第56話 音速の豆まきと、鬼役王太子のストレス発散
2月3日。節分。
エデンでは、暦の上で「季節の変わり目」を祝う準備が進められていた。
「……なるほど。季節の変わり目に生じる『邪気(鬼)』を、豆をぶつけて追い払うのか」
リビングのコタツで、国王オスワルドが炒り豆をポリポリと食べながら感心している。
「はい。……まあ、要するに『ストレス発散』と『タンパク質補給』のイベントですよ」
アルリックは、大量の大豆をフライパンで煎りながら答えた。
(解像度を上げろ。……大豆に含まれる水分を一気に飛ばし、メイラード反応を促進。香ばしさを最大化する)
パチッ、パチッ。
豆が爆ぜる軽快な音と共に、きな粉のような芳醇ほうじゅんな香りが部屋中に充満する。
「問題は『鬼役』じゃな」
国王がブランを見つめる。
「キュ?」
ブランは首を傾げた。神獣を鬼にして豆をぶつけるのは、さすがにバチが当たりそうだ。
レオナルドも「俺がやってもいいが、豆くらいじゃ蚊が止まった程度にしか感じんぞ?」と筋肉を誇示している。
その時だった。
ドォォォォォン!!
エデンの正門から、けたたましい爆音が響いた。
「……敵襲か!?」
レオナルドが大剣を掴んで飛び出す。カエデも瞬時に刀に手をかけ、ジンが姿を消す。
だが、そこにいたのは敵軍ではなかった。
一台の豪華な馬車(アルリック製・サスペンション付き)が、ドリフトしながら滑り込んできたのだ。
バァァァン!
扉が乱暴に開かれ、中から一人の男が転がり出てきた。
目の下に濃いクマを作り、髪を振り乱した男。
王太子、ルディウスだ。
「……う、うわぁぁぁぁん!!」
「で、殿下!?」
駆けつけたエレノアが絶句する。
ルディウスは、地面に崩れ落ちて叫んだ。
「もう嫌だ! 王都は嫌だ! 父上(国王)は帰ってこないし、貴族たちは『プリンの供給を増やせ』『道路を舗装しろ』とわがままばかり! 私はもう限界だァァァッ!!」
彼は完全にキャパオーバーしていた。
王都での激務。そして、エデンと比較されるプレッシャー。
王太子のメンタルは崩壊寸前だった。
「……誰か! 誰か私を叱ってくれ! いっそ殴ってくれ! この鬱屈した気分を、物理的な痛みで吹き飛ばしてくれぇぇぇッ!!」
ルディウスが空に向かって絶叫する。
その悲痛な姿を見たアルリックは、静かに炒り豆の入った升マスを手に取った。
「……ちょうどよかった」
「え?」
「ルディウス殿下。……貴方にぴったりの『役』がありますよ」
***
数分後。
広場の中央には、二本の角が生えた「鬼のお面(般若)」を被らされ、金棒を持たされたルディウスの姿があった。
「……な、なんだこの格好は。私は王太子だぞ?」
「いいから立っていてください。……今から、みんなで貴方の『邪気』を祓いますから」
アルリックが合図を送ると、エデンの住民たちが一斉に豆を構えた。
レオナルド、カエデ、ジン、そしてドワーフたち。
全員が、殺る気満々だ。
「いくぞ! 鬼はぁ〜〜〜外ッ!!」
レオナルドが剛腕を振り抜く。
ヒュンッ!!
放たれた大豆は、弾丸のような速度でルディウスに迫る。
「ひぃッ!?」
ルディウスが身構える。
だが、アルリックはすでに術式を展開していた。
(解像度を上げろ。……豆の周囲に『衝撃吸収結界エア・クッション』を展開。さらに、『空気抵抗ゼロ』の弾道を計算)
バシッ!!
豆がルディウスの額に直撃した。
だが、痛みはない。
ポスッ、という柔らかい感触と共に、豆が弾け、香ばしいきな粉の香りが広がった。
「……あれ? 痛くない?」
「福はぁ〜〜〜内ッ!!」
次はカエデだ。
彼女は居合の要領で、一度に数十粒の豆を散弾ショットガンのように放った。
バラララララッ!!
全身を豆に打たれるルディウス。
まるで熟練の指圧マッサージを受けているような、心地よい衝撃。
「お、おおっ……!? こ、これは……ツボに入っている!?」
アルリックの精密誘導により、豆はルディウスの凝り固まった肩や腰のツボを的確に刺激していた。
「気持ちいい……! もっとだ! もっと私に豆をぶつけてくれぇぇぇッ!!」
ドMに目覚めたわけではない。
純粋な「物理打撃セラピー」だ。
住民たちも、日頃の鬱憤(王都への不満など)を込めて豆を投げまくる。
投げる側はスッキリ。
ぶつけられる側もスッキリ。
これぞ、ウィンウィンの関係。
「……はぁ、はぁ。……生き返った」
一時間後。
豆の山に埋もれたルディウスは、憑き物が落ちたような清々しい顔で空を見上げていた。
「……アルリック。礼を言う。……王都の最高級スパ(マッサージ)よりも効いたぞ」
「それは何よりです。……さあ、厄払いが終わったら、これですよ」
アルリックが差し出したのは、極太の『恵方巻き』だった。
カエデが炊いた酢飯に、厚焼き玉子、キュウリ、かんぴょう、そして特製の『海鮮(マグロ、サーモン)』がぎっしり詰まっている。
海苔は、パリパリに炙った最高級品だ。
「……これを、黙って一気に食べるんです。今年の恵方は『南南東』」
「……わかった」
ルディウスは太巻きを受け取り、無言でかぶりついた。
ガブッ。
パリッ……!
海苔が弾ける音。
隣では、ブランも自分用の恵方巻き(特大・マヨネーズ入り)を、リスのように頬張っている。
モグモグ、モグモグ……。
静寂の中、王太子と神獣が並んで太巻きを食べるシュールな光景。
だが、その味は格別だった。
酢飯の酸味が、豆まきで乾いた喉を潤し、具材の旨味が口いっぱいに広がる。
「……んぐっ。……美味い」
完食したルディウスは、満足げに腹をさすった。
「……よし。帰るか」
「え、もう帰るんですか? 泊まっていけばいいのに」
「いや、王都にはまだ仕事が残っている。……だが、活力は湧いた」
ルディウスは立ち上がり、アルリックの肩をポンと叩いた。
その顔には、来た時のような悲壮感はない。
「また来るぞ。……次は『甘いもの』を用意しておいてくれ。最近、脳が糖分を求めているのだ」
そう言い残し、彼は再び馬車に乗り込み、嵐のように去っていった。
残されたのは、大量の豆と、平和なエデンの空気だけ。
「……やれやれ。忙しい人だね」
アルリックは苦笑し、残った豆を拾い集めた。
「さて。この豆を粉にして、『きな粉揚げパン』でも作ろうか」
「「「やったー!!」」」
エデンの節分は、こうして「王太子のデトックス」という新たな伝説を残して幕を閉じた。
ルディウスが去り際に残した「甘いもの」という言葉。
それは、やがて来る『バレンタイン』への布石だったが――その前に。
アルリックには、この厳しい寒さが残っているうちに、どうしても確保しておきたい「冬の味覚」があった。
「……よし。次は氷の上だ」
次回、極寒の湖へ遠征!
「過冷却水」で鮮度を保ち、氷上で揚げる「熱々サクサク天ぷら」が登場する!




