第38話 雪の夜の訪問者と黄金のすき焼き
エデンに冬が訪れた。
かつては荒野だったこの地も、アルリックの環境制御(とエルフの森)のおかげで四季が巡るようになり、今はしんしんと白い雪が降り積もっていた。
外気温はマイナス10度。
だが、アルリックの屋敷の中は、楽園のような暖かさに包まれていた。
「……動きとうない」
「……トイレに行くのが最大の冒険ですわ」
リビングの中央。
四角いテーブルにかけられた布団――『炬燵』に下半身を吸い込まれたまま、アルリックと聖女エレノアが同化していた。
中にはブラン(白い魔獣)も潜り込み、エレノアの足を枕にして高いびきをかいている。
「おい、アルリック。腹減ったぞ」
同じくコタツの住人となっていたレオナルドが、ミカンの皮を剥きながら言った。
「今日は寒いからな。……ガツンと精のつく肉が食いたい」
「そうだね。……じゃあ、今日は『あれ』をやろうか」
アルリックは重い腰を上げ(コタツから出るのには相当な精神力が必要だった)、キッチンへ向かった。
用意したのは、ドワーフのガリン親方に鋳造してもらった、浅くて平らな『鉄鍋』だ。
そして、メイン食材。
・霜降りの牛肉(牧場で育てた『バイソン・ロード』の特上ロース)。
・エルフ農園の白菜、ネギ、春菊、シイタケ、焼き豆腐。
・白滝(こんにゃく芋から錬成した)。
極めつけは、新鮮な『コカトリスの生卵』だ。
「……すき焼きだ」
***
ジュワアアアアアッ……!!
鉄鍋の上で牛脂が溶け、薄切りの牛肉が焼ける音がリビングに響く。
そこへ、砂糖と醤油、酒をブレンドした特製の『割り下』をジャッとかける。
モワァァァ……!
甘辛い醤油の焦げる香りと、肉の脂の甘い匂いが、爆発的に拡散した。
それは、日本人のDNAに刻まれた「御馳走」の香り。
「い、いい匂いだ……! なんだこの破壊力は!」
「甘くて、香ばしくて……嗅ぐだけでご飯が食べられそうですわ!」
レオナルドとエレノアが身を乗り出す。
コタツで温まった体に、すき焼きの匂いは劇薬だ。
「さあ、ここからが本番だよ。……この肉を、溶いた『生卵』にくぐらせて食べるんだ」
「は? な、生卵?」
レオナルドがギョッとした。
この世界では、卵は加熱して食べるのが常識だ。生食など腹を壊す原因でしかない。
「大丈夫。ウチの卵は完全殺菌済みだし、鮮度は最高だ。……騙されたと思って」
アルリックは焼けたばかりの肉を、黄金色の卵液にドボンと浸した。
熱々の肉に、冷たい卵が絡みつく。
それをそのまま口へ。
「……うん。濃厚だ」
見ていた二人は、ゴクリと喉を鳴らした。
意を決して、レオナルドも肉を卵に絡めて頬張る。
「――――ッッ!!?」
カッ! と目が見開かれた。
「ま、まろやかァァァッ!!」
絶叫。
「濃い味付けのタレが、卵で包まれて優しくなってる! なのに肉の旨味は消えてねぇ! むしろ卵のコクが加わって最強になってやがる!」
エレノアも一口食べ、頬を抑えて悶絶した。
「……んんっ! お口の中でとろけますわ……! 生卵がこんなに素晴らしいソースになるなんて……これは革命です!」
箸が止まらない。
肉、野菜、卵。そして白飯。
無限機関の完成だ。
その時。
ドンドン、ドンドン!!
猛吹雪の外から、玄関を叩く音がした。
「……たのもう! 誰かおらぬか! 遭難しかけておる!」
しわがれた、だが威厳のある声だ。
「……こんな嵐の夜に?」
アルリックが玄関を開けると、そこには雪だるまのように真っ白になった老人と、付き人のような壮年の男が震えて立っていた。
「……死ぬかと思うたぞ。宿を貸してくれんか」
老人はフードを深く被っているが、その身なりは明らかに只者ではない。
質の良い毛皮のコート。腰には装飾された剣。
だが、今はただの「寒くて腹を空かせた爺さん」だった。
「どうぞ。……ちょうど鍋が煮えてますから」
アルリックは二人を招き入れた。
「鍋……? おお、なんと良い匂いじゃ……」
老人はコタツに案内されると、その暖かさに「ほぅ……」と魂が抜けたような声を出し、そして目の前の鉄鍋に釘付けになった。
「旅の方もどうぞ。……身体が温まりますよ」
アルリックが新しい取り皿と卵を渡す。
老人は躊躇なく肉を卵に絡め、口に運んだ。
ハフッ、ハフッ。
「…………ッ!!」
老人の動きが止まる。
そして、ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ後、深く深く息を吐いた。
「……美味い。……なんと美味い肉じゃ……」
その目には、涙が浮かんでいた。
「王城……いや、実家で食う飯よりも、遥かに温かく、美味い……」
老人は夢中で食べた。
春菊の苦味、ネギの甘み、豆腐の熱さ。
冷え切った老体に、命の火が灯るような食事だった。
「……ここは良い所じゃな。民(仲間)も楽しそうで、飯も美味い。……王都とは大違いじゃ」
老人はポツリと漏らした。
その横顔を見て、エレノアが「あっ」と声を上げそうになったが、アルリックは素早く彼女の口にシイタケを突っ込んで黙らせた。
(……気づかないふりをしておこう)
アルリックは苦笑した。
この老人。隠そうとしているが、王家の紋章が入った指輪をしている。
現国王、オスワルド3世だ。
ルディウス王太子の父親であり、心労で隠居したと噂されていたが、まさかお忍びで視察に来るとは。
「……店主(アルリックと言ったか)。この『コタツ』とやら、気に入った」
満腹になった国王は、コタツに深く潜り込み、ブランの毛皮を撫でながら言った。
「わしはしばらく、ここから出んぞ。……王都のバカ息子の顔など見たくもないわ」
「……おや、それは困りましたね」
アルリックはお茶を啜った。
こうして、
・王太子の婚約者(聖女)
・王太子の父親(国王)
という、王国のトップ2が、エデンのコタツに「捕獲」されてしまった。
王城では今頃、ルディウス王太子が「親父もエレノアもどこへ行ったんだーッ!?」と発狂していることだろう。
エデンの冬は、雪に閉ざされているが、政治的には「最も熱い場所」になりつつあった。




