第109話 東の国の神様と、浸透圧が導く黄金のいなり寿司
先代転生者から譲り受けた『全自動環境制御・防音スリープカプセル』。
無重力(ゼロG)マットレスと完璧な空調に包まれた極上の睡眠から目覚めたアルリックは、最高のコンディションでエデンの庭へと足を踏み出した。
しかし、そこで彼の目に飛び込んできたのは、見慣れぬ光景だった。
「……なんだあれは」
庭の一角に、色鮮やかな『朱色の鳥居』と、立派な木の祠が建てられていたのだ。
建築担当のドワーフ、ガリンの技術が遺憾なく発揮された見事な造りである。
そしてその祠の特等席には、アルリックの相棒である神獣ブランが鎮座し、誇らしげに胸を張っていた。
「おお……おキツネ様! 拙者たちの故郷、東の国ヤオヨロズで豊穣をもたらす神獣殿が、まさかエデンにおわすとは……!」
「御庭番衆の古文書にある通りだ……。白き毛並み、高貴なるお姿。これは極上の甘味をお供えせねば」
鳥居の前に平伏しているのは、東の国出身である侍のカエデと、忍者のジンだった。
二人は真剣な面持ちで、ブランに向かって何度も深く頭を下げている。
「キュッ!」
ブランは「神様」扱いされていることよりも、ジンの言う「甘味(供え物)」という単語に反応し、期待に満ちた鳴き声を上げた。
「(……オコジョなんだけどな。まあ、ブランの機嫌が良くなるなら放置でいいか)」
アルリックは心の中でツッコミを入れつつ、祠に近づいた。
「ジン、甘いお団子もいいが、稲荷神(仮)への供え物といえば、これだろう」
「アルリック殿! これ、とは?」
アルリックが空間収納魔法から取り出したのは、大豆から作られたふっくらとした『油揚げ』だった。
彼はそのまま庭に魔導コンロを展開し、手早く調理を始める。
まずは油揚げを熱湯にくぐらせて余分な油を落とし、半分に切って袋状に開く。
次に、鍋に鰹と昆布の濃厚な一番出汁を張り、醤油、みりん、そしてたっぷりの砂糖を加える。
そこに油揚げを並べ、落とし蓋をした。
「ここからが魔法の真骨頂だ。熱魔法(分子振動)と氷魔法(熱吸収)を交互に使い、鍋の中の温度を急激に上げ下げする」
「な、なぜそのような真似を……? 普通に煮込めばよいのではござらんか?」
「『浸透圧』を極限まで利用するためだよ。細胞壁は熱で膨張し、冷めるときに周囲の水分を猛烈に吸収する。急速冷却によって、細胞の隙間に甘じょっぱい煮汁を一気に、かつ限界まで吸い込ませるんだ」
ボコボコと沸き立つ鍋が、アルリックの指先一つで一瞬にして氷点下ギリギリまで冷まされ、再び沸騰する。
これを繰り返すこと数分。
鍋の中の油揚げは、煮汁をたっぷりと吸い込み、黄金色から深い琥珀色へとその姿を変えていた。
続いて、酢飯の準備だ。
炊きたての銀シャリに、合わせ酢と白ごま、そして細かく刻んだ柚子の皮を混ぜ込む。
アルリックは両手に魔力を集中させた。
「『エアリー・グリップ』」
米粒と米粒の間に微細な空気の層を作る魔法。これにより、口に入れた瞬間にハラリとほどける究極の酢飯の玉が完成する。
それを、琥珀色の油揚げの中にふんわりと詰め込めば――。
「完成だ。東の国のファストフードにして、豊穣の象徴。……『いなり寿司』だ」
ずっしりと重い、黄金の俵が皿の上に並べられた。
立ち昇る甘じょっぱい出汁の香りと、爽やかな柚子の香りに、ジンとカエデがゴクリと喉を鳴らす。
アルリックは一番出来の良い一つを、祠の上のブランに差し出した。
ブランが小さな口を開け、琥珀色の皮に噛みついた瞬間。
――ジュワァァァッ!!
油揚げから、限界まで閉じ込められていた極上の煮汁が滝のように溢れ出した。
噛みちぎった断面からは艶やかな銀シャリが顔を出し、空気の層を含んだふんわりとした食感が口の中で優しくほどけていく。
濃厚な甘辛さと、柚子の爽やかな酸味が絶妙なバランスで交わり、脂のコクが後を引く。
「キュウゥゥゥゥ……!」
あまりの美味さに、ブランは目を回して祠の上でバタリと倒れ込んだ(至福の昇天)。
「な、なんと見事な甘じょっぱさ! ただ甘いだけでなく、醤油と出汁の塩気が甘みを極限まで引き立てている……! これぞ神の食べ物!」
「おおお……美味いでござる……! 故郷の祭りより美味いでござる……!」
極度の甘党であるジンが感動に打ち震え、カエデが涙を流しながらいなり寿司を頬張っている。
「ふむ……」
アルリックも一つ口に放り込み、満足げに頷いた。
「(箸を使わずに片手でつまめるし、汁もこぼれない。……これは、スリープカプセルの中で寝転がりながら食べるのに最適な究極のファストフードじゃないか)」
彼はすぐさま残りのいなり寿司を山のように作り、すべて空間収納魔法へと放り込んだ。
「それじゃ、僕はもう一眠りするから。鳥居の掃除は任せたよ」
「ハッ! お任せくだされ!」
「キュッ!(もっと作れ!)」
神様を崇める東の国の二人を背に、アルリックは片手にいなり寿司を持ったまま、愛しのスリープカプセルへと足取り軽く戻っていくのだった。
かくしてエデンのQOLは、また一つ神の領域へと近づいたのである。




