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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第111話 娯楽革命『魔導インターネット』と、極厚カツサンド

「……歩くのが、限りなく面倒くさい」

 深夜零時。静まり返ったエデン本邸。

 アルリック・フォン・クロムウェルは、自室のふかふかなベッドに仰向けに寝転がったまま、天井の木目を虚ろな目で見つめていた。

 胃袋が、キュルリと小さく鳴る。小腹が減ったのだ。

 しかし、この極上の温もりを提供する羽毛布団の引力を振り切り、冷え切った廊下を歩いて一階の厨房まで降りるなど、到底受け入れられる労働ではない。

 かといって、数メートル先の机の上に置きっぱなしにしてある新しい小説を取りに行くのすら、今の彼にとっては「長距離移動」に等しかった。

「誰とも顔を合わせず、この部屋から一歩も動かずに、指先一つで温かい夜食を注文し、文字や映像の娯楽を無限に取り寄せるシステム……。それさえあれば、僕の引きこもり生活は完全なものになる」

 アルリックの青い瞳が、深夜の暗闇でギラリと怪しく光った。

 自分が楽をするためなら、国家レベルの技術革新すら躊躇なく起こす。それがエデン領主のQOL(生活の質)至上主義である。

 彼は即座にベッドから這い出し、図面の作成に取り掛かった。

        ***

 翌朝。アルリックはドワーフの親方ガリンを自室に呼びつけていた。

「おい大将、朝っぱらから酷い目の隈じゃな。また徹夜で妙な図面でも引いとったのか?」

「ガリン、情報革命の時間だよ。エデンの工場で量産している『フロート法の大判板ガラス』。あれを高温の炉でドロドロに溶かして、髪の毛より細い、直径0.1ミリの『ガラスの糸』を引いてくれ」

 アルリックの無茶振りに、ガリンは持っていた酒瓶を吹き出しそうになった。

「ガラスの糸ぉ!? 馬鹿言え、いくら純度の高いガラスでも、そんな極細にしたらちょっと曲げただけでポキッと折れちまうわい!」

「ただのガラスじゃない。中心部コアと、それを覆う外周部クラッドで、意図的に『光の屈折率』を変えた二層構造の糸にするんだ。柔軟性を持たせるための樹脂コーティングも施す」

 アルリックは空中に青白い魔力で、光の屈折の図面を描き出した。

「(解像度を上げろ。……スネルの法則と、全反射によるエネルギーの損失ゼロ)」

「いいかい。光というものは、屈折率の高い物質から低い物質へ進む時、一定の入射角を超えると、境界線で鏡のように『完全に反射される』という性質がある。これを全反射と呼ぶ。この極細の二層ガラス糸の端から、魔力で強い光の点滅信号を送れば……どれだけ糸を長く曲げても、光は外に一切漏れず、反対側まで光速で到達する。……『光ファイバー』の誕生だ」

「光を、曲がった管の中に閉じ込めて遠くまで飛ばすじゃと……? 相変わらず大将の魔法(理屈)は、ドワーフの常識を軽く超えてきおるわい……」

 アルリックの指示のもと、ガリンたち建築・鍛冶の職人総出で、屋敷の壁の中に何本もの光ファイバーケーブルが這わされた。

 各部屋を繋ぐ、巨大な『有線LAN』の構築である。

 各部屋の端末となるのは、光の明滅を二進法(0と1のパケット信号)に変換し、魔導スクリーンに文字として出力する、タイプライター型の巨大な機械キーボードだった。

「よし。インフラは整った。記念すべき開通テストを行う」

 その日の深夜。

 アルリックは自室の巨大な通信機の前に座り、カチャカチャと心地よい打鍵音を響かせながら、一階の厨房へ『世界初の電子メール』を送信した。

 ――タァーン!

『宛先:厨房の誰か。

件名:腹減った。

本文:キーボードを叩きながら片手で食える、極上の夜食を持ってこい。汁物はNGだ。脂と炭水化物を要求する』

        ***

 数秒後。

 一階の厨房では、冷蔵庫からこっそり冷えたエールを取り出そうとしていたレオナルドが、突然「ジジジ……カシャッ!」と動き出した機械から吐き出された紙を見て、素っ頓狂な声を上げていた。

「な、なんだこれ!? 大将からの手紙が、一瞬でこの箱から出てきたぜ!? 魔法の伝書鳩か!?」

「……フッ。通信手段が何であれ、アルリック様の仰ることは絶対ですわ。レオナルド、騒いでいないで早く豚肉の筋切りをしなさいな」

 同じく厨房で夜食のスイーツを漁っていた聖女エレノアが、面白そうに袖を捲り上げ、フライパンと油を用意し始めた。

「大将からのオーダーは『片手で食える極上の脂と炭水化物』だな。任せとけ、俺の得意分野だぜ!」

 レオナルドが分厚く切り出したエデン・ポークの特上ロース肉を叩き、塩胡椒で下味をつける。

 エレノアがそれに小麦粉、溶き卵、そしてエデンの工房で焼かれたパンから作った『粗めの生パン粉』をたっぷりと纏わせた。

「180度の油へ投入しますわ!」

 ジュワァァァァッ!!

