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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第110話 極寒の復讐者と、圧力制御が導く至高のビーフシチュー

 その日、エデン領の入り口に、猛吹雪を突っ切ってやってきた一団があった。

 ガレリア王国クロムウェル公爵家の次期当主にして、アルリックの実の兄――ヴィクトールである。

「はぁ、はぁ……! ついに着いたぞ、辺境のゴミ捨て場め……!」

 ヴィクトールは凍傷寸前の青白い顔で、ガタガタと震えていた。

 後ろに従える私兵たちも、あまりの寒さと過酷な道程に半死半生の状態だ。

 王都では今、記録的な大寒波と、エデンからの食料輸出停止による大混乱が起きていた。家族全員がエデンに寝返り、王都で完全に孤立したヴィクトールは、諸悪の根源であるアルリックを討ち果たすべく、決死の覚悟で進軍してきたのだ。

「見ろ、あのふざけたガラス張りの建物を! 我が魔法で粉々に砕き、奴を極寒の地獄へ引きずり出してやる!」

 ヴィクトールは氷魔法の詠唱を始めながら、エデンの本邸の扉を勢いよく蹴り開けた。

「覚悟しろ、アルリッ――」

 ドバァァァッ……!

 扉が開いた瞬間、ヴィクトールたちを包み込んだのは、冷たい吹雪ではなく、南国のような「むわっ」とした温かい空気と、芳醇なバターの香りだった。

「……は?」

「おお、ヴィクトールじゃないか。お前も温泉に入りに来たのか?」

 呆然とするヴィクトールの視線の先。

 そこでは、厳格だったはずの父・エドワードが、半袖シャツ一枚で寝転がりながら、キンキンに冷えたエールを煽っていた。

 母・セシリアと姉・フェリシアは、顔に謎の白い布(美容液マスク)を貼り付けながら、最新の魔導マッサージチェアで「あ゛あ゛ぁ……」とだらしない声を漏らしている。

「ち、父上!? 母上まで、そのふざけた格好はなんですか!」

「兄さん、うるさいよ。扉を閉めて。せっかくの『温水循環式・床暖房』の熱効率が下がるじゃないか」

 リビングの奥、キッチンのカウンターから、エプロン姿のアルリックが顔を出した。首には相変わらず神獣ブランが巻き付いている。

「温水循環……だと? そんな魔法、聞いたこともない!」

「地下の熱水を床下に張り巡らせた管に循環させているんだ。足元から部屋全体が輻射熱で温まるから、王都の隙間風だらけの暖炉とはQOLの次元が違うんだよ」

 アルリックは呆れたように肩をすくめ、目の前の巨大な「魔導機器」の扉を開けた。

 プシュウゥゥッ……!

 大量の白い蒸気と共に、焼き立てのパンの香ばしい匂いが爆発的に広がる。

「貴様ぁ! 私をコケにする気か! そんな『パン焼き機』で遊んでいる場合か!」

「……遊んでいる? 兄さん、これは君が王都で『貴族のオモチャ』と馬鹿にして僕を追放に追いやった魔導機器の完成形。『スチームコンベクションオーブン・マークⅡ』だよ」

 アルリックはオーブンから、熱々の「塩バターパン」が山盛りになったトレイと、重厚な鋳鉄製の鍋を取り出した。

「兄さんたち、王都の硬い黒パンと冷たいスープばかりで腹が減ってるだろ。……僕が今から、王都の宮廷料理人が一生かかっても作れない『本物の煮込み料理』を食わせてやる」

 アルリックが鍋の蓋を開ける。

 その瞬間、濃厚で複雑なデミグラスソースの香りが、湯気となって立ち昇った。中には、ゴロッとした巨大な肉塊が沈んでいる。

「これは……ただの肉の煮込みか?」

「ただの煮込みじゃない。密閉した鍋の気圧を魔法で操作する『圧力制御』だ。高圧下で沸点を120度まで引き上げることで、数時間煮込んでも硬いスジ肉のコラーゲンが、わずか20分でゼラチン化して溶け出すんだよ」

 アルリックがレードルで肉を持ち上げると、自重でホロリと崩れそうになった。

 それを深皿によそい、生クリームをひと回し。

 焼き立ての塩バターパンを添えて、ヴィクトールの前に差し出した。

「さあ、食え。エデンの科学魔法が生み出した奇跡、『極上ビーフシチュー』だ」

「くっ、こんな得体のしれない茶色いドロドロしたものが……!」

 ヴィクトールは震える手でスプーンを握り、スープと肉を口に運んだ。

「…………ッ!!?」

 カッ! と目が見開かれた。

 噛む必要がなかった。

 口に入れた瞬間、巨大な肉塊が繊維の一本一本までほどけ、濃厚なデミグラスソースの旨味と共に舌の上で溶けていく。

 赤ワインの芳醇な香りと、香味野菜の甘み、そして牛脂のコクが、冷え切った体に染み渡るように広がった。

「な、なんだこれは……! 肉が、消える……!? 私が知っているゴムのような煮込み肉とは、別次元の食べ物だ……!」

 ヴィクトールの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 たまらず、添えられた塩バターパンをちぎり、シチューに浸して口に放り込む。

