第4話 寝具のアンチエイリアシング
最高のお風呂と、ふわふわのタオル。
二つの快楽を手に入れたアルリックは、幸福感に包まれながら自室のベッドへとダイブした。
――はずだった。
「……やっぱり、ここがラスボスか」
アルリックは布団の中で、小さく呻いた。
公爵家のベッドは、もちろん庶民の藁布団とは違う。最高級の水鳥の羽毛を詰め込み、カバーには上質な麻が使われている。
だが、前世の記憶を持つ彼にとって、それは「不快」の塊でしかなかった。
(チクチクする。……繊維の毛羽立ちが、僕の柔肌を攻撃してくる)
麻のシーツは吸水性には優れているが、新品の状態では硬く、肌触りがザラザラしている。
寝返りを打つたびに、ガサッ、ガサッという摩擦音が耳元で響く。これでは安眠など夢のまた夢だ。
(それに、なんだか少し埃っぽい。……ダニだ。目には見えないけれど、何千匹ものダニがこの詰め物の中でパーティを開いている気配がする)
アルリックはガバッと起き上がった。
睡眠は、人生の三分の一を占める重要な時間だ。ここを妥協しては、日中のパフォーマンス(主に美味しいものを食べるための活動)に支障が出る。
「……修正するしかない」
彼はベッドの上に正座し、シーツに両手を押し当てた。
解像度を上げろ。
見るべきは、布の織り目ではない。繊維の一本一本が持つ、ミクロの凹凸だ。
(原因は、繊維の表面が荒れていること。……まるでドット絵のギザギザ(エイリアシング)みたいだ)
ゲームのグラフィックにおいて、ギザギザの輪郭を滑らかに見せる技術を『アンチエイリアシング』と呼ぶ。
アルリックはそれを、物理的な繊維に対して実行しようとしていた。
(魔力で繊維の表面をコーティング。……凹凸を埋めて、摩擦係数を極限まで下げる)
イメージするのは、最高級シルクの滑らかさと、形状記憶ポリマーの弾力性。
魔力の粒子が、荒れた麻の繊維を一本ずつ丁寧に撫で上げ、ガラス細工のようにツルツルに磨き上げていく。
(ついでに、マットレスの中身も。……詰め物の密度を均一化。体圧分散を最適化して、『低反発ウレタン』のような沈み込みを再現する)
そして仕上げに、ベッド全体に微弱な静電気(プラズマクラスター的な結界)を展開。
ダニや埃を弾き飛ばし、寄せ付けない『絶対聖域』を構築する。
――フォン、と。
ベッド全体が淡い光に包まれ、次の瞬間、見たこともない艶を帯びて鎮静化した。
見た目はただの麻のシーツだ。だが、その質感は明らかに異質だった。
アルリックがおそるおそる背中を預けると――。
「……っあ」
声にならない吐息が漏れた。
体が、吸い込まれる。
硬い繊維の感触は一切ない。まるで雲の上に浮いているかのような、重力を忘れる寝心地。
シーツは人肌のように滑らかで、寝返りを打っても衣擦れの音がまったくしない。
(……これだ。僕が求めていたのは、この『無音』の安らぎだ)
アルリックは枕に顔を埋めた。
埃っぽさは微塵もない。森林の奥深くで深呼吸しているような、清浄な空気が鼻腔を満たす。
「……おやすみ、世界」
抵抗する間もなく、彼の意識は深い眠りの底へと落ちていった。
秒殺だった。
翌朝。
いつものようにアルリックを起こしに来たノーラは、部屋に入った瞬間に立ち尽くした。
「……あ、アルリック様……?」
そこには、真珠のような光沢を放つベッドの上で、天使のような寝顔で眠る主人の姿があった。
窓から差し込む朝日が、シーツに反射して神々しいほどの光を放っている。部屋の空気が、そこだけ浄化された神殿のように澄み切っていた。
「ううっ、起こせない……! こんなに気持ちよさそうに眠っていらっしゃるのに、起こすなんて罪ですわ……!」
ノーラは胸を押さえて悶絶した。
結局、その日のアルリックは昼過ぎまで起きることはなかった。
そして、その「触れるだけで人を堕落させる魔性のシーツ」の噂は、すぐに屋敷中の女性陣――特に、美意識の高い母と姉の耳に入ることになるのだった。




