第42話 ドワーフの鍛冶師と侍の包丁
エデンの鍛冶工房。
普段はハンマーの音が響くこの場所が、今夜は異様な静けさと熱気に包まれていた。
「……なんと美しい波紋じゃ」
ガリン親方が、カエデの愛刀『紅桜』を光にかざし、ため息をついた。
刀身に浮かぶ波のような模様。
それは、異なる硬さの鋼を組み合わせ、焼き入れによって生じた芸術的な境界線だ。
「……ドワーフの技術は『鋳造(型に流し込む)』が主だが、東の国では『鍛造(叩いて伸ばす)』に特化しているようだな。しかも、鋼を何層にも折り重ねるとは……」
「うむ。鉄の不純物を叩き出し、粘り強く、かつ折れぬ刃を作る。それがサムライの魂だ」
カエデが真剣な眼差しで語る。
種族も文化も違う二人だが、「鉄」を愛する職人としての魂が共鳴していた。
そこへ、アルリックが巨大な魚を抱えてやってきた。
「二人とも、盛り上がってるね。……ちょっと相談があるんだけど」
「相談? なんだ、また変な鍋でも作るのか?」
「いや。……『刺身』を食べたいんだ」
アルリックが置いたのは、先日釣った『キング・ジュエル・サーモン』の残り(冷凍保存していたもの)だ。
脂の乗った極上の身。
これを焼かずに、生のまま薄く切って食べる。
「生の魚……! 『サシミ』か!」
カエデが反応した。
「我が国でも最高の贅沢とされる料理! ……だが、今のエデンの包丁では無理だ」
「なんでだ? 俺の作った包丁も、ミスリル製で切れ味は抜群だぞ?」
ガリンがむっとするが、カエデは首を横に振った。
「切れ味が違うのだ。……普通の刃物は、食材を『押し潰して』切る。だが、刺身に必要なのは、細胞の一つ一つを壊さずに『滑らせて』切る刃だ。……繊維を潰せば、魚の臭みが出て、旨味が逃げる」
カエデは手元のナマクラ包丁で魚を切る真似をした。
「引いて、切る。……その一瞬で、魚の命を昇華させる。そのためには、『柳刃』と呼ばれる極薄かつ長尺の刀が必要なのだ」
ガリンの目に火がついた。
「……なるほど。素材を殺さず、活かす刃か。……面白ぇ! やってやろうじゃねぇか!」
***
カン! カン! カン!
工房に、リズミカルな打撃音が響き渡る。
ガリンがハンマーを振るい、カエデが焼き入れの温度を見る。
「素材は『ミスリル銀』と、硬度最強の『アダマンタイト』の合金だ! これを東洋の技法で折り重ねる!」
「温度よし! ……今だ、叩け!」
ドワーフのパワーと、サムライの繊細な温度管理。
千回、二千回……気の遠くなるような回数、鋼は折り畳まれ、鍛え上げられていく。
魔力を帯びた青白い炎の中で、一本の細長い刃が姿を現した。
「仕上げだ! ――冷却!」
ジュワアアアアッ!!
水槽に突っ込まれた赤熱した刃が、激しい蒸気を上げる。
そして、引き上げられたその刀身は、月光のように冷たく、妖しい輝きを放っていた。
「……できた」
完成したのは、武器としての日本刀よりも薄く、鋭く、そして美しい片刃の包丁。
『魔刀・柳』の誕生だ。
「……なんて美しさだ。触れただけで切れそうだ」
アルリックがおそるおそる指を近づけると、触れてもいないのに指先の産毛がハラリと落ちた。
切れ味、測定不能。
「よし。……試し切りといこうか」
***
まな板の上に、解凍されたサーモンのサク(切り身の塊)が置かれた。
カエデが『魔刀・柳』を構える。
その姿は、剣豪そのものだ。
「……いざ」
ヒュッ。
音がしなかった。
カエデが刃を引いた瞬間、サーモンの身が、まるで空気であるかのように別れた。
抵抗ゼロ。
「……!」
切り出された刺身は、向こう側が透けて見えるほど薄く、そして切り口が鏡のようにツヤツヤと輝いている。
細胞が一つも潰れていない証拠だ。
「……美しい。角が立っている」
アルリックは皿に並べられたサーモンの刺身を一枚取り、カエデが持参した『醤油』をちょんとつけて口に運んだ。
――チュルン。
「…………ッッ!!」
アルリックが目を見開いた。
「……消えた」
「えっ!?」
「噛む必要がない。……舌に乗せた瞬間、脂が溶け出して、身がほどけていく。……これが、細胞を壊さない切れ味の力か……!」
生臭さは皆無。
あるのは、純粋で濃厚な魚の旨味と、醤油の香ばしさだけ。
「どれ、わしも……」
ガリン親方も刺身を口に放り込む。
「……ぐおおっ! なんだこりゃあ! わしの知ってる魚じゃねぇ! 甘い! トロトロじゃねぇか!」
カエデも一口食べ、静かに涙を流した。
「……故郷の味だ。……いや、故郷で食べたどの刺身よりも美味い。……この包丁と、エデンの食材があれば、拙者はもう何も要らん」
「いや、醤油作りは手伝ってよ?」
こうして、エデンに「刺身」という新たな食文化が爆誕した。
その夜、屋敷では「手巻き寿司パーティー」が開催され、酢飯(カエデが酢の作り方も知っていた)と海苔(代用品の海藻)を使った料理に、レオナルドやエレノアが大騒ぎすることになった。
しかし。
この『魔刀・柳』のあまりの切れ味が、翌日、思わぬ珍事を引き起こす。
「……アルリック様。まな板が真っ二つですわ」
「あ、包丁が鋭すぎて、下の台まで切っちゃった」
最強の包丁には、最強のまな板が必要だ。
次なるクエストは、伝説の巨木『世界樹の枝』を探す旅になる……かもしれない。
エデンの春は、まだまだ終わらない。




