第15話 魔導学院の低解像度
月日は流れ、アルリック・フォン・クロムウェルは15歳になった。
あの日、王城で「特待生」として認定されてから10年。
公爵領で着々とQOL(生活の質)向上に努め、美味しいご飯と快適な寝床を極めた彼は、ついにその楽園を追い出されることになった。
――王立魔導学院。
王国中の魔導師の卵たちが集う、最高学府である。
「……はあ。帰りたくなってきた」
アルリックは、学院の講堂で深い溜息をついた。
入学式が行われているこの講堂は、歴史ある石造りの建物だが、彼に言わせれば「ただの欠陥住宅」だ。
硬すぎる木のベンチ。
カビ臭い空気。
そして何より、壇上で延々と続く退屈な祝辞。
「諸君! 魔法とは力である! 敵を殲滅し、国威を示すための破壊の槌である!」
壇上で拳を振り上げているのは、かつての宿敵、ルディウス王太子だ。
20歳になった彼は、この学院の生徒会長として君臨している。10年前と変わらず、その思想は「火力至上主義」のままだった。
(……解像度が低い。あまりにも低すぎる)
アルリックは欠伸を噛み殺した。
魔法をただの暴力装置としてしか見ていない彼らの視点は、現代科学を知るアルリックにとって、原始人の石斧自慢に見えてしまう。
「あーあ。早く寮に戻って、特製低反発マットレスで昼寝がしたい」
彼が持参した荷物の中には、空間収納魔法で圧縮された「マイ枕」と「マイ布団」、そして大量の「保存食(レトルトカレーや缶詰もどき)」が入っている。
とりあえず、自分の半径2メートル以内だけでも快適空間に書き換えること。それが彼の学院生活の目標だった。
***
入学式が終わり、新入生たちはそれぞれの寮へと案内された。
アルリックに割り当てられたのは、男子寮の305号室。二人部屋だ。
「……ここか」
重厚な扉の前に立つ。
鍵穴は錆びついており、開けるたびにキーキーと不快な金属音が鳴りそうだ。
(まずは鍵穴への注油。……摩擦係数を低減)
無意識に魔法でメンテナンスしながら、ドアを開ける。
その瞬間。
――モワッ。
湿気を含んだ埃っぽい空気が、顔面に吹き付けてきた。
「…………」
アルリックは無言でドアを閉めようとした。
見なかったことにしたい。
だが、現実は変わらない。
部屋の中は惨憺たる有様だった。
壁の隅には蜘蛛の巣。
窓枠には黒カビ。
ベッドのマットは煎餅のように薄く、中央が窪んでいる。
床には、前の住人が残したと思しき謎のシミと、綿埃の塊が転がっている。
「……汚部屋だ」
アルリックの潔癖センサーが、レッドゾーンを振り切った。
公爵家という「無菌室」で育った彼にとって、ここは病原菌の培養皿に等しい。
「よう! お前が同室か?」
その時、背後からドカドカと足音が近づいてきた。
振り返ると、燃えるような赤髪の少年が立っていた。背には身の丈ほどある大剣を背負っている。
「俺はレオナルド! 騎士科の首席だ! よろしくな、ひょろっとした魔法使い!」
バンッ、と背中を叩かれる。
痛い。そして暑苦しい。
「……僕はアルリック。よろしく」
「おう! しかし汚ぇ部屋だな! まあ、男の勲章みたいなもんか! 細かいことは気にせず寝ようぜ!」
レオナルドは豪快に笑いながら、土足のまま部屋に入り、埃だらけのベッドに荷物を放り投げた。
バフッ、と埃が舞い上がる。
「……ッ!」
アルリックのこめかみに、青筋が浮かんだ。
気にするな?
このPM2・5(微小粒子状物質)が充満した空間で、安眠しろと?
「……レオナルド君。君に一つ、提案がある」
「あん? なんだ?」
アルリックは、静かに懐から杖を取り出した。
いや、それは杖ではない。
先端にモップのような魔力塊を取り付けた、特製『お掃除ロッド』だ。
「今から10分間、部屋の外に出ていてくれないか? ……この部屋の解像度を、人間が住める水準までアップデートするから」
「はあ? 何言ってんだお前……」
レオナルドが言い終わる前に、アルリックの瞳が青く発光した。
「――起動。強制浄化モード」
瞬間、部屋の中央に凄まじい風圧が発生した。
だが、それは物を散らかす暴風ではない。
部屋中の埃、ダニ、カビの胞子だけを正確に吸い寄せる、ダイソンも真っ青の『吸引結界』だ。
「うおっ!? なんだこの風!?」
「カビの根は分子レベルで分解。……壁のシミは漂白。窓ガラスは親水コーティングで汚れを弾く」
アルリックが指揮者のように杖を振るたびに、部屋が劇的に生まれ変わっていく。
薄汚れた茶色の壁は新雪のように白くなり、曇った窓ガラスは存在を忘れるほど透明に。
床のフローリングはワックスをかけたように輝き出した。
そして仕上げに。
煎餅布団に向けて、以前開発した『アンチエイリアシング(ふかふか加工)』をぶっ放す。
――ポンッ!
ペしゃんこだったベッドが、高級ホテルのスイート仕様に膨れ上がった。
「……よし。完了」
風が止む。
そこには、モデルルームのようにピカピカになった305号室があった。
空気は森林浴のように澄み渡り、ほのかにシトラスの香りが漂っている。
「な……な、な……」
レオナルドは顎が外れそうなほど口を開けていた。
「お前、何者だ!? これ、生活魔法か!? 俺の知ってる『クリーン』と全然違うぞ!?」
「ただの掃除だよ。……さあ、靴を脱いで入って。土足厳禁だからね」
アルリックは満足げに頷き、ピカピカの床にマイ・スリッパで踏み入れた。
(ふう。なんとかセーフだ)
しかし、彼はまだ知らなかった。
この「一瞬で汚部屋をスイートルームに変える魔法」を目撃したレオナルドが、翌日から「掃除の神様」としてアルリックを崇拝し始め、勝手に信者を増やしていくことを。
魔導学院での生活は、初日から平穏とは程遠いものになりそうだった。




