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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第3話 天使の肌触りと界面活性

 至福のバスタイムを終えたアルリックを待っていたのは、残酷な現実だった。

「……痛い」

 風呂上がりの濡れた肌に、脱衣所に用意されていたタオルが突き刺さる。

 公爵家で使われているのは、最高級の麻布だ。だが、この世界には柔軟剤もなければ、乾燥機もない。天日でバリバリに乾燥しきった麻の繊維は、もはや布というより、目の粗い紙やすりに近かった。

(せっかくお湯で温まって、毛穴が開いているのに。……こんな凶器で肌を擦ったら、僕の表皮が泣いてしまう)

 アルリックは五歳の幼児特有の、柔らかく敏感な肌を見つめた。

 前世の記憶にある、あの「今治タオル」のような、顔を埋めたくなる柔らかさが恋しい。

「アルリック様、どうなさいました? お体、拭きますよ」

 浴室から出てきたアルリックが固まっているのを見て、乳母のノーラが駆け寄ってくる。

 彼女の手には、その「凶器」が握られていた。

「待って、ノーラ。……その布、ちょっと貸して」

「え? はい。でも、冷えてしまいますよ?」

 アルリックは、ノーラからゴワゴワの布を受け取った。

 指先で触れるだけでわかる。繊維が絡まり合い、倒れ、ぺしゃんこに潰れている。これでは吸水性も悪いし、何より肌触りが最悪だ。

(原因は明白だ。……洗濯洗剤代わりの『灰汁』が繊維に残って硬化していること。そして、繊維の並びがランダムに固まっていること)

 アルリックは溜息をつき、そのタオルに小さな手を押し当てた。

 再び、彼の瞳に青い光が宿る。

 解像度を上げろ。

 見るべきは、布の織り目ではない。それを構成する、一本一本の「セルロース繊維」だ。

(まずは、残留しているアルカリ成分を中和・分解。……除去)

 魔力の風が、繊維の隙間にこびりついた微細な汚れを弾き飛ばす。

(次に、繊維の構造改革だ。……ペシャンコに潰れたループを、魔力で一本ずつ立たせる。繊維と繊維の間に空気の層を作り、反発力を生ませる)

 イメージするのは、春の雲。あるいは、焼きたてのパン。

 繊維の表面にある微細な毛羽立ちを、静電気の制御で一定方向に整え、摩擦係数を極限までゼロに近づける。

 ――フワァ、と。

 アルリックの手の中で、物理法則を無視した現象が起きた。

 板のように硬かった麻布が、まるで呼吸をするように膨らみ始めたのだ。

 重力に逆らって繊維が立ち上がり、見るからに柔らかな、純白のボリュームが生まれていく。

「えっ……? タオルが、膨らんで……?」

 ノーラが目を丸くする前で、アルリックは「改良」を終えたタオルに顔を埋めた。

「……うん。合格点」

 頬に触れる感触は、もはや麻ではない。

 最高級の綿花、あるいはシルクと羽毛を掛け合わせたような、とろけるような肌触り。

 吸水性も劇的に向上しており、肌に軽く当てるだけで、水分が瞬時に吸い取られていく。ゴシゴシ擦る必要など、どこにもない。

「はい、ノーラ。これで拭いて」

「は、はい……」

 おっかなびっくりタオルを受け取ったノーラは、その瞬間、小さな悲鳴を上げた。

「きゃっ! ……な、なんですか、これ!? 雲!? アルリック様、これ、布じゃありませんわ! まるで赤ちゃんの産毛のような……!」

 彼女は自分の手が、タオルのあまりの柔らかさに沈み込む感覚に戦慄していた。

 いつもなら、自分の手荒れが布に引っかかって痛いのに、このタオルは優しく包み込んでくれる。

「ただ繊維を整えて、間に空気を含ませただけだよ。……ああ、それと」

 アルリックは、脱衣所のカゴに積まれた他の洗濯物にも視線を向けた。

 公爵家の家事は重労働だ。特に洗濯は、冷たい水で、板に擦り付けて汚れを落とす。ノーラの手が荒れるのも無理はない。

(汚れが落ちにくいのは、水の『表面張力』が高すぎて、繊維の奥まで水が浸透しないからだ)

 彼はついでとばかりに、カゴに向かって指を弾いた。

(水分子の結合を緩める。……界面活性効果を付与。これで次からは、浸け置きするだけで泥汚れも皮脂も勝手に浮き上がるはずだ)

 それは、現代の酵素系洗剤を魔法で再現するようなものだった。

「これからは洗濯も楽になるはずだよ。……僕、もう眠いからベッドに行くね」

 ふわふわのタオルで全身を拭かれ、満足したアルリックは、あくびをしながら寝室へと向かう。

 その背中を見送りながら、ノーラは涙ぐみ、魔法のタオルを抱きしめていた。

「……アルリック様。あなたは、本当に……」

 彼女の手荒れさえも、この柔らかい布が癒やしてくれるような気がした。

 この日、公爵家の「洗濯係」のメイドたちの間で、謎の怪現象が報告された。

 冷たい水につけただけで真っ白になるシーツと、干すと勝手に膨らむタオルの噂が。

 アルリックの快適さへの執着は、彼が知らないところで、働く大人たちの労働環境(ブラック企業並み)をも、ホワイト化し始めていたのである。

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