第17話 食堂の絶望と黄金の揚げ物
305号室が「快適な避難所」として完成した翌日。
アルリックとレオナルドは、昼食をとるために学院の食堂へと足を運んだ。
広大なホールには、数百人の学生がひしめき合っている。
だが、漂ってくるのは食欲をそそる香りではなく、煮込みすぎた野菜の匂いと、焦げた小麦の匂いだけだった。
「……嫌な予感がする」
アルリックはトレーを持って列に並んだ。
配膳係のオバちゃんが、無表情で皿に盛り付けたのは――。
・石のように硬い黒パン。
・茶色く濁った、具の正体が不明なスープ。
・塩茹でしただけの、パサパサの鶏肉。
「…………」
アルリックは席に着き、スプーンでスープを掬った。
一口、啜る。
(解像度が……ない)
味がしない。
いや、正確には「塩味」と「えぐみ」しかしない。出汁という概念が欠落しており、野菜の甘みは煮込みすぎて死滅している。
鶏肉に至っては、旨味がすべてお湯に溶け出した後の「出がらし」のようだ。
「……レオナルド君。君は、これを『食事』と呼ぶのか?」
「ん? まあ、学院のメシなんてこんなもんだろ。腹が膨れりゃいいんだよ、腹が」
レオナルドは豪快に硬いパンをスープに浸し、バリボリと噛み砕いている。
騎士科の胃袋は頑丈らしい。
「……無理だ。僕のQOL(生活の質)が、こんな『餌』を許容しない」
アルリックは静かにスプーンを置いた。
このままでは、ストレスで胃に穴が空く。
「帰ろう、レオナルド君。……部屋で『本当の鶏肉料理』を見せてあげる」
***
305号室に戻ったアルリックは、すぐに窓を閉め切り、強力な『換気結界』と『防音結界』を展開した。
寮内での自炊は(たぶん)グレーゾーンだ。匂いが漏れれば騒ぎになる。
「おいおい、何を作る気だ? 鶏肉なんて焼くくらいしか……」
「焼くんじゃない。……『揚げる』んだ」
アルリックが空間収納から取り出したのは、新鮮な鶏もも肉と、醤油、生姜、ニンニク、そして片栗粉。
さらに、たっぷりの油が入った深鍋を魔導コンロにセットする。
(解像度を上げろ。……目指すのは、衣はカリッと、中は肉汁の洪水)
彼は手際よく肉を一口大に切り、特製ダレ(醤油・酒・生姜・ニンニク)に揉み込む。
ここでも『時間加速』と『浸透圧操作』を使い、一晩寝かせたレベルまで味を染み込ませる。
「……よし。ここからが勝負だ」
アルリックは片栗粉をまぶし、油の温度を180度に設定した。
(温度管理。……油の温度を一度たりとも下げない。食材を入れた瞬間の温度低下を、魔力加熱で即座に補正する)
――ジュワアアアアッ!!
心地よい音が部屋に響く。
高温の油の中で、鶏肉が踊る。
衣から水分が抜け、代わりに旨味が凝縮されていく。
香ばしい醤油とニンニクの香りが、換気結界の中で暴れ回る。
レオナルドの鼻がヒクヒクと動いた。
「な、なんだこの匂いは……! 暴力だ! 匂いだけで腹が鳴る!」
「……まだだ。二度揚げ(ダブルフライ)で、衣の水分を完全に飛ばす」
一度取り出し、余熱で火を通した後、さらに高温で短時間揚げる。
これにより、表面はガラスのように硬くクリスピーに、中は蒸し焼き状態でジューシーに仕上がる。
――カラカラッ。
油から引き上げられた黄金色の塊が、網の上で軽快な音を立てた。
唐揚げ。
居酒屋メニューの王様。
「完成。……さあ、例の『冷えたエール』を出して」
「お、おう!」
レオナルドが冷蔵庫からキンキンの瓶を取り出す。
アルリックは皿に山盛りの唐揚げをドンと置いた。
「熱々のうちにどうぞ」
レオナルドは震える手で、黄金の塊を掴んだ。
アチチ、と言いながら口に放り込む。
――ザクッ!!
部屋中に響く、小気味よい破砕音。
その直後。
「あふっ……! んぐっ、はふはふ……!!」
カリカリの衣を突破した先から、熱々の肉汁が爆弾のように溢れ出した。
醤油と生姜のパンチの効いた味。
鶏肉のプリプリとした弾力。
パサパサだった食堂の肉とは、生物学的に別種と思えるほどのジューシーさだ。
「う、うんめぇえええええッ!!」
レオナルドが絶叫した。
「なんだこれ!? 衣がサクサクで、中がトロトロだ! 噛むたびに旨味が……!」
「そこでエールを流し込むんだ」
「!!」
言われるがままに、彼は冷たいエールを煽った。
脂っこくなった口の中を、冷たい炭酸が洗い流していく。
脂の旨味と、麦の苦味。熱さと冷たさ。
完璧なマリアージュだ。
「ぷはぁっ!! ……最高だ。これ以上の幸せがこの世にあるか!?」
レオナルドは涙目になっていた。
唐揚げを齧り、エールを飲む。その無限ループが止まらない。
「……ふむ。やっぱり揚げ物には炭酸だね」
アルリックも一つ摘み、満足げに頷いた。
食堂の絶望など、もう彼の中にはない。
だが、ここで誤算が生じた。
アルリックの張った『換気結界』は、部屋の匂いを外に出さないためのものだった。
しかし、あまりにも強力な唐揚げの匂い(ニンニク爆弾)は、わずかなドアの隙間から漏れ出し、廊下を通る学生たちの鼻を直撃してしまったのだ。
コンコンコン。
控えめなノックの音がした。
「……おい、レオナルド。いるのか?」
ドア越しに聞こえたのは、隣の部屋の先輩の声だった。
「なんか、すげぇいい匂いがするんだが……」
アルリックとレオナルドは顔を見合わせた。
見つかった。
「……どうする、アルリック?」
「……仕方ない。口止め料として、一個だけ食べさせてあげよう」
この判断が、間違いだった。
一口食べた先輩が「なんだこの神の食べ物は!?」と発狂し、その騒ぎを聞きつけた別の学生が集まり、305号室の前に行列ができるまで、わずか10分。
この夜、305号室は伝説の「闇居酒屋」として、魔導学院の裏歴史に名を刻むことになったのである。




