第16話 悪魔の家電とキンキンの祝杯
掃除とリフォームを終えた305号室は、王立魔導学院の寮とは思えないほど快適な空間になっていた。
空気は清浄で、室温は常に24度に保たれ、ベッドは雲のような寝心地。
「すげぇ……マジですげぇぞ、アルリック!」
ルームメイトのレオナルドは、すっかりアルリックの信者になっていた。
彼は感動のあまり、自分の荷物から木箱を取り出した。
「これだけの歓迎を受けちまったんだ。俺からも礼をさせてくれ! 実家から送ってきた『祝い酒』だ!」
騎士科の彼は、どうやら隠し持っていたらしい。
木箱から出てきたのは、琥珀色のエールが入ったガラス瓶だ。
「王都じゃ有名な銘柄だぜ。さあ、やろう!」
レオナルドが豪快にコルクを抜く。
ポンッ、といい音がして、麦の香りが漂った。
だが、アルリックの表情は優れない。
「……レオナルド君。そのエール、温度は?」
「あん? 温度? ……まあ、常温だな。ここに来るまで馬車で揺られてたし、ちょっと生ぬるいかもな」
アルリックは絶望した。
この世界では、冷蔵庫が存在しない。
酒もジュースも、基本的に「常温」で飲むのが当たり前だ。冬ならまだしも、今は初夏。生ぬるい炭酸など、彼にとってはただの苦い汁でしかない。
(解像度が低い。……炭酸飲料の真価は、喉を刺すような冷たさと、爽快な喉越し(キレ)にあってこそだ)
アルリックは、差し出されたコップを手で制した。
「……待ってくれ。そんな生ぬるいものを飲むなんて、麦への冒涜だ」
「はあ? じゃあどうすんだよ。氷魔法使いでも呼んでくるか? 氷を入れたら味が薄まるぞ」
「氷はいらない。……僕が欲しいのは『冷却』だ」
アルリックは部屋の隅にあった、備え付けの木製の戸棚に目をつけた。
彼は立ち上がり、その戸棚の前で指を鳴らす。
(解像度を上げろ。……熱力学第二法則への挑戦だ)
彼の瞳が、冷徹な青色に輝く。
ただ冷やすだけではない。空間そのものを断熱し、熱エネルギーだけを外部へ汲み出すシステムを構築する。
(まずは断熱材。……木材の繊維に真空の層を作り、外部からの熱伝導を遮断する)
戸棚全体が、淡い結界に包まれた。
これで、魔法瓶と同じ構造になった。
(次に、熱交換。……庫内の空気から熱を奪い、背面の放熱板へ移動させる。冷媒ガスは風魔法で循環)
――ブゥゥン……。
微かな重低音が響き始める。
現代の冷蔵庫と同じ、コンプレッサーの駆動音に近い音だ。
庫内の温度が、みるみるうちに下がっていく。
20度、15度、10度……そして、黄金比である4度へ。
「よし。……レオナルド君、その瓶をここに入れて」
「お、おう……?」
言われるがままにエールの瓶を戸棚に入れる。
アルリックは扉を閉め、さらに「時間加速」の術式を重ねがけした。
通常なら数時間かかる冷却を、わずか数分に圧縮する。
3分後。
「……解凍」
アルリックが扉を開けた瞬間。
白い冷気が、足元へ流れ落ちた。
「うおっ!? なんだ今の白い煙!?」
レオナルドが驚く中、アルリックは中から瓶を取り出した。
その表面には、びっしりと水滴(結露)がついている。
指先が痛くなるほどの冷たさだ。
「……これが、文明の味だ」
アルリックは二つのコップに、その液体を注いだ。
トクトクトク……シュワワワ……。
泡立ちが違う。冷えた液体の中で、炭酸ガスが細かく弾けている。
「さあ、飲んでみて。……一気にいくのが作法だよ」
レオナルドは、汗をかいているコップをおそるおそる手に取った。
冷たい。まるで冬の小川に手を突っ込んだようだ。
「……い、いただくぜ」
彼はコップを傾け、喉の奥へと流し込んだ。
――キュッ!
喉が鳴る。
その直後、レオナルドの目がカッと見開かれた。
「――――ッッ!!?」
衝撃が走った。
冷たい! 痛いほどに冷たい!
だが、その冷たさが炭酸の刺激を鋭くし、麦の苦味をキレのある旨味に変えている。
生ぬるい時に感じた雑味や、べたつくような甘さは一切ない。
あるのは、突き抜けるような爽快感だけだ。
「ぷはぁっ!!」
レオナルドが豪快に息を吐いた。
その顔には、これまでに見せたことのない恍惚の色が浮かんでいた。
「う、美味ぇ……! なんだこれ!? 俺が知ってるエールじゃねぇ! 喉が! 喉が喜んでやがる!」
「それが『喉越し』だよ」
アルリックも、自分の分を静かに飲み干した。
うん、悪くない。4度の適温だ。
久しぶりに味わうキンキンの炭酸が、五臓六腑に染み渡る。
「……アルリック。お前、天才か?」
レオナルドは空になったコップを握りしめ、震える声で言った。
「掃除だけじゃねぇ。こんな……こんな『悪魔の箱』まで作れるなんて……!」
彼は冷蔵庫(ただの戸棚改)を、まるで神器のように崇め始めた。
「頼む! 俺のジュースも冷やしてくれ! いや、実家から送ってきたハムもだ! チーズも入れたら美味くなるか!?」
「まあ、保存性も高まるからね。好きに使っていいよ」
「一生ついていきます、アルリック様!」
こうして、学院生活初日にして、アルリックは最強の護衛騎士(予定)を完全に餌付けすることに成功した。
だが、この『悪魔の箱』の存在が、やがて他の寮生たち――特に、夜な夜なぬるい酒で我慢していた先輩たち――にバレた時、305号室が「会員制のバー」と化してしまう未来を、彼はまだ知らない。




