第63話 勘違い勇者と、難攻不落の「おもてなし迷宮」
エデンの正門前。
そこには、殺気立った4人の影があった。
「……ここが魔王の住処か。空気が……異様に澄んでいる」
先頭に立つのは、輝く聖剣を握りしめた金髪の青年、勇者アレックス。
彼に従うのは、魔導師の少女、武闘家の男、そして聖職者の女性だ。
「報告によれば、この領主は『古龍』や『深海の魔王』を従え、謎の『黒い宝石』や『生魚(寿司)』で国民を洗脳しているとのこと。……許せん!」
アレックスは正義感に燃えていた。
彼は知らない。
その「洗脳」が、単に「美味すぎて中毒になっているだけ」だということを。
「いくぞ! 魔王アルリックを討ち、民を解放する! 突撃ぃぃぃッ!!」
勇者パーティが、エデンの敷地内へと雪崩れ込んだ。
***
彼らが最初に足を踏み入れたのは、アルリックが管理する「地下遺跡」の入り口だった。
エデンの地下には、かつての転生者が遺した広大な迷宮が広がっている。
アルリックは最近、ここを「ある目的」のために改装していた。
「……暗いな。罠に気をつけろ」
魔導師が杖を掲げる。
すると、前方の暗闇から「ポヨヨン……」という不気味な音が響いてきた。
「魔物だ! 構えろ!」
現れたのは、青く透き通った不定形の怪物――『スライム』の大群だった。
だが、通常のスライムとは様子が違う。
やけに艶があり、四角い形状に整列している。
「食らえ、聖剣スラッシュ!」
アレックスが先頭のスライムに斬りかかる。
しかし。
ボヨンッ!!
「な、なにっ!?」
剣が弾かれたのではない。
剣がスライムに沈み込み、その衝撃を完全に吸収してしまったのだ。
「……ふふ。無駄だよ、勇者くん」
迷宮のスピーカーから、アルリックの声(録音)が響く。
『そいつらは、ただのスライムじゃない。品種改良と魔力調整を行い、体液の粘度と弾性を極限まで高めた『低反発スライム(高密度ウレタン構造)』だ』
「て、低反発……だと!?」
次の瞬間、スライムたちが一斉に襲いかかってきた。
攻撃ではない。
勇者たちの身体を、優しく包み込みに来たのだ。
「うわっ!? なんだこの感触は!」
「柔らかい……! でも、沈み込みすぎない絶妙な反発力!」
武闘家と聖職者が、スライムの山に倒れ込む。
それはまるで、極上のソファ。
あるいは、母の胎内に戻ったかのような安心感。
「……だ、だめだアレックス! これ……立てない! 気持ち良すぎて、腰の力が……!」
「腰痛が……治っていく……!」
これが、アルリックが開発した『人をダメにするクッション(スライム製)』の魔力だ。
彼らの戦意は、物理的な心地よさによって急速に溶かされていく。
「くっ、なんて恐ろしい罠だ! みんな、惑わされるな! ……ん?」
アレックスが踏ん張ろうとした時、鼻先をくすぐる「香り」が漂ってきた。
***
それは、バターと小麦が焦げる、暴力的なまでに芳醇な香りだった。
「こ、この匂いは……!?」
魔導師の少女が杖を取り落とす。
迷宮の奥から、ワゴンを押したスケルトン(給仕服着用)が現れた。
ワゴンには、焼きたての山盛りパンが積まれている。
『ようこそ、エデンへ。……ちょうど『クロワッサン』が焼き上がったところだ』
アルリックの声が解説する。
『層の数は27層。生地の間に織り込んだ発酵バターが、高温の窯で溶けて生地を揚げ焼きにする。……サクサクの食感と、ジュワッと溢れるバターの洪水を楽しんでくれ』
「毒だ! 毒が入っているに違いない!」
アレックスが叫ぶが、魔導師の少女はすでにフラフラとワゴンに近づいていた。
「で、でも……鑑定魔法では『毒なし』って……それに、この黄金色……!」
彼女はクロワッサンを手に取り、齧かじりついた。
サクッ……。
迷宮に響く、軽やかな破砕音。
「…………ッ!!」
少女の目からハイライトが消えた。
「おいしい……! なにこれ、空気を食べてるみたいに軽いのに、バターが濃厚……!」
「なっ、魔法使い! しっかりしろ!」
「もう無理よアレックス……私、ここで暮らす……このパンとスライムがあれば、もう何もいらない……」
彼女はスライムクッションに沈み込みながら、クロワッサンを頬張り始めた。
武闘家も聖職者も、すでに「骨抜き」にされている。
残るは、勇者アレックスただ一人。
「お、おのれ魔王……! 仲間を堕落させるとは、なんと卑劣な!」
彼は涙目で聖剣を構え、最奥の扉を開けた。
そこには――。
コタツに入り、ミカンを剥いている黒髪の青年と、その膝で丸くなる白い小動物の姿があった。
「やあ。いらっしゃい」
アルリックは穏やかに微笑んだ。
「……君が最後のお客さんだね。勇者アレックスくん」
「き、貴様が魔王アルリックか! 覚悟ぉぉぉッ!」
アレックスが斬りかかる。
しかし、アルリックは動かない。
ただ、コタツの天板をポンと叩いただけだ。
「……まあ、座りなよ。外は寒かっただろう?」
瞬間。
アレックスの足元の床がスライドし、強制的に「掘りごたつ」の足場が出現した。
「うわっ!?」
体勢を崩した彼は、そのままコタツの中へと吸い込まれた。
ぬくぬく……。
遠赤外線の魔石による、深部まで届く温熱効果。
冷え切った勇者の足を、優しく包み込む。
「……あ、あったかい……」
「ミカンもあるよ。……この白くて甘い『スジ』も栄養があるからね」
アルリックが剥いたミカンを差し出す。
アレックスは、抗うことができなかった。
本能が、剣を捨ててミカンを受け取らせたのだ。
パクッ。
甘酸っぱい果汁が広がる。
足元はポカポカ。背中にはスライムクッション。
「……俺は……俺は……」
勇者の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……こんなに暖かい場所で、戦う意味なんてあるのか……?」
「ないよ」
アルリックは断言した。
「戦いは、QOLを下げるだけだ。……君も、ここでゆっくりしていけばいい。美味しいご飯と、温かいお風呂を用意するよ」
カラン……。
聖剣が床に落ちた音。
それは、勇者が「エデンの住人」に堕ちた音でもあった。
こうして、エデンを襲った最大の危機(?)は、一滴の血も流れることなく、バターとミカンの香りに包まれて去っていった。
次回、ダンジョン牧場化計画!
勇者たちを労働力に加え、スライム・クッションを世界へ輸出せよ!




