし、最高品質のオリーブオイルと、ハーブの香料を用意して。どうせなら、香りでリラックスできるやつを作るから」

「キャーッ! さすがアルリック!」

「ありがとう、愛しい息子よ!」

 母と姉が歓声を上げ、父も満足げに頷く。

 公爵家のQOLは、もはや留まるところを知らない。

 食卓は笑顔に包まれていた。

 だが、彼らはまだ気づいていなかった。

 この「革命的な石鹸」と「光るドレス」、そして「極上の料理」の噂が合わさった結果――。

 王都の王立魔導学院だけでなく、時の国王までもが「クロムウェル家に、とんでもない怪物がいるらしい」と、本格的に調査を乗り出したことに。

 その日の午後。

 一羽の伝書鳩が、王家の紋章が入った手紙を運んできた。

 宛先はエドワード公爵。

 だが、その内容は、五歳の少年を名指しした『招集状』だった。

 平穏な引きこもりライフを夢見るアルリックの野望は、皮肉にも彼自身の才能によって、もろくも崩れ去ろうとしていた。

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