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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第73話 馬なき馬車と、爆発するピストン

「……臭い」

 エデン領の厩舎きゅうしゃ前で、アルリックはハンカチで鼻を覆った。

「馬糞の処理は完璧にしているはずですが?」

 厩舎番の少年が恐縮するが、アルリックは首を横に振った。

「いや、管理の問題じゃない。生物としての『馬』の限界だ。彼らは素晴らしいが、排泄するし、疲れるし、何より……僕が車内で熟睡している時に限って『ヒヒン!』と鳴く。あの高周波ノイズは安眠の敵だ」

 アルリックは真顔で宣言した。

「よって、今日から馬を廃止する」

「は?」

        ***

 数日後。工房ガレージ。

「おい坊ちゃん、また妙なもん作りやがって……」

 レオナルドが呆れ顔で見上げたのは、車輪が四つついた鉄の箱だった。

 以前、カルロ商会長を運んだ「リムジン」に似ているが、決定的な違いがある。

 馬を繋ぐためのシャフトがない。

「馬がいなけりゃ、誰が引くんだよ? 俺か? 俺が引くのか?」

「安心しろ、筋肉。お前の出力は魅力的だが、燃費(食費)が悪すぎる」

 アルリックはボンネットを開けた。

 そこには、複雑怪奇な金属の塊が鎮座していた。

「これが心臓部、『魔導内燃機関マジック・コンバッション・エンジン』だ」

「……エンジン?」

「簡単に言えば、筒の中で爆発を起こし、その衝撃を回転に変える装置だ」

 アルリックは黒板に図を描き始めた。

「原理はこうだ。

 1.シリンダー内に霧状の『火属性魔力』を噴射。

 2.圧縮して点火(小規模爆発)。

 3.爆発圧力でピストンを押し下げる。

 4.その縦の動きを、クランクシャフトで『回転運動』に変換する」

「……わからん。爆発したら壊れるだろ」

「そこは『ミスリル合金』の耐久性と、冷却水(水魔法の循環)でカバーする。馬のような『疲れ』も『感情』もない。燃料の魔石が続く限り、永遠に走り続ける鉄の心臓だ」

 アルリックは愛おしそうにエンジンを撫でた。

「排気ガスは完全燃焼させているから、出るのは水蒸気だけ。馬糞の臭いもない。……完璧な『移動式引きこもりルーム』の完成だ」

「すげぇのかバカなのか分からねぇな……」

        ***

 試運転の時間だ。

 運転席にアルリック、助手席にレオナルドが座る。

 シートは最高級スライムレザー。包み込まれるような座り心地だ。

「行くぞ。……イグニッション」

 アルリックが魔石キーを回す。

 ――キュルルル、ボッ! ドッドッドッドッ……。

 低い唸り声とともに、車体が微かに振動した。

 だが、不快な揺れではない。獣が目覚めたような、力強い鼓動だ。

「うおおっ!? 勝手に動いた!?」

 アクセルペダルを踏むと、車は滑らかに加速した。

 エデンのメインストリート(舗装済み)を、音もなく滑っていく。

「速い! おい、馬の倍は出てるぞ!」

 レオナルドが窓枠にしがみつく。

「静粛性は完璧だな。……サスペンションも、高速域に合わせて硬めに調整してある」

 アルリックは片手でハンドルを握りながら、涼しい顔でコーヒーを飲んだ。

 風を切る音だけが響く。

 蹄の音も、御者の掛け声もない。

「これなら、王都まで半日で行けるな」

「半日だと!? 馬車なら三日はかかる距離だぞ!」

「物流革命だよ、レオナルド。

 この荷台を大きくして、保冷機能を付ければ……『冷蔵トラック』ができる。

 西の海で獲れた新鮮な魚を、死後硬直が始まる前に王都のレストランへ届けることも可能になる」

「お前の頭の中は、いつも食い物のことばっかりだな……」

 呆れるレオナルドを他所に、アルリックは満足げに目を細めた。

 だが、本当の目的は物流ではない。

(これで、どこへ行くにも「自分の部屋」ごと移動できる。旅行先でも枕が変わって眠れないという悲劇とはおさらばだ……)

 QOL(生活の質)の向上。

 そのためなら、文明レベルを数世紀進めることも厭わない。

 それがアルリックという男だった。

 こうしてエデン領に、馬のいない馬車が走り始めた。

 やがてこの技術が、世界中の「距離」の概念を破壊することになるのだが……今の彼にとっては、今日の昼寝場所が確保できたことの方が重要であった。

        ***

「……で、どうやって止めるんだこれ?」

「あ」

 ブレーキパッドの素材選定を忘れていたことに気づいたのは、壁が目の前に迫ってからだった。

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