第75話 文明の境界線と、揚げたてカレーパン
「――ここまでか」
アルリックは、愛車『スリーピング・ビューティー号』を停止させた。
目の前には、残酷なまでの「境界線」があった。
ここまでは、先日整備を終えた「透水性アスファルト」の黒くなめらかな道。
しかし、ここから先――エデン領の外側は、雪解け水でぐちゃぐちゃになった泥の海だ。
「この先へ進めば、僕の車は泥だらけになる。……引き返そう」
「おいおい、せっかくのドライブだぞ? もう少し行こうぜ」
助手席のレオナルドが不満を漏らすが、アルリックは断固拒否した。
「嫌だ。汚れる。……だが、ここでUターンして帰るのも味気ないな」
アルリックは、泥道で立ち往生している商人の馬車を見つめた。
彼らは泥に足を取られ、疲弊し、空腹に耐えているようだ。
「……よし。ここに『関所』を作ろう」
「関所? 通行税でも取るのか?」
「違う。……『道の駅』だ」
***
数日後。
エデン領の境界線に、巨大なログハウス風の施設『道の駅エデン・ゲート』が完成した。
広い駐車場(舗装済み)。
清潔な公衆トイレ(水洗)。
そして、エデンの特産品売り場と軽食コーナー。
泥だらけの街道を越えてきた旅人にとって、そこは砂漠のオアシスだった。
「あ、あぁ……。道が、硬い……!」
「トイレが臭くないぞ! 水が流れる!」
感動する商人たちを横目に、アルリックは軽食コーナーの厨房に立っていた。
「さて、ドライブや旅の疲れには、手軽にエネルギー補給できる『パン』が最適だ。だが、普通のパンでは物足りない」
彼が取り出したのは、以前地下遺跡で見つけたスパイスで作った「特製キーマカレー」だ。
これをパン生地で包み、パン粉をまぶす。
そして――。
ジュワワワワッ……!
高温の油へ投入する。
「揚げるのか!? パンを!?」
手伝いに来ていたエレノアが驚愕する。
「焼くんじゃないんですの!?」
「カロリーというのは、油で揚げると美味くなるんだよ、エレノア」
キツネ色に揚がった楕円形の物体。
表面はカリカリ、香ばしい油の匂いが厨房に充満する。
『カレーパン』の完成だ。
「さあ、揚げたてをどうぞ」
エレノアがおっかなびっくり、熱々のそれを手に取る。
「……熱っ。でも、いい香りですわ」
彼女は小さな口を開け、端をかじった。
――ザクッ!!
小気味よい音が響く。
「……!」
厚めの衣が砕け、中から熱々のカレーフィリングがとろりと溢れ出した。
「はふっ、はふっ……! 辛っ、でも美味しい!」
スパイシーなカレーの刺激を、甘みのあるパン生地が優しく受け止める。
そして、揚げ油のコクが全体をまとめ上げる。
「外はサクサク、中はトロトロ……。これは反則ですわ! こんなの、いくつでも食べられてしまいます!」
「片手で持てるから、運転中や馬車の御者台でも食べられる。まさに『ドライバーズ・フード』だ」
***
道の駅のオープンと同時に、カレーパンは爆発的に売れた。
泥道との格闘で疲れ切った商人や冒険者たちにとって、この「暴力的なカロリーとスパイスの塊」は、生き返るような活力剤となったのだ。
「うめぇぇぇ! 生き返るぅぅぅ!」
「なんだこのサクサク感は! 中の具が熱々で最高だ!」
駐車場には、カレーパンを片手に幸せそうな顔をする男たちが溢れかえっている。
その光景を見ながら、アルリックは愛車のボンネットに腰掛け、自分もカレーパンを頬張った。
ザクッ。
「……ん。やはり揚げたてに限るな」
泥の海の向こう側(外の世界)を眺めながら、安全圏(舗装されたエデン)で食うカレーパン。
この優越感こそが、何よりのスパイスだった。
「アルリック様! 追加のカレーが足りません! あと、フィオナさんが『マヨネーズを入れたらもっと美味しいはず』と厨房に乱入してきました!」
「……やれやれ。カロリー爆弾を作る気か」
エデンの境界線。
そこは、世界で最も美味しい匂いのする「国境」となったのだった。




