第108話 先代の遺産と、発酵の極致たる琥珀のスープ
ガレリア帝国とのフランチャイズ契約から数日後。
平和と静寂を取り戻したエデン領の、地下深くに眠る古代遺跡。
かつて梅雨の時期に『カレーうどん』を食べた直後、アルリックたち一行が発見した最深部の祭壇。
そこには巨大な壁画が鎮座し、『ラーメン』『ピザ』『ハンバーガー』という異世界のジャンクフードが描かれていた。
そして祭壇の三つのくぼみには、先代転生者が遺した古代文字が刻まれている。
『三つの黒き雫(ソース、醤油、味噌)を捧げよ。さすれば、至高の安寧への扉が開かれん』
「……あの日ここを見つけてから、ずいぶん経ったな。醤油は北の湖で『かんすい』を見つけて家系ラーメンを作った時に完成した。ソースも、帝国に輸出している焼きそばパンでクリア済みだ。残る最後の一つを、今日ここに捧げる」
アルリックは祭壇の前に立ち、空間収納魔法から一つの「小さな樽」を取り出した。
「アルリックよ、それはなんだ? なんとも言えない、独特な香りがするが……」
「わたくしも初めて嗅ぐ匂いですわ。甘いような、しょっぱいような……」
同行していたレオナルドとエレノアが、樽から漏れる香りに鼻をヒクつかせる。アルリックの首に巻かれた神獣ブランも「キュッ!」と期待に目を輝かせていた。
「これは『味噌』だ。……茹でた大豆のタンパク質を、麹菌の持つ酵素によってアミノ酸へと分解・熟成させた、発酵調味料の極致だよ」
アルリックは樽の蓋を開けた。
中には、黄金色から琥珀色へと熟成された、ペースト状の味噌がぎっしりと詰まっていた。
「地下空間の温度と湿度を一定に保つ『恒温恒湿バリア』を展開して、雑菌の繁殖を完全に遮断。麹菌と酵母菌の活動のみを最適化して熟成させたんだ。……完璧な発酵状態だね」
「よし。ただ祭壇に捧げるだけじゃつまらない。この場で最後の『飯テロ』を行って、先代転生者の魂にも匂いを嗅がせてやろうじゃないか」
アルリックは祭壇の前に魔導コンロを展開し、手早く調理を始めた。
「壁画の先輩は『ラーメンやハンバーガーを作れ』と言っていた気がするが……生憎、今の僕は完全に『和』の気分なんだ。先輩の無念より、僕の現在のQOLを優先させてもらう」
熱した鉄鍋に、ごま油を引く。
そこに、薄切りの豚バラ肉、大根、ニンジン、ゴボウ、コンニャクを投入し、強火で一気に炒める。
――ジュワァァァァッ!!
豚肉の白い脂が熱で溶け出し、根菜の表面にテリヤキのような艶を与える。香ばしいごま油の香りが地下空間に反響した。
火が通ったところで、昆布と鰹の合わせ出汁をたっぷりと注ぎ込み、野菜がホロホロに柔らかくなるまで煮込む。
そして、仕上げだ。
火を止め、お玉に乗せた「琥珀色の味噌」を、菜箸で少しずつ熱い出汁に溶き入れていく。
フワァッ……。
「……っ!? なんだ、この途方もなく安らぐ匂いは……!」
レオナルドが目を見開いた。
味噌が熱い出汁に溶けた瞬間、大豆の芳醇な香りと、麹のほのかな甘みが爆発的に立ち昇ったのだ。それは、ガツンと殴ってくるソースや唐揚げの匂いとは違う、胃袋の底から優しく包み込んでくるような「母なる匂い」だった。
「さあ、食え。エデンの豊かな大地が育んだ根菜と、豚の脂、そして味噌の旨味が融合した奇跡の一杯。……『豚汁』だ」
木のお椀によそわれた、熱々の豚汁。汁の表面には、キラキラと豚の脂とごま油の黄金色の玉が浮いている。
さらにアルリックは、白米を三角に握り、表面に醤油と味噌を塗って炭火でカリッと焼いた『焼きおにぎり』を添えた。
「いただきますわ……! ズズッ」
エレノアがお椀に両手を添え、琥珀色のスープをすする。
「…………ぁっ」
聖女の口から、ほこぁっとした温かい吐息が漏れた。
豚の脂(動物性の旨味)と、鰹出汁(イノシン酸)、昆布(グルタミン酸)、そして味噌(アミノ酸)という、考えうる限りの旨味成分の相乗効果。
それが、ホクホクに煮崩れて甘みを増した大根やニンジンと共に、疲れた体を芯から温めていく。
「美味い……! なんだこれ、唐揚げやラーメンみたいな暴力的な味じゃないのに、五臓六腑にじわじわ染み渡るぜ……! この『焼きおにぎり』のサクッとした焦げ目の香ばしさと一緒に食うと、永遠に食えそうだ……!」
レオナルドも、あっという間に焼きおにぎりを平らげ、豚汁のおかわりを要求している。
ブランもアルリックの肩から身を乗り出し、小さな皿に入れられた豚汁を夢中でペロペロと舐めていた。
「ふぅ……。やっぱり、日本人の魂はこれだな。どんなに豪華な料理より、結局はこのセットが一番落ち着く」
アルリックは満足げに焼きおにぎりをかじり、熱いお茶をすすった。
その時だった。
祭壇の三つのくぼみに、アルリックが供えていた『ソース』『醤油』そして『味噌』の小皿が、突如として眩い光を放ち始めた。
『――条件達成。三つの調味料の再定義を確認。これより、最深部システムをアンロックします』
ゴゴゴゴゴッ……!
機械的な音声と共に、壁画が真っ二つに割れ、その奥から隠し部屋が現れた。
「……なんだ? 魔王の財宝か、それとも古代の大量破壊兵器か?」
「レオナルド、大剣を下ろせ。先代転生者(同類)がそんな面倒なものを残すはずがないだろ」
アルリックは一切警戒することなく、隠し部屋に足を踏み入れた。
部屋の中央に鎮座していたのは、剣でも魔法書でもなかった。
それは、真っ白で滑らかな流線型のフォルムを持つ、巨大な「カプセル」だった。
「これは……『全自動環境制御・防音スリープカプセル』……!?」
アルリックの青い瞳(解像度)が、その機能のすべてを一瞬で解析する。
外部の音を完全に遮断する絶対防音真空層。体圧を完全に分散して腰痛をゼロにする無重力(ゼロG)低反発素材。そして、常に最適な温度と湿度を保ち続ける究極の空調システム。
『後輩へ。美味い飯は食えたか? 腹が膨れたら、あとは最高の環境で寝るだけだ。この引きこもり専用カプセルを君に託す』
空中に浮かび上がった先代のホログラムメッセージを見て、アルリックは震える手でカプセルの表面を撫でた。
「……ありがとう、先代。先輩が求めていたメニューは作らなかったけど、君の『とにかく快適に怠けたい』という遺志は、僕が立派に引き継ぐよ」
かつて王太子をやり込め、帝国の皇帝を屈服させた時でも決して見せなかった、アルリックの今日一番の「最高の笑顔」。
それは、ついにこの異世界で「誰にも邪魔されない、究極の二度寝環境」を手に入れた、最強のQOL至上主義者の姿であった。




