第29話 商業ギルドのドンと黄金のプリン
キースが仲間になってから数日後。
アルリックは彼に最初の任務を与えた。
「……王都へ行って、客を連れてきてほしい」
「客? どんな客だ?」
「金払いが良くて、美食家で、最近ストレスが溜まっている人物。……この『エデン温泉』の最初の常連客になってもらう」
キースはニヤリと笑った。
彼には心当たりがあった。かつての雇い主であり、王国の物流を支配する商業ギルドの長、カルロ・ベネディクトだ。
***
一週間後。
エデンの敷地に、一台の豪華な馬車が到着した。
ただし、その馬車は少し変わっていた。
車輪には「スライムゴム」で作られたタイヤが装着され、座席の下には風魔法の「サスペンション」が組み込まれている。
アルリックが改造した『快適仕様』だ。
「……ふう。悪くない乗り心地だったな」
馬車から降りてきたのは、恰幅の良い初老の男だった。
高そうな服を着ているが、その顔には深い疲労の色が滲んでいる。
商業ギルドのドン、カルロだ。
「ここが噂の『辺境』か? キース、お前が『天国がある』と言うから来てみたが……」
カルロは周囲を見渡して絶句した。
荒野のど真ん中に、突如として現れた美しい日本庭園(エルフ作)。
そして、風情ある木造建築の旅館(ドワーフ作)。
「……なんだ、ここは。王都の別荘地よりも立派ではないか」
「ようこそ、カルロ様」
玄関から現れたのは、作務衣のようなリラックスウェアを着たアルリックだった。
「旅の疲れを癒やしてください。……極上の『おもてなし』を用意しています」
***
一時間後。
大浴場でヒノキの香りと温泉に骨抜きにされたカルロは、ふらふらと大広間へやってきた。
浴衣姿だ。
顔色は到着時とは別人のように良く、頬は桜色に染まっている。
「……信じられん。肩の痛みが消えた。……それに、なんだこの服は。締め付けがなく、風が通って心地よい」
彼は上機嫌で座布団に座った。
目の前のテーブルには、見たこともない料理が並んでいる。
「本日のメインは『天ぷら』です」
アルリックが運んできたのは、エルフ農園の野菜と、川で獲れたエビ(に似た甲殻類)を、黄金色の衣で揚げた料理だ。
横には、例の『マヨネーズ』と、特製の『天つゆ』が添えられている。
「揚げ物か……。胃に重そうだが」
カルロは少し眉をひそめたが、揚げたての香ばしい匂いに抗えず、エビ天を口に運んだ。
――サクッ。
「……!」
カルロの目が丸くなった。
軽い。驚くほど軽い。
油切れが完璧で、噛んだ瞬間に衣が弾け、中のエビがプリプリと踊りだす。
「美味い……! なんだこの衣は? まるで空気のように軽い。風魔法で油を飛ばしたとでもいうのか……?」
「企業秘密ですよ。……マヨネーズも試してください」
言われるがままに、今度は野菜の天ぷらにマヨネーズをつけて食べる。
サクッ、ジュワッ。
酸味とコクが、油の旨味を倍増させる。
「くっ……! 濃厚だ、なのに箸が止まらん!」
カルロの額に汗が滲む。
油と酸味のハーモニー。これが喉の渇きを誘発しないわけがない。
「ぬおおおおっ! 酒だ! エールを持ってこい! この濃厚な味には、強い酒が必要だ!」
カルロは我慢の限界を超え、叫んだ。
すると、アルリックが涼しい顔で、一本のガラス瓶を持ってきた。
「エールもいいですけど……この料理には、こっちが合いますよ」
トクトクトク……。
猪口に注がれたのは、水のように透き通った液体だった。
「……なんだこの水は? 透明な酒だと?」
「騙されたと思って。……どうぞ」
カルロは疑いつつも、喉の渇きに任せてそれを煽った。
クイッ。
「…………ッ!!」
カルロの動きが止まる。
雑味のない、研ぎ澄まされた味わい。
フルーティーな香りが鼻に抜け、米の旨味だけが舌に残る。
油っこくなった口の中が、一瞬で清められていくようだ。
「……はぁぁ……」
深い、深い溜息が漏れた。
王都のエールのような雑味や苦味は一切ない。
「……極楽とは、ここにあったか」
王都での激務、ライバルとの競争……すべてのストレスが、温泉と美食、そして美酒によって洗い流されていく。
満腹になったカルロが至福の表情で腹をさすっていると、アルリックが最後の皿を持ってきた。
「デザートは別腹ですよね?」
「む? まだあるのか?」
置かれたのは、小さなガラスの器に入った、プルプルと震える黄色い物体だった。
上には、焦げ茶色のソースがかかっている。
『カスタード・プリン』だ。
コカトリスの濃厚な卵と、新鮮なミルク、そして砂糖を使い、スチームオーブンでじっくり蒸し上げた至高のスイーツ。
「……なんだこの頼りない物体は」
カルロはスプーンでつついた。
プルン、と揺れる。
口に運ぶ。
――チュルン。
「…………ッッ!!?」
カルロが時を止めた。
口に入れた瞬間、形を保っていたはずの黄色い物体が、舌の温度でなめらかに溶け出したのだ。
濃厚な卵のコク。
ミルクの優しい甘み。
そして最後に訪れる、カラメルソースのほろ苦い「焦げ」の香り。
(あ、甘いだけじゃない……! この苦味が、大人の味だ……!)
それは、人生の酸いも甘いも噛み分けた、初老の商人の心に深く突き刺さった。
「……美味い。……美味すぎる……!」
カルロの目から、一筋の涙が流れた。
王都の一流パティシエが作るケーキよりも、この素朴で繊細なプリンの方が、遥かに心を揺さぶる。
「アルリック殿……」
カルロはスプーンを置き、真剣な眼差しで言った。
「この地を……『エデン』を、我がギルドが全力で支援しよう。道路も整備する。物資も送る。……だから頼む」
彼は頭を下げた。ギルドのトップが、一介の少年に頭を下げたのだ。
「私専用の『会員権』を売ってくれ! あと、このプリンの独占販売権を!」
「会員権はいいですけど、独占はダメですよ。……みんなで食べたほうが美味しいですから」
アルリックは爽やかに笑った。
こうして、王国の経済を支配する商業ギルドが、エデンの「下請け(スポンサー)」に成り下がった。
カルロが帰還した後、王都の富裕層の間で「辺境に天国があるらしい」「死ぬほど美味い黄色い宝石がある」という噂が爆発的に広まることになる。
アルリックの「観光立国計画」は、順調すぎるほど順調に滑り出した。
だが、光が強ければ影も濃くなる。
王都でその噂を聞きつけ、嫉妬に狂う男――かつてのライバル、ルディウス王太子が、黙っているはずがなかった。




