第113話 悪魔のワンクリック『エデゾン』と、深夜のオニオンタワー
「……指先一つで、欲望のすべてが届く。これこそが資本主義の到達点だ」
深夜のエデン本邸。
アルリックは自室のふかふかなベッドに仰向けに寝転がりながら、魔導タブレットの画面をスクロールさせ、邪悪な笑みを浮かべていた。
無線通信(Wi-Fi)が開通し、屋敷のどこにいても掲示板やチャットが楽しめるようになった。
しかし、アルリックの生活の質(QOL)への渇望はそれだけでは満たされない。
『情報』だけでなく、『物理的なモノ』すらもベッドの上で手に入れたい。
その強烈な怠惰への執着が、彼をさらなる技術革新へと駆り立てていた。
「キース、ドン・カルロ。これがエデンの新しい流通システム……『エデゾン(Edezon)』だ」
アルリックは自室にいながら、タブレットのビデオ通話機能を使って、実務官のキースと商業ギルド長ドン・カルロに新しい画面を見せていた。
画面には、エデンで生産されている農作物、魔導具、日用品、さらには飲食店の出前メニューまでが、美しい画像と共にリストアップされている。
「(解像度を上げろ。……二分探索ツリーによるデータ検索と、ハッシュテーブルによる顧客情報の暗号化管理)」
「アルリック様、この膨大な商品の『絵』と『文字』は、一体どのようにして……?」
「魔石を使った『データベース』さ。商品の情報をインデックス化(整理)して、魔力信号でタブレットに呼び出しているんだ。だが、このシステムの真髄はカタログ機能じゃない」
アルリックは画面に表示された『エデン特製・安眠用低反発クッション(スライム製)』の画像をタップした。
すると、商品の詳細と共に『カートに入れる』というボタンが現れる。
そしてその下には、赤く光る恐ろしいボタンが鎮座していた。
「……『ワンクリックで購入する』ボタンだ」
アルリックがそれをポチッと指で押した瞬間。
『ピピッ。購入が完了しました』
無機質な電子音が鳴り、画面に購入完了の文字が躍った。
「なっ!? アルリック様、今、現金も払わずに買い物が成立しましたぞ!?」
「ドン・カルロ、君の商業ギルドで管理している『魔導銀行』の口座と、この端末の個人IDを紐付けたんだよ。ボタンを押した瞬間に、目に見えないデータ上で口座から代金が引き落とされ、倉庫へ出荷指示が飛ぶ」
「ヒィィッ……!」
画面の向こうで、百戦錬磨のフィクサーであるドン・カルロが恐怖に顔を引きつらせた。
「財布から硬貨を出す『物理的な痛み』を感じさせず、ただ指先を動かすだけで決済が完了する……! こんな恐ろしい仕組み、人間はあっという間に破産してしまいますぞ!」
「その通り。これは人間の『快楽物質』をハックする悪魔のシステムだ。欲しいと思った瞬間に手に入る快感は、いかなる理性をものみ込む」
アルリックはビデオ通話を切ると、一人でクックックと笑い声を漏らした。
すでにエデンの住人たちには、この『エデゾン』のアプリがインストールされた端末が配布されている。そして、その魔の手は国境を越え、王都の要人たちにも「モニターテスト」と称して送りつけられていた。
***
同刻、ガレリア王国の王都。
激務に追われる王太子ルディウスは、執務室の机で頭を抱え、目の下に濃い隈を作っていた。
「……暑い。王城の石壁は熱がこもって最悪だ。それにしても、最近の政務は多すぎるではないか……」
かつて火力至上主義を掲げてアルリックを追放した彼だが、エデンでのコタツの敗北や、節分での「鬼役」としてのストレス発散を経て、今ではすっかり毒の抜けた真面目な王太子へと改心していた。
真面目に国を治めようとすればするほど、書類仕事は増え、疲労は蓄積していく。