 深い鍋の中で、極厚の豚肉が黄金色の油に沈み、暴力的な音を立てて揚がり始める。

 最初は大きな泡と低い音だったのが、肉の中まで火が通り、衣の水分が飛んでいくにつれて、泡は細かくなり、チリチリという甲高い音へと変化していく。

 最高の揚げ上がりの合図だ。

「よし、揚がったぜ! 次はソースだな!」

「ええ。数十種類の果実と野菜、そして地下遺跡で見つけたスパイスをじっくり煮込んで熟成させた『特製ウスターソース』ですわ!」

 油を切った熱々の豚カツを、エレノアが濃褐色の特製ソースの海へドボンと潜らせる。

 ジュッ、とソースが衣に染み込む音が厨房に響き、フルーティーな酸味とスパイシーな香りが爆発した。

 それを、シャキシャキの千切りキャベツと共に、軽く内側の面だけを鉄板でトーストしたフワフワの食パンで挟み込む。

 上から軽く重しをしてパンとカツを馴染ませた後、カエデが研いだ鋭い包丁で耳を落とし、食べやすいサイズにザクッと切り分けた。

「完成ですわ! さあ、冷めないうちにアルリック様のお部屋へお届けしましょう!」

        ***

 十五分後。自室のデスクで待機していたアルリックのもとに、お盆に乗った夜食が届けられた。

「……完璧だ。これこそが夜食の王様だ」

 アルリックの口角が深く吊り上がる。

 お盆に乗っていたのは、出来立ての『特製・極厚カツサンド』だった。

 まずは、視覚ビジュアルだ。

 美しく切り分けられたその『断面』が、深夜の食欲を容赦なく刺激してくる。

 真っ白でフワフワの食パン。鮮やかなキャベツの緑色。そして、ほんのりピンク色が残る極厚の豚ロース肉の白に、ソースの照り輝く濃褐色がジュワリと染み込んでいる。

 視覚だけで胃酸が大量に分泌される、暴力的なまでのカラーコントラストだ。

 アルリックは片手で分厚いカツサンドを掴み、大口を開けてかぶりついた。

 ――サクッッ!!

 次に、聴覚サウンド

 内側をトーストされた食パンと、粗いパン粉が弾け飛ぶ、極上のクリスピー音が静かな部屋に響き渡る。

 その直後。

 ――ジュワァァァッ……!

「……んんんっ!」

 そして、味覚テイスト

 アルリックの喉がゴクリと大きく鳴った。

 噛み切った極厚の豚肉の繊維から、甘く熱い極上の脂が洪水のように溢れ出し、ウスターソースのフルーティーな酸味と絶妙に絡み合う。

 脂っこさをシャキシャキの冷たいキャベツが瞬時にリセットし、フワフワのパンが溢れ出る肉汁とソースを一滴もこぼさず受け止めている。

「……美味い。衣のサクサク感と、蒸気で少ししんなりしたパンのグラデーションがたまらない。肉汁が垂れないからキーボードも汚れないし、ネットサーフィンのお供として、これ以上の完全食は存在しないな」

 アルリックがカツサンドを咀嚼していると、目の前の魔導スクリーンに新しい通知スレッドが次々と立ち上がり始めた。

『エデン匿名掲示板:雑談スレ』

【名無し騎士】:おい、この箱すげぇな! 厨房から大将の部屋まで一瞬で文字が届いたぜ!

【名無し聖女】:素晴らしい発明ですわ。これで冬場、コタツから一歩も出ずに厨房へスイーツの注文ができますわね!

【名無し侍】:拙者、明日の朝は「アジの開き」が所望でござる! 厨房の者、頼んだぞ!

【名無しの隠居王】:おい、誰かわしの部屋に熱燗を持ってこんか! この箱の叩き方がよくわからんのじゃ!

「……お前ら、早くもネット掲示板の『匿名性』に順応しすぎだろ」

 エデン本邸の住人たちが、深夜のテンションで無駄なメッセージを送り合い、掲示板は異常な盛り上がりを見せていた。

 誰も自分の部屋から一歩も出ず、文字だけで完結するコミュニケーション空間。

「(……大成功だ。これで僕の引きこもり生活はさらに盤石になった)」

 アルリックは最後の一口を飲み込み、氷を浮かべた強炭酸水を胃に流し込んで、心地よいゲップを漏らした。

 完璧な夜食。無限の娯楽。すべてが満たされたはずだった。

 しかし、目の前の巨大な据え置き型の通信機を見つめ、アルリックは一つ、致命的な不満を抱く。

「……背中が痛い」

 アルリックは、硬い背もたれから身を起こした。

「光ファイバーの『ケーブル』が繋がっているせいで、僕はこうして『机の前の椅子に座り続けなければならない』からな。これは一種の労働だ。せっかくのQOLが中途半端すぎる」

 アルリックは椅子から立ち上がり、部屋の奥にあるふかふかのベッドを振り返った。

「次は、線をなくした『無線通信(Wi-Fi)』だ。ベッドに仰向けで寝転がったまま、指先一つで操作できる板……『魔導タブレット』を開発して、さらなる究極の怠惰を目指すとしよう」

 エデンの娯楽と情報通信は、こうして深夜の圧倒的なカロリーと共に、誰も抗えない新たな次元(ネット社会)へと突入したのだった。

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