第13話 銀シャリと黄金の卵
王都にあるクロムウェル公爵家の別邸。
その厨房は、またしても異常な熱気に包まれていた。
「……若様。本気ですか? この『鳥の餌』を食べるおつもりで?」
別邸の料理長が、引きつった顔で尋ねる。
彼の目の前には、アルリックが魔力で精米したばかりの、真っ白な『米』がザルに山盛りになっていた。
「鳥の餌じゃない。これは『銀の宝石』だよ」
アルリックは踏み台の上で、真剣な眼差しで米を研いでいた。
シャカ、シャカ、と小気味よい音が響く。
この世界には「米を研ぐ」という概念がない。雑穀はそのまま煮るのが常識だ。
(解像度を上げろ。……最初の水はすぐに捨てる。糠臭さを吸わせないために)
アルリックの手つきは職人のそれだった。
優しく、しかし確実に。米粒の表面に残った微細な汚れを洗い流し、たっぷりの水に浸水させる。
(浸水時間は三〇分。……でも、僕には『時間加速』がある)
彼はボウルに手を翳し、水分子の運動を活性化させた。
通常なら時間がかかる吸水プロセスを、わずか数秒で完了させる。米の中心部まで水分が行き渡り、白く不透明に変化したのを確認する。
「……よし。準備完了」
アルリックは、分厚い鉄鍋(ダッチオーブンに近いもの)に米と水を移した。
水加減は、指の第一関節――ではなく、魔力による厳密な体積比率計算で『1:1・2』に設定。
「点火」
カッ、と魔導コンロに火が入る。
ここからが勝負だ。
炊飯とは、デンプンの『糊化(アルファ化)』という化学反応だ。
温度が低すぎれば芯が残り、高すぎれば焦げる。
(はじめチョロチョロ、なかパッパ。……昔の人は上手いことを言ったものだ)
アルリックは鍋の中の熱対流を、CTスキャンのように透視していた。
(沸騰までは強火で一気に。……鍋の中の圧力を高め、沸点を一〇〇度以上に引き上げる)
鍋の蓋がカタカタと鳴り始める。
吹きこぼれそうになるギリギリのところで、彼は魔力で蓋を抑え込み、同時に火力を弱火へとシフトさせた。
(赤子泣いても蓋取るな。……蒸らしの工程で、水分を米粒の中に閉じ込める)
厨房の料理人たちが、固唾を飲んで見守る。
ただお湯を沸かしているだけなのに、アルリックが鍋に向ける視線は、まるで爆弾処理班のように鋭い。
そして、十分後。
パチパチ、という微かな音が鍋底から聞こえ始めた。
水分が飛び、お焦げができる直前の合図だ。
「……開封」
アルリックが厳かに蓋を持ち上げた。
――ボワァッ!
濃厚で、甘く、どこか懐かしい香りの蒸気が爆発的に広がる。
湯気の向こうから現れたのは、一粒一粒が立ち上がり、艶やかに光り輝く『銀シャリ』だった。
「おおっ……! なんだこれは、宝石か!?」
覗き込んだ父のエドワード公爵が叫んだ。
先ほどまでの乾燥した粒とは別物だ。水分を含んでふっくらと膨らみ、照明を反射してキラキラと輝いている。
「父上、まだです。……これで完成ではありません」
アルリックは炊きたてのご飯を茶碗(スープボウルで代用)に盛り付けると、もう一つの『主役』を取り出した。
新鮮な鶏の卵だ。
ただし、この世界の卵はサルモネラ菌などのリスクがあり、生食は自殺行為とされている。
(解像度を上げろ。……菌のDNA構造を特定。熱変性を起こさずに、細菌だけを死滅させる『滅菌魔法』)
一瞬だけ、卵が青白く発光した。
これで、世界初の『生食可能卵』の完成だ。
彼は熱々のご飯の中央に窪みを作り、そこに卵を割り落とした。
とろりとした黄金色の黄身が、純白の雪山に鎮座する。
そして、仕上げに――。
港で買い占めた、あの黒い液体『醤油』を垂らす。
ポタリ、ポタリ。
黒い雫がご飯の熱で温められ、香ばしい醤油の香りが立ち上った瞬間、厨房にいた全員の喉が鳴った。
「……完成。特製『TKG(卵かけご飯)』です」
アルリックは箸(これも即席で木を削って作った)を父に渡した。
「さあ、父上。かき混ぜて、豪快に食べてください」
「む、むう……。生卵に、黒い汁だと……?」
エドワード公爵は戦場に赴くような顔で箸を受け取った。
見た目はグロテスクにも見える。だが、香りが理性を揺さぶってくる。
父は意を決して、黄身とご飯、そして醤油をグチャグチャに混ぜ合わせた。
黄金色に染まった米粒を、一口。
「…………」
咀嚼が止まる。
エドワード公爵の目が、これ以上ないほど見開かれた。
(な、なんだこの……旨味の爆弾は!?)
濃厚な卵のコク。
醤油の塩気と、深いアミノ酸の旨味。
そして何より、米だ。噛めば噛むほどに溢れ出す、穀物の優しい甘みと、モチモチとした弾力。
それらが口の中で渾然一体となり、喉を通り過ぎた後も、幸せな余韻が残る。
「う、美味すぎる……!」
ガツガツ、ガツガツ!
公爵としてのマナーも忘れ、父は丼をかき込んだ。
パンのように喉が渇くこともない。無限に食べられる気がする。
「おかわりだ! アルリック、鍋ごとよこせ!」
「あ、ズルい! 僕の分!」
厨房で繰り広げられる、公爵親子の仁義なき争奪戦。
それを見ていた別邸の料理人たちも、こっそりと鍋に残ったおこげを味見し、そして涙した。
「これが……穀物の真の姿……」
「俺たちは今まで、何を食べていたんだ……」
この夜。
王都のクロムウェル別邸から漂う「甘く香ばしい謎の香り」が、近隣の貴族たちを眠れぬ夜へと誘った。
そして翌日。
満足したアルリックたちが領地へ帰ろうとしたその時、王城から緊急の使者が飛び込んでくることになる。
「へ、陛下が! 『昨晩の香りの正体を持て、直ちに参れ』と仰せです!」
――どうやら、解像度を上げすぎた匂いは、王様の鼻まで届いてしまっていたらしい。
帰宅即、Uターン。
アルリックの「引きこもり計画」は、またしても遠のくのだった。