「それに、さっきから鳴っているこの『板』はなんだ……?」
エデンから送りつけられた魔導タブレット。
ルディウスが画面に触れると、そこには煌びやかな商品の数々が並んでいた。
『おすすめ商品:エデン特製・冷却ジェルマット。王城の熱帯夜を完璧にサポート!』
「ふん、辺境のまやかしめ……! 私は次期国王ルディウスであるぞ! 以前のように己の欲望のために国費を無駄遣いするような愚か者ではないわ! ……だが、少しだけ見てやるか」
スワイプ。タップ。
滑らかな画面の動きに、ルディウスは次第に引き込まれていく。
そして、商品の下にある『レビュー(星による評価)』の欄が彼の目を引いた。
【評価:星5】『これを敷いて寝たら、腰痛が消えました!』(元帝国皇帝・Vさん)
【評価:星5】『王城のベッドなんてただの岩じゃな。これは極楽じゃ』(現役国王・Oさん)
「父上!? それに帝国のヴァレリウスまで!? ええい、あの隠居老人どもめ、辺境で好き勝手しおって……! だが、そこまで言うなら、一つだけ試してやろうではないか!」
ルディウスは震える指で、『ワンクリックで購入する』ボタンをポチッと押した。
『ピピッ。購入が完了しました。代金はルディウス様の「個人口座(私財)」より引き落とされました』
「なっ!? は、早すぎる! 金貨も出していないのに!? ……だ、だが……」
ポチッ。その瞬間、ルディウスの脳内に未知の快感が溢れ出した。
国費には一切手をつけていない。これは彼自身が身を粉にして働いて得た「正当な個人資産」である。だからこそ、その財布の紐は恐ろしいほどに緩んでしまうのだ。
「なんという手軽さ……! 買い物の『面倒な手続き』が一切ないではないか! ま、待てよ、この『エデン特製・激辛カップ麺(夜食用)』というのも気になる……私財が削られるのは痛いが、この激務のストレスには代えられん! ええい、ポチッ! ……これもだ、ポチッ! ポチッ!」
一度外れたタガは戻らない。
改心した王太子ルディウスは、深夜の執務室で己の貯金を切り崩しながら、魔導タブレットの画面を血の涙と共に連打し始めたのである。
***
一方、 エデン本邸の自室。
アルリックもまた、エデゾンの『深夜のデリバリー枠』のテスト注文を行っていた。
画面をスワイプし、エデンの厨房メニューから選んだのは『深夜限定・悪魔のジャンクプラッター』である。
「よし。注文完了、と」
数十分後。部屋のドアがノックされ、エプロン姿の聖女エレノアがお盆を運んできた。
「アルリック様、エデゾンからの初出前ですわ! ……まあ、なんて暴力的なカロリーの匂いでしょう!」
「ご苦労。……完璧だ」
アルリックは身を起こし、ベッドの上のサイドテーブルにお盆を置かせた。
そこに乗っていたのは、深夜の食欲を直撃する『オニオンリングタワー』と、氷がたっぷり入った琥珀色の液体『クラフトコーラ』だった。
まずは、視覚だ。
太めにスライスされた玉ねぎに、たっぷりの衣を纏わせて揚げられた黄金色の輪っか。
それが皿の上に、まるでジェンガのように高く積み上げられている。
横には、小さな小鉢に入った三種類のディップソース。
『濃厚チェダーチーズ』『明太マヨネーズ』『ガーリックバジル』。どれも深夜に見てはいけない、血管が詰まりそうなほどに魅惑的な色をしている。
「(解像度を上げろ。……重曹の熱分解による炭酸ガス発生と、衣の微細気泡構造の形成)」
アルリックはオニオンリングの衣の秘密を心の中で呟きながら、一番上の一つを指で摘まみ上げた。
そして、濃厚な黄色のチェダーチーズディップへドボンと沈め、たっぷりとソースを絡ませてから、大口を開けてかぶりつく。
――サクッッ!!