 外はカリッ、中はモチフワのパン生地が、濃厚なソースをスポンジのように吸い込み、噛むたびに小麦の香りとバターの塩気が溢れ出す。

「う、美味い……! 畜生、悔しいが美味すぎる……!」

 私兵たちもすでに武器を放り出し、泣きながらパンのおかわりを要求している。

「どうだい? 王都の冷たい石造りの部屋に帰って復讐の計画を練るか、それとも、この暖房の効いた部屋で、シチューの鍋底をパンで拭って食うか」

「……パンを、所望する……」

 ヴィクトールは床に両手をつき、屈辱に震えながらも敗北を認めた。

 かつて自分が嘲笑した弟の技術が、これほどの幸福を生み出すものだと、胃袋で理解させられてしまったのだ。

「よろしい」

 アルリックはニヤリと笑い、冷酷な領主の顔で言い放った。

「じゃあ、兄さんには『エデン滞在費』として、借金証書にサインしてもらおうか。……一生、うちの農園の堆肥たいひ作り係として働いてもらうからね」

「た、堆肥だと……ッ!? ふざけるな! 私はクロムウェル公爵家の次期当主だぞ! そんな下賤な真似ができるか!」

 ヴィクトールは立ち上がり、最後のプライドを振り絞って吠えた。

「そう。じゃあ交渉決裂だね。帰っていいよ」

 アルリックが指を鳴らすと、背後の重厚な扉がガチャリと開き、マイナス10度の猛吹雪がヒュウゥゥウウウと吹き込んできた。

 一瞬にしてリビングの気温が下がり、ヴィクトールの頬を鋭い氷の粒が叩き据える。

「ヒッ……!?」

「さあ、誇り高き次期当主様。王都までの過酷な雪中行軍、頑張ってね。僕は温水床暖房の上で、食後のホットコーヒーでも飲むとするよ」

 外で吹き荒れる、死と隣り合わせの絶対零度の猛吹雪。

 振り返れば、湯気を立てる極上のビーフシチューと、半袖でくつろぐ両親の姿。

 ヴィクトールの頭の中で、プライドとQOLが激しく衝突し――。

「ま、待て! 閉めろ! 扉を閉めてくれぇぇッ!」

 ヴィクトールは床にすがりつき、アルリックの足に縋り付いた。

 QOLが、名門貴族のプライドを粉砕した瞬間だった。

「……た、堆肥作りは勘弁してくれ……! 私には、領地経営の知識がある! 計算も得意だ! だから、せめて屋根のある暖かい部屋で仕事をさせてくれ……!」

「……ふむ」

 アルリックは顎に手を当てた。

 兄をこのまま追い返せば、クロムウェル公爵領は冬を越せずに崩壊する。そうなれば、大量の難民がこの快適なエデンに押し寄せ、アルリックの安眠を脅かす「最大のノイズ」となるのは目に見えていた。

「なら、ちょうどいい。キース(実務官)が過労死寸前で泣いていたしね」

 アルリックはパチンと指を鳴らして扉を閉め、空間収納魔法から薄い板のような魔導具――『魔導タブレット』を取り出し、兄に突きつけた。

「じゃあ兄さんは今日から、エデン行政局の『エリアマネージャー』だ。……人間工学エルゴノミクスに基づいた最高級のオフィスチェアと、表計算ソフト入りの端末を支給してやる」

「こ、これは……?」

「クロムウェル公爵領は、今日からエデンの『フランチャイズ第2号』とする。兄さんはこの暖かい部屋から『テレワーク(遠隔統治)』で領地の指示を出せ。物資と暖房器具はこちらの物流網で手配してやるから、領民を一人残らず冬越しさせろ」

 ヴィクトールは目を丸くした。

 つまり、極寒の領地に帰ることなく、この天国のように暖かく美味い飯が出る部屋で、安全に領主としての仕事ができるというのだ。

「あ、ありがたき幸せぇぇ……ッ!」

 かくして、復讐に燃えていた長男は、圧倒的なQOLの前に屈服し、エデンの快適なオフィス環境から公爵領を救う「優秀なリモート領主(社畜)」へと見事にクラスチェンジを果たしたのだった。


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