第14話 王の胃袋と漆黒の調味料
王都のクロムウェル公爵別邸から、荷物をまとめて領地へ帰ろうとしていた矢先のことだ。
王城からの急使が、アルリックたちの前に立ちはだかった。
「……陛下がお呼びです。『昨晩、貴殿の屋敷から漂った異常な香気について、説明を求める』とのことです」
アルリックは天を仰いだ。
どうやら、解像度を上げて炊いたご飯の香りは、屋敷の壁を突き抜け、近隣の貴族街一帯をパニックに陥れていたらしい。
あまりに芳醇で、未体験の穀物の香り。
それが「謎の魔薬の煙ではないか?」という通報となり、監視していた王家の密偵を通じて、グルメな国王の耳に即座に入ったのだ。
「……はあ。ただご飯を炊いただけなのに」
アルリックは不満たらたらだったが、父のエドワード公爵は違った。
彼はすでに「これは外交の好機だ」と割り切り、使用人たちに炊飯道具一式を持たせていた。
***
再び、王城の謁見の間。
ただし今回は、玉座の前に簡易的なテーブルと、アルリック愛用の「魔導コンロ」がセッティングされている。
「……して、クロムウェルよ。その黒い豆のようなものが、あの騒ぎの元凶か?」
国王が身を乗り出して尋ねた。
その目は、政治家としてではなく、純粋に「腹を空かせたおじさん」の目になっている。
「はい、陛下。これは東方より伝わりし穀物、『米』にございます」
アルリックが答えると、傍らに控えていたルディウス王子が鼻で笑った。
「ふん。米だと? 聞いたことがあるぞ。未開の蛮族が食らう、家畜の餌ではないか」
王子は侮蔑の視線を鍋に向けた。
「父上、騙されてはいけません。このような下等な穀物を王族に供するなど、不敬にも程がある。……おい、その鍋を下げろ!」
近衛兵が動こうとした瞬間。
アルリックの手が、鍋の蓋に触れた。
「……下等かどうか、その鼻で確かめてから言ってください」
カッ!
魔導コンロの火力が最大になる。
すでに下準備を済ませていた米が、一気に沸騰点へと達する。
そして、蒸らしの時間を経て、蓋が開かれた。
――ボワァッ!
謁見の間に、爆発的な「湯気の暴力」が襲いかかった。
炊きたての米特有の、甘く、どこか懐かしく、そして魂を揺さぶるような穀物の香り。
それは、パン食文化の彼らにとって未体験の衝撃だった。
「な……っ!?」
ルディウス王子が後ずさる。
ただの湯気ではない。その匂いだけで、口の中に唾液が溢れ出し、胃袋が収縮して「それをよこせ」と叫び出すような、原初的な食欲の喚起。
「……なんと」
国王がゴクリと喉を鳴らした。
アルリックは手際よく、持参した茶碗に銀シャリを盛り付ける。
そして今回は、TKG(卵かけご飯)ではない。
米そのもののポテンシャルを見せつけるため、もっとシンプルな食べ方を選んだ。
「陛下。……まずは、この『塩むすび』をどうぞ」
彼が差し出したのは、熱々のご飯を天然塩だけで握った、三角形のおにぎりだった。
具はない。海苔もない。
ただ、米と塩と、アルリックの技術(空気を含ませて握る魔法)だけが詰まっている。
「……手づかみで食えというのか?」
「はい。それが一番美味しい食べ方ですから」
国王はおそるおそる、その温かい塊を手に取った。
ずしりとした重み。指先に伝わる熱。
そして、大きく一口。
――パリッ。
表面の塩が弾け、その奥から、モチモチとした粘り気のある米が顔を出す。
「…………!」
国王の目がカッと見開かれた。
咀嚼するたびに、米のデンプンが糖に変わり、強烈な甘みが口いっぱいに広がる。
塩気がその甘みを極限まで引き立て、飲み込んだ後も、喉の奥から「もっとくれ」という信号が送られてくる。
「う、美味い……! なんだこれは! パンとは違う! もっと、こう……生命力を直接食らっているような……!」
国王は夢中で塩むすびを貪った。
一個、二個。止まらない。
王族としての威厳も忘れ、口の周りに米粒をつけながら完食していく。
「馬鹿な……父上が、あのような粗末な塊を……」
呆然とするルディウス王子に、アルリックは次の一手を用意していた。
「殿下。あなたには、こちらを」
彼が差し出したのは、小皿に入れた『焼きおにぎり』だった。
表面にあの「黒い液体(醤油)」を塗り、魔導コンロでカリッと焦げ目をつけたものだ。
香ばしい匂い。
焦げた醤油の香りは、人類共通の弱点だ。
王子の鼻がヒクヒクと動く。プライドが邪魔をして拒否しようとするが、手が勝手に動いてしまう。
「……くっ、毒見だ! 私が毒見をしてやるだけだ!」
王子は言い訳をしながら、焼きおにぎりを口に放り込んだ。
ガリッ。ジュワッ。
「んんっ――!?」
カリカリのお焦げの中から、熱々の醤油味が染み出す。
濃厚な旨味。香ばしさ。そして中の白米の甘み。
「な、なんだこの味は……! 肉料理よりも濃厚で、菓子よりも甘い……! この黒い汁は、魔法の薬か何かなのか!?」
王子は完全に陥落した。
一心不乱に焼きおにぎりを齧り、指についた醤油まで舐め取っている。
「……ふう」
アルリックは満足げに息を吐いた。
これで勝負ありだ。
食事が終わった後、国王は満足感に浸りながら言った。
「……クロムウェル公爵よ。この『米』と『醤油』……我が国の戦略物資に指定する」
「ははっ」
「そしてアルリック。……お前を、王立魔導学院の『特待生』として迎えることを決定する。拒否権はないぞ?」
「え?」
アルリックの笑顔が凍りついた。
「特待生……ですか?」
「うむ。お前のような才能を野放しにはできん。学院でその『生活魔法』を体系化し、国中の食生活を向上させるのじゃ。……もちろん、給食には毎日この『米』を出すことを条件とするがな」
王の目は笑っていなかった。
美味しいご飯を毎日食べるためなら、五歳児を法律で縛ることさえ厭わない。それが権力者というものだ。
「……そんなあ」
アルリックはガックリと項垂れた。
快適な引きこもりライフを送るはずが、いつの間にか「国家の食糧事情を背負う特待生」になってしまった。
こうして、神童アルリックの王都編は、最高の結果(食材確保)と最悪の結果(就職決定)を同時に手に入れて幕を閉じた。
次は、数年後。
成長した彼が、魔導学院という伏魔殿で、さらなる「QOL革命」を巻き起こすことになる。
(第1章 幼少期編・完)




