第49話 井戸の幽霊と冷やし中華はじめました
ジリジリ、ジリジリ……。
エデンの空には、魔石で作った人工太陽(出力調整ミスでちょっと強い)が輝き、暴力的な日差しが降り注いでいた。
気温は35度。
昨日の熱々ラーメンの余韻も相まって、住人たちは完全にバテていた。
「……暑い。……溶ける」
聖女エレノアが、氷枕を抱いてソファでぐったりしている。
その横で、国王オスワルドも扇風機(風魔法の魔道具)の前から動かない。
「……アルリック殿。こう暑くては、修行にも身が入らん」
カエデも着流しの胸元を大きくはだけさせ、団扇をパタパタと仰いでいる。
そんな気だるげな午後、屋敷の影から音もなく忍者ジンが現れた。
「……報告する」
「うわっ!? びっくりした!」
アルリックが飛び上がる。
ジンは真顔で、しかしどこか青ざめた顔で言った。
「……出たぞ。……『井戸』のところに」
「何が?」
「……女の幽霊だ」
***
その夜。
暑さを紛らわせるため、という名目で、一行は「肝試し(きもだめし)」を行うことになった。
場所は、屋敷の裏手にある、食品保存用の冷蔵庫代わりの古井戸だ。
「……い、嫌ですわ! わたくし、お化けだけは無理ですの!」
エレノアが涙目でアルリックの腕にしがみつく。
その力は強く、聖女の加護(物理強化)がかかっているため、アルリックの腕が折れそうだ。
「大丈夫だよ。幽霊なんて、魔力の残滓か何かだろ?」
アルリックは魔法のランタンを掲げて進んだ。
ヒュ〜〜〜……ドロドロ……。
演出のために、少し風魔法で不気味な音を立ててみる。
「ひいいいっ!!」
レオナルド(意外と怖がり)が悲鳴を上げた。
そして、井戸の前にたどり着いた時。
「……う、うらめしやぁ……」
井戸の縁に、白い着物を着た、透き通るような女が座っていた。
長い黒髪。
周囲の空気が、そこだけ急激に冷え込んでいる。
「で、出たァァァァッ!!」
「成仏してくださいましィィィッ!!」
エレノアが『聖光魔法』をぶっ放そうとするのを、アルリックは慌てて止めた。
「待って! あれ、幽霊じゃない!」
よく見ると、その「女」は、井戸から吊り上げられたカゴの中に入っていた『氷』をガリガリと齧っていた。
「……あ、あつい……。氷……うまい……」
「……精霊?」
アルリックが近づくと、それは幽霊ではなく、半透明の体を持つ『氷の精霊(下級)』だった。
どうやら、昨日のラーメン作りで余った「北の氷」の冷気に誘われて、涼みに来ていただけらしい。
「なんだ、ただの暑がりの精霊か……」
全員が安堵の息を吐いた。
だが、精霊が氷を食べている姿を見て、アルリックはあることを閃いた。
「……そうだ。せっかく冷えた麺があるんだ」
彼は井戸の中から、キンキンに冷やしておいた「茹で置きの縮れ麺」を取り出した。
「幽霊騒ぎのお詫びに、最高に涼しくなる『夜食』を作ろうか」
***
リビングに戻ったアルリックは、テーブルの上に次々と具材を並べた。
・細切りにしたキュウリ。
・薄焼き卵(錦糸卵)。
・ハム(豚肉を低温調理した)。
・スライスしたトマト。
・茹でたモヤシ。
そして、主役のタレ。
醤油、酢、砂糖、ごま油、そして鶏ガラスープを絶妙な比率で混ぜ合わせた、酸味の効いた特製ダレだ。
「麺を皿に盛り、具材を彩りよく乗せる。……まるで『山』のように」
黄色い麺の上に、赤、緑、黄色の具材が放射状に並べられる。
見た目にも鮮やかで涼しげだ。
最後に、タレをたっぷりとかけ、和辛子を皿の縁に添える。
「完成。……『冷やし中華』です」
そして、アルリックは筆を執り、紙にさらさらと文字を書いた。
それを壁に貼り出す。
『冷やし中華、はじめました』
***
「……なんだこの料理は? 麺なのに、冷たいのか?」
レオナルドが不思議そうに皿を見る。
スープがない。代わりに、酸っぱい香りのタレがかかっている。
「食べてみて。……混ぜながらね」
全員が箸を入れた。
具材と麺を豪快に混ぜ合わせ、すする。
ズルズルッ!!
「…………ッ!!」
酸っぱい!!
だが、その酸味が、暑さでダレた体に稲妻のような衝撃を与える。
「……冷たい! そして、さっぱりしている!」
カエデが目を見開く。
「酢の酸味が、ごま油の香りと共に鼻に抜ける……! 昨日の濃厚なラーメンとは真逆のベクトルだ!」
シャキシャキのキュウリ。
ふわふわの卵。
ジューシーなハム。
異なる食感が、冷たく締められたコシのある麺と絡み合う。
「……んんっ! 喉越しが最高ですわ!」
エレノアが夢中ですする。
そして、皿の縁にある黄色い練り物(辛子)をちょっとつけて、麺と一緒に食べた瞬間。
「――っくぅぅぅッ!!」
鼻にツーンと来た。
「か、辛い! でも……この刺激が、甘酸っぱいタレを引き締めますわ!」
「これぞ『夏の味』じゃな……」
国王も、酸味にむせそうになりながらも、箸が止まらない。
氷の精霊も、お椀に取り分けてもらった冷やし中華を、幸せそうに食べている。
「……ちゅるちゅる……冷たい……おいしい……」
体の芯から熱が引いていく。
食欲がなくても、これならいくらでも入る。
「……おかわりだ。マヨネーズはあるか?」
ジンが通な注文をした。
そう、一部の地域では冷やし中華にマヨネーズをかけるのだ。
「あるよ。……かけると『サラダ感覚』になって、さらに美味いんだ」
その夜、エデンの屋敷では、幽霊の恐怖など吹き飛び、「ズルズル」という涼やかな音だけが響き続けた。
壁に貼られた『冷やし中華はじめました』の紙が、エアコンの風に揺れている。
こうして、エデンの夏は「食」によって完全に攻略された。
だが、夏にはまだ、最大のイベントが残っている。
次回、エデンの夜空を焦がす「大輪の花」。
ドワーフの火薬技術と、アルリックの魔法が融合した「打ち上げ花火」大会が開催される!




