第78話 カフェイン中毒の残像と、焦がしキャラメルミルク
車中泊で一夜を明かした翌日。
アルリックたちは、密林の最深部、「コーヒーの聖地」に到達していた。
「……ここだ」
アルリックが足を止める。
目の前には、真っ赤に熟した実をつけたコーヒーの木々。
だが、それ以上に異様な光景が広がっていた。
シュバババババッ!!
黒い影が、木々の間を超高速で飛び回っている。
速すぎて姿が見えない。残像だけが森に残っている。
「な、なんだアレは!? 敵か!?」
レオナルドが大剣を構えるが、影はそれを嘲笑うかのように瞬時に背後へ回り込む。
「グルルルルッ!!(豆! 豆をよこせぇぇぇ!!)」
現れたのは、巨大な黒豹――『シャドウ・ジャガー』。
だが、その目は血走り、全身が携帯のバイブレーションのように微振動し、口からはよだれを垂れ流している。
「ハァ、ハァ、ハァ……! 眠い! でも目が冴える! 心臓が痛い! でも豆が食いたい!」
「……うわぁ」
アルリックはドン引きした。
「(解像度を上げろ。……バイタルチェック)」
青い瞳が数値を弾き出す。
「心拍数500。血圧測定不能。……完全に『カフェイン中毒』の末期症状だ。生の豆を種ごとバリバリ食ってるせいで、脳がオーバークロックして焼き切れる寸前だよ」
「オーバークロック!?」
「放っておけば心不全で死ぬか、森を更地にするまで暴れ続けるかだね。……うるさいし、埃が舞って僕のコーヒーに混入する。迷惑だ」
アルリックは腕まくりをした。
「レオナルド、30秒だけ持ちこたえろ。……あの『残念なジャンキー』に、文明の味を教えてやる」
***
アルリックは、戦闘中の森のど真ん中に、優雅にキッチンテーブル(収納魔法)を展開した。
取り出したのは、銅製の片手鍋と、たっぷりの砂糖、そして牧場のミルク。
「奴はコーヒー豆の『苦味』と『香ばしさ』に依存している。……だから、ただの甘いミルクじゃ満足しない」
アルリックは鍋に砂糖を入れ、強火にかける。
水は入れない。
チリチリ……。
砂糖が溶け、透明になり、やがて茶色く泡立ち始める。
「必要なのは『メイラード反応』だ。……砂糖を焦がし、極限までビターな香りを引き出す」
ジュワワワッ……!
焦げ茶色の煙が立ち上る。
甘く、ほろ苦く、鼻腔をくすぐる香ばしい匂い。
それは、コーヒーの焙煎香にも似た、大人の香りだ。
「グルッ……!?(なんだ、このいい匂いは!?)」
暴れ回っていたジャガーが、急ブレーキをかけた。
残像が消え、鼻をヒクつかせて鍋を凝視する。
「そこだ! ……ホットミルク投入!」
ジャァァァァァッ!!
焦げた砂糖の中に、温めたミルクを一気に注ぐ。
爆発的な蒸気とともに、鍋の中がクリーミーな褐色に染まる。
『特製・焦がしキャラメルミルク』の完成だ。
「さあ、飲みたまえ。……カフェインゼロ、糖分マシマシの『精神安定剤』だ」
アルリックは、湯気を立てるボウルを地面に滑らせた。
ジャガーは警戒した。
だが、その「焦げた香り」は、彼が愛してやまない豆の匂いに似ていた。それでいて、もっと甘く、脳髄を溶かすような誘惑に満ちている。
ピチャッ。
一口、舐めた瞬間。
「…………ッッ!!!!」
カッ! とジャガーの目が見開かれた。
苦い! ……のに、甘い!!
焦がしキャラメルの香ばしさが鼻に抜け、その直後に濃厚なミルクと砂糖の甘みが、荒れ果てた胃壁と脳細胞を優しく抱擁ハグする。
「ア、アマァァァァァァイッ!!(甘露ォォォォ!!)」
ドサァッ。
ジャガーは腰を抜かした。
今までガリガリと硬い生の豆を食っていたのが、馬鹿らしくなるほどの幸福感。
副交感神経が強制起動。
血糖値スパイクによる強烈な眠気が、暴走していた脳をシャットダウンさせる。
「グ……グゥ……(もっと……くれ……)」
ガクッ。
ジャガーは白目を剥いて気絶(爆睡)した。
「ふん。……チョロい客だ」
***
静寂が戻った森で、アルリックはようやく目的の作業に取り掛かった。
「さて。邪魔者も寝たことだし、僕の分を淹れるとしようか」
完熟のコーヒーチェリーを摘み、水魔法で洗って種を取り出す。
そして、風魔法で空中に豆を浮かせ、火魔法で均一に炙る。
パチッ、パチッ。
1ハゼ、2ハゼ。
森の中に、芳醇なコーヒーアロマが満ちていく。
挽きたての粉に、90度の湯を落とす。
ポタ、ポタ……。
抽出された漆黒の液体を、白い磁器のカップに注ぐ。
「……これだ」
アルリックは一口含み、深い溜息をついた。
「苦味、酸味、コク。……これこそが文明の味。生の豆を齧るなんて野蛮な行為とはわけが違う」
「……なあ。俺にもキャラメルミルク作ってくれよ」
レオナルドが、爆睡するジャガーを羨ましそうに見ている。
「お前は子供か。……まあいい、今日は祝いだ」
密林の奥地。
泥のように眠る巨大な黒豹の横で、優雅にコーヒーとキャラメルミルクを啜る二人。
こうしてアルリックは、念願の「カフェイン」と、ついでに「餌付けされた番犬(黒豹)」を手に入れた。
だが、この一杯のコーヒーが、アルリックの夜を狂わせることになる。
そう、本物のカフェインを摂取した彼は、ジャガー以上に厄介な「深夜のハイテンション発明家」へと変貌するのだ。




