第22話 荒野の湯けむりと歩く豚肉
追放生活、二日目の朝。
荒野に突如として現れたモダンなコンクリート邸宅のテラスで、アルリックは優雅にモーニングコーヒーを啜っていた。
豆は、王都で買い占めた最高級品。
水は、地下水脈から汲み上げた天然水。
そして、傍らには『スチコン』で焼いたばかりの、サクサクのトースト(バターたっぷり)がある。
「……悪くない。空気も乾燥していて、洗濯物がよく乾きそうだ」
アルリックは満足げに荒野を見渡した。
見渡す限り何もない、殺風景な岩と砂の世界。
だが、彼にとっては「騒音ゼロ」「人口密度ゼロ」の天国だ。
「おい、アルリック! そんな悠長にしてていいのかよ!」
リビングから、武装したレオナルドが飛び出してきた。
彼は大剣を背負い、殺気立っている。
「夜中に遠吠えが聞こえたぞ。ここは魔物の巣窟だ。いつ襲撃があってもおかしくねぇ!」
「落ち着いて、レオナルド。……朝食は食べた?」
「食べたけどよ! あのパン、美味すぎて三斤食っちまったけど!」
胃袋は正直だ。
アルリックはカップを置き、立ち上がった。
「魔物対策も大事だけど、まずはQOLの向上だ。……僕には、どうしても手に入れたいものがある」
「手に入れたいもの? 武器か? 防壁か?」
「いいや。……『温泉』だ」
「は?」
***
邸宅の裏手にある岩場。
アルリックは杖を地面に突き刺し、目を閉じていた。
(解像度を上げろ。……地殻変動の痕跡をスキャン)
彼の魔力が地下深くへと浸透していく。
岩盤の裂け目。地下水の流れ。そして、そのさらに奥にある熱源(マグマ溜まり)。
(……ビンゴだ。地下150メートル地点に、高圧の熱水脈がある)
この辺境「エデン」は、火山帯に近い。温泉が出ないわけがないのだ。
「レオナルド、少し下がっていて。……掘削を開始する」
アルリックは杖を掲げた。
「――穿て。螺旋の杭」
ズガガガガガッ!!
土魔法で形成されたドリル状の杭が、猛烈な回転と共に地面に突き刺さった。
岩盤を砕き、砂を巻き上げ、地底へと潜っていく。
現代の掘削機も裸足で逃げ出すスピードだ。
「おいおい、地面に穴なんか開けてどうすんだよ!?」
「地下の圧力を解放するんだ。……そろそろ来るぞ」
アルリックがカウントダウンを始めたその時。
ドスドスドスドスッ!!
遠くから、地響きのような音が近づいてきた。
掘削の振動を聞きつけたのか、土煙を上げて巨大な影が猛進してくる。
「ア、アルリック! 魔物だ! デカいぞ!」
レオナルドが大剣を抜く。
現れたのは、軽自動車ほどもある巨大な猪だった。
背中から炎のような赤い毛を逆立て、牙からは蒸気を噴き出している。
「『フレイム・ボア』だ! Bランクの狂暴な魔獣だぞ! 突進されたら家ごと粉砕される!」
レオナルドが前に出ようとする。
だが、アルリックは動じない。むしろ、その目が「食材を見る目」に変わった。
(……フレイム・ボア。火属性の魔物。ということは、肉質は筋肉質だが、脂身は活性化していて甘いはずだ)
アルリックは掘削を続けながら、片手で猪に向けた。
「……ちょうどいい。風呂上がりの『おかず』が向こうから来てくれた」
「おかず!?」
猛スピードで突っ込んでくる猪。
距離は50メートル、30メートル……。
アルリックは冷静に、猪の足元の地面に照準を合わせた。
(摩擦係数を操作。……ゼロへ)
――ツルッ。
地面が、氷以上の滑らかさに変質した。
全力疾走していた猪の足が、空転する。
「ブモッ!?」
慣性の法則は無慈悲だ。
制御を失った数トンの巨体は、そのまま横倒しになり、凄まじい勢いで滑走した。
そして、アルリックがあらかじめ設置しておいた『自動解体用・風の刃』の結界へ、自分から飛び込んでいった。
ザシュッ!!
一瞬だった。
首が飛び、血抜きが行われ、皮が剥がれ、ブロック肉へと解体されるまでの早業。
「……下処理、完了」
アルリックは指を鳴らした。
目の前には、綺麗に切り分けられた「最高級・猪肉」と「バラ肉」が積み上がっている。
「……な、なんだ今の……。剣も抜かずに、Bランク魔獣を……?」
レオナルドが剣を持ったまま硬直していると、今度は足元から轟音が響いた。
シューーーーーッ!!
掘削した穴から、白い蒸気が噴き上がる。
続いて、琥珀色に輝く熱湯が、間欠泉のように空高く舞い上がった。
「……出た」
アルリックは噴出する湯に手を翳し、成分分析を行った。
(pH8・5。弱アルカリ性単純泉。……肌の角質を柔らかくし、美肌効果のある『美人の湯』だ。温度は52度。少し加水すれば適温になる)
完璧だ。
彼は即座に土魔法で岩を組み上げ、荒野を見下ろす『露天風呂』を作り上げた。
「さあ、レオナルド。戦闘(食材確保)は終わったよ」
アルリックは服を脱ぎ捨て、湯気が立ち上る岩風呂へと足を向けた。
「ひとっ風呂浴びてから、あの猪肉で『牡丹鍋』にしよう。……味噌と生姜で煮込めば、とろけるほど美味いはずだ」
「……お前、ここが辺境だってこと、忘れてないか?」
レオナルドは呆れ果てたが、漂ってくる温泉の硫黄の匂いと、新鮮な肉の誘惑には勝てなかった。
数分後。
荒涼とした大地を眺めながら、男二人が湯に浸かり「くぅ~ッ!」と唸る声が響き渡った。
「……極楽だ」
「……ああ、極楽だな」
王都から追放された絶望など、どこにもない。
あるのは、源泉かけ流しの贅沢と、これから始まるジビエ料理への期待だけだった。