静かな深夜の部屋に、極上のクリスピー音が響き渡る。
衣に混ぜ込まれた炭酸水と重曹が、油の高温で爆発的に気泡を作り出し、限界まで軽く、サクサクとした「心地よい破砕音」を生み出している。
――トロォォォッ……。
「……っっ!!」
アルリックの青い瞳が大きく見開かれた。
サクサクの衣を突破した瞬間、中から熱々でトロトロになった『玉ねぎの強烈な甘み』が溢れ出してきたのだ。
加熱されることで辛味が完全に消え去り、フルーツのような甘さを引き出された玉ねぎ。その甘みを、衣の絶妙な塩気と、チェダーチーズの暴力的なコクが完璧に包み込んでいる。
「……美味い。衣のサクサク感と、中のトロトロ感。そしてチーズの塩気が、深夜の脳髄に直接ダメージを与えてくる……」
オニオンリングを飲み込んだアルリックは、すかさず琥珀色のグラスを手に取った。
エデン特製の『クラフトコーラ』だ。
「(解像度を上げろ。……複数の香辛料のアルカロイド抽出と、カラメル色素の生成、そしてヘンリーの法則による強炭酸の強制封入)」
――ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ!
――プハァァァァッ!!
アルリックの口から、爽快な破裂音が漏れた。
八角、シナモン、クローブといった複数のスパイスが複雑に絡み合った奥深い甘み。それにカラメルのほろ苦いコクが加わり、魔力で限界まで圧力をかけられた『超・強炭酸』が、食道から胃袋にかけてバチバチと弾け飛ぶ。
オニオンリングの油とチーズの濃厚さを、スパイスの香りと強炭酸が一瞬で洗い流し、口の中を完璧にリセットしてしまった。
「悪魔的な組み合わせだ……。明太マヨ、ガーリックバジルで味変すれば、このタワーは無限に食える……!」
サクッ! ゴクッ! サクッ! ゴクッ!
アルリックは魔導タブレットでネットの掲示板をスクロールしながら、完全なる片手メシ(ジャンクフード)の永久機関に突入した。
部屋から一歩も出ず、指先一つで世界中の物を買い漁り、極上のジャンクフードをコーラで流し込む。
彼はついに、人間としての怠惰の頂点に立ったのだ。
「(……勝った。僕のQOLは、今夜ついに神の領域に到達した)」
アルリックが満足げにコーラの氷をカラカラと鳴らした、その時だった。
『ピーーーッ! ピーーーッ! 警告! 警告!』
突如、魔導タブレットの画面が真っ赤に点滅し、システム管理者用のけたたましい警告音が鳴り響いた。
「なんだ!?」
バンッ!!
部屋のドアが勢いよく開き、実務官のキースが青ざめた顔で飛び込んできた。
その手には、異常な長さまでプリントアウトされた「注文書」の束が握られている。
「ア、アルリック様ぁぁぁ!! エデゾンのシステムが崩壊寸前です!」
「どういうことだ。サーバー(魔石配列)の容量は十分に確保してあるはずだぞ」
「システムではなく、物理的な『物流』の方です! 王都のルディウス王太子から『プリン』と『冷却マット』の注文が100件連続で入りました! 私財を削ってストレス発散しているようです! さらにこの屋敷内でも、エレノア様がコスメを、レオナルドが筋トレ器具を『ワンクリック』で狂ったように爆買いしています!」
「……チッ。ドーパミンの誘惑に負けた猿どもめ」
「それだけではありません! 海王丸のクラーケン店長から、ブチギレのクレームが届いています!」
キースが泣きそうな声で、タブレットのメッセージを読み上げる。
『ふざけるなアルリック! さっきから注文の紙が無限に吐き出されてくるぞ! 夜食の作りすぎで、我が誇り高き十本の触手が千切れるわ! 今すぐ助けをよこさないと、店を爆破して海へ帰るぞ!!』
「…………」
アルリックは手に持っていたオニオンリングを静かに皿に戻した。
システムが完璧すぎた故に、「作る側」と「運ぶ側」の人間(魔族)が物理的な限界を迎えてしまったのだ。
「……やれやれ。需要に供給網が追いついていないか。自分が楽をするためには、末端の労働環境もホワイトにしてやらないといけないってことだね」
アルリックはベッドから重い腰を上げた。
「無人で運ぶ手段と、クラーケンに代わる『新しいシェフ』を探さないとな……」




