第62話 銀シャリの酢飯と、幻の巨大マグロ
クラーケン・ロードが給仕を務める『回転寿司・海王丸』は、連日満員御礼の大盛況だった。
新鮮なネタ、炊きたての銀シャリ、そして魔王のパフォーマンス。
だが、その喧騒の中で、一人だけ浮かない顔で茶を啜すすっている人物がいた。
「……惜しい」
カエデだ。
彼女はカウンターに肘をつき、目の前を流れるマグロの皿を睨みつけている。
「……アルリック殿。ネタは最高だ。西の海で獲れた『グラン・ツナ』の大トロ、文句のつけようがない」
「じゃあ、何が不満なの?」
アルリックが尋ねると、カエデは箸でシャリ(酢飯)を突いた。
「シャリが『重い』のだ」
「重い?」
「うむ。……寿司とは、ネタとシャリの調和ハーモニー。口に入れた瞬間、ネタの脂が溶けると同時に、シャリが雪のように解ほぐれ、混ざり合わねばならん。……今の握りは、米粒同士がくっつきすぎて、団子になっている」
手で握る以上、どうしても力が入る。
素人のアルリックや、力を込めすぎるカエデでは、どうしても「おにぎり」寄りになってしまうのだ。
「……なるほど。口の中で解ける『空洞率』か」
アルリックは納得した。
一流の職人が握る寿司は、米粒の間に絶妙な空気が含まれているという。
それを再現するには、指先の感覚を数十年鍛えるか――あるいは。
「……魔法で解決しよう」
***
アルリックは厨房に入り、酢飯の入った桶おけの前に立った。
カエデが切り出した、最高級の『大トロ(蛇腹)』を左手に取る。
そして右手で、シャリを掴む。
(解像度を上げろ。……米粒の一つ一つをスキャン。デンプンの粘り気を計算し、粒同士の接点だけを最小限の圧力で繋ぐ)
アルリックの手が青白く輝く。
「――エアリー・グリップ(空気の握り)」
彼がイメージしたのは、風船だ。
米粒の間に、極小の『風のクッション』を発生させる。
外側はしっかりと形を保ちつつ、内側は重力に逆らうようにふんわりと浮かせる。
キュッ、と一回だけ握る。
形は崩れない。だが、その内部構造は、蜂の巣のように理想的な空間で満たされている。
「……できた。カエデさん、食べてみて」
差し出された一貫。
見た目は変わらない。だが、皿に置かれた瞬間、シャリが「ふぅ……」と息をするように、わずかに沈み込んだ。
「……沈んだ? 空気が抜けたのか?」
カエデがおそるおそる箸を伸ばす。
崩れそうで、崩れない。絶妙なバランス。
口に運ぶ。
舌に乗せ、上顎で軽く押し当てた、その瞬間。
――ハラリ……。
「…………ッッ!!」
カエデの時が止まった。
(解けた……! 噛む前に、シャリが弾けた!)
口の中で、米粒が一斉に散らばる。
そこに、体温で溶け出した大トロの濃厚な脂が絡みつく。
酢の酸味と、脂の甘み、そして一粒一粒が主張する米の旨味。
それらが渾然一体となり、喉の奥へと消えていく。
「……んんっ……! これだ……これぞ『神の握り』……!」
カエデは震えながら咀嚼そしゃくし、飲み込んだ後、深く深く息を吐いた。
「……完璧だ、アルリック殿。……もはや、拙者の国の名店をも凌駕している」
「よし。じゃあ、これを量産しよう」
アルリックは、この「エアリー・グリップ」の術式を、クラーケン・ロードの触手に付与エンチャントすることにした。
「え、ワガハイが握るのか?」
「君の触手なら、10本同時に握れるだろう? ……さあ、頼んだよ、店長」
こうして、「魔王が握る、空気のような寿司」が誕生した。
***
その夜。
店は大盛況を超えて、狂乱の宴となっていた。
「うめぇぇぇッ!! なんだこのトロは! 飲み物か!?」
レオナルドが皿を積み上げる。
「あら、白身も美味しいですわ! この『エンガワ』のコリコリした食感と、ポン酢の香りが……!」
エレノアも、聖女の品格ギリギリのペースで食べている。
国王も、熱燗を片手に赤身を頬張り、「長生きはするもんじゃ……」と涙ぐんでいる。
クラーケン・ロードも、自分の報酬をもらうたびに、「……悪くない。人間界も悪くないぞ」と満更でもない様子だ。
エデンの食文化は、ついに海を制覇した。
しかし。
そんな平和なエデンに、またしても「勘違い」をした訪問者が近づいていた。
場所はエデンの正門前。
きらびやかな鎧に身を包んだ、いかにも「正義」な集団が立っていた。
「……ここが、魔王の住処か」
先頭に立つのは、聖剣を背負った金髪の青年。
王国から派遣された『勇者』である。
「噂では、古龍を従え、深海の魔王を使役し、国民を謎の魔薬(チョコや寿司)で洗脳している極悪人がいると聞いたが……」
勇者は剣を抜いた。
「待っていろ、捕らわれの人々よ! この勇者アレックスが、魔王アルリックを討ち取ってくれる!」
次回、勇者襲来!
でも、エデンは「魔王城」じゃなくて「おもてなし迷宮」だった!?
勇者の心を折る(とろけさせる)、最強のトラップが発動する!




