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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第105話 防毒マスクの将軍と、国境の『出張・海王丸』

 ガレリア帝国とエデン領の国境地帯。

 猛吹雪の中、300騎の重装騎兵部隊が、地響きを立てて進軍していた。

 彼らは全員、分厚い革と金属でできた物々しい「防毒マスク」を装着しており、その異様な姿は、彼らがこれから挑む任務の過酷さを物語っていた。

「……総員、マスクのフィルターを確認しろ。『黄金の毒ガス』を少しでも吸い込めば、貴様らは理性を失った飢えた獣と化すぞ」

 先頭を進むガリウス将軍の声が、マスク越しにくぐもって響く。

 彼らは死を覚悟していた。エデンが開発した恐るべき生物兵器(ただのコンソメの匂い)により、一個大隊が全滅したのだ。これから突入するのは、文字通りの死地である。

「将軍閣下! 前方に、奇妙なものが……!」

 斥候の報告に、ガリウスが目を凝らす。

 国境線を越えたその瞬間、彼らの視界に信じがたい光景が広がった。

「……雪が、ない?」

 馬の足元から、泥と雪が綺麗さっぱり消え失せていたのだ。

 代わりに現れたのは、雪解け水を魔法のように吸い込む、平坦で硬い「漆黒の道(透水性アスファルト)」だった。

「馬鹿な。この豪雪地帯で、泥濘ぬかるみが一切ないだと……? これでは重装の補給馬車が、天候に関わらず全力で進軍できてしまうではないか!」

 ガリウスの背筋に冷たい汗が流れた。この道一つとっても、エデンの兵站ロジスティクス能力は帝国の数百年先を行っている。

 さらに彼らを驚愕させたのは、その完璧な舗装道路の真ん中にポツンと停まっていた「巨大な金属の箱」だった。

 馬は繋がれていない。箱からは「ブゥゥゥン」という低い駆動音が響いている。

「敵の自走式トーチカか!? ……総員、散開して包囲せよ! 毒ガス攻撃に備えろ!」

 ガリウスの号令で、騎兵たちが剣を抜いて巨大な箱を取り囲む。

 緊張がピークに達した、その時。

 パカッ。プシューッ。

 箱の側面が上に開き、中から暖かな光と、酢と醤油の入り混じった香ばしい匂いが漂ってきた。

『ヘイ、ラッシャイ! 出張・海王丸へようこそ!』

 箱の中からヌッと姿を現したのは、頭にねじり鉢巻を巻いた、体長5メートルを超える巨大な深海の魔物――『クラーケン・ロード』だった。

「なっ……魔王級の化け物!? エデンは魔獣まで手懐けているのか!」

「ひぃっ! 食われるぞ!」

 防毒マスクの下で、帝国兵たちが恐怖の悲鳴を上げる。

 しかし、クラーケン店長は10本の触手を器用にうねらせながら、深々と頭を下げた。

『食いやしませんよ。私はただの雇われ店長です。ここは、エデンの工場で働く元・帝国兵さんたちを労うための、移動式の賄い店舗でしてね。……おや、お仲間の方々でしたか。わざわざお越しいただいたなら、一貫握らせていただきましょう』

 クラーケンはそう言うと、背後の「冷気を放つ魔法の箱(冷蔵庫)」から、美しい白身魚のさくを取り出した。

「魔王級の魔獣が、料理人の真似事だと……? ふざけるな。我々を毒殺する罠に決まっている!」

『毒など無粋な。これはエデンが誇る調理技術の結晶です。西の海で水揚げされたヒラメ。脊髄を一瞬で破壊する「神経締め」により、旨味成分の減少を完全停止。さらに……』

 クラーケンの触手が、残像が見えるほどの速度でヒラメを薄造りにしていく。

『氷魔法の解像度を上げた「過冷却スーパークーリング」。水分子の結晶化を阻害し、氷点下でも細胞壁を壊さずに鮮度を保持したまま、この冷蔵車で国境まで運んできたのですよ』

「カレイキャク……? 何を言っている……?」

 ガリウスは防毒マスクの中で呆然とした。

 海から何日も離れたこの内陸の雪山で、海魚が「生」のまま保存されている。そんな兵站は、帝国の常識では神の御業に等しい。

『さあ、どうぞ。うちの領主様の好物……「炙りえんがわ」です』

 クラーケンが魔導バーナーを取り出し、切り身の表面を青い炎でサッと炙る。

 ジュワッ……!

 脂が溶け出し、暴力的なまでに香ばしい匂いが、ガリウスの防毒マスクのフィルターすら突き抜けて鼻腔を殴りつけた。

『シャリは、米粒の間に空気の層を作る魔法「エアリー・グリップ」で握っております。口の中でほどけますよ』

 笹の葉に乗せられ、スッと差し出された二貫の寿司。

 ガリウスは、これが罠だと分かっていた。だが、軍人としての理性を、極限まで高められた「匂い」と「技術力への好奇心」が凌駕してしまった。

「……将軍閣下! マスクを外してはなりません!」

 部下の制止を振り切り、ガリウスは震える手で防毒マスクを剥ぎ取った。そして寿司をつまみ、パクリと口に放り込む。

 ――瞬間。

「…………ッッ!!??」

 歴戦の猛将の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 過冷却で引き締められた身の弾力。炙られたことで活性化した、濃厚で甘い極上の脂。それが特製醤油と絡み合い、口に入れた瞬間にほどける人肌のシャリと共に、脳髄を痺れさせるような「美味」となって爆発したのだ。

(馬鹿な……。こんな、こんな神々の食べ物のような補給物資を……エデンの平民どもは、最前線で食っているというのか……!?)

 将軍の誇りも、帝国の軍事ドクトリンも、口の中でとろける「えんがわの脂」と共に完全に溶け落ちた。

「……閣下? 大丈夫ですか! おい、解毒ポーションを!」

 部下たちが慌てて駆け寄るが、ガリウスは剣を地面に取り落とし、クラーケン店長の前の雪の上に、力なくへたり込んだ。

「……負けだ」

「は?」

「こんなものを前線に供給できる国と、戦って勝てるわけがない……。私たちの兵站は、三百年遅れている……」

 ガリウス将軍は真顔のまま涙を流し、空になった笹の葉をクラーケンに突き出した。

「頼む……。もう一貫……いや、大トロというやつを握ってくれ。金なら払う。私の軍資金をすべて使ってもいい」

『毎度あり。……領主様の言う通り、美味しいご飯の前では、みんな平和になりますねぇ』

 こうして、エデンの「生物兵器」を討伐しに来たはずの帝国精鋭部隊300名は、武器と防毒マスクを捨て、国境の路上で「出張・回転寿司」の順番待ちの列を大人しく作るのであった。

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