第103話 亡命者の覚悟と、究極のまかない飯(唐揚げ弁当)
ガレリア帝国からの集団亡命者、約500名。
彼らは吹雪の国境を越え、エデン領の『食品加工・第三工場』へと到着していた。
「……皆の者、覚悟を決めろ。我々は祖国を捨てた裏切り者だ」
元・小隊長が、凍える部下たちに悲痛な声で呼びかける。
彼らが寝返ったのは、決して自分たちだけが『悪魔の粉』を舐めていい思いをするためではない。
国境で、エデンの手引きをしたスパイ(バイパー)から、こう持ちかけられたのだ。
『エデンの商業ギルドは、帝国の裏社会と繋がる流通網を持っている。エデンの工場で働けば、給料として金貨と食料を、お前たちの家族の元へ極秘のクール便で仕送りしてやることができるぞ』と。
「家族を飢えさせないためだ。どんな過酷な強制労働にも、鞭打ちにも耐え抜くぞ……!」
愛する妻や子供のために悪魔に魂を売った。そんな悲壮な決意と共に、彼らは巨大な工場の扉をくぐった。
――フワァッ。
「……なっ!?」
扉の向こう側に足を踏み入れた瞬間、500人の兵士たちは一斉に固まった。
外は氷点下の吹雪だというのに、工場内は春のように暖かく、澄んだ空気に満ちていたのだ。
「ようこそ、エデン第三工場へ。私が実務官のキースです。夜間シフトへの志願、大変助かりますよ」
優男のキースが、魔導タブレットを片手に微笑みかけてきた。
兵士たちは周囲を見渡す。鞭を持った看守はいない。床は塵一つなく磨き上げられ、天井からは真昼のような光が降り注いでいる。
「な、なんだこの異常な空間は……! 火も焚いていないのに、なぜこんなに暖かい!」
「アルリック様が設計された『魔導ヒートポンプ(熱交換器)』による空調設備です。室温は常に、人間が最も快適に働ける22度に設定されていますからね」
キースは当然のように言い放つ。
「さて、まずは皆さんに『温水シャワー』を浴びて、除菌・殺菌を済ませていただきます。その後、こちらの防塵服に着替えてラインに入ってください。労働時間はきっちり8時間、残業はありません」
「シャワー……? 温かいお湯を、俺たち捕虜が浴びていいのか……?」
「捕虜? いえ、皆さんは大切な『従業員』ですよ。さあ、風邪を引く前にどうぞ」
***
数時間後。
温かいお湯で長年の垢と凍傷の痛みを洗い流し、清潔で柔らかな防塵服に身を包んだ元・帝国兵たちは、ベルトコンベアの前に並んでいた。
作業は、例の『悪魔の粉』を小袋に詰めて封をするだけ。
重い石を運ぶわけでも、命がけで剣を振るうわけでもない。ただただ、室温22度の快適な環境で、良い匂いに包まれながらの単純作業である。
(……狂っている。こんなものが労働だというのか。我が帝国の宮殿より快適ではないか……)
元・小隊長は震える手で粉を詰めながら、この国の異常な豊かさに改めて底知れぬ恐怖を抱いていた。
――ピロロロロッ。
その時、工場内に軽快なチャイムが鳴り響いた。
「はい、前半のシフト終了です! 皆さん、食堂へ移動してください。『まかない(食事)』の時間ですよ」
キースの声に、兵士たちの肩がビクッと跳ねた。
ついに来た。いくら環境が良くても、食事は奴隷用の残飯か、泥水のようなスープに違いない。
食堂のテーブルについた彼らの前に配られたのは、黒い漆塗りの『箱』と、ガラスのコップだった。
「これは……『魔法の箱』か?」
「ええ。熱を外に逃がさない『断熱真空層』の魔法が付与された、アルリック様特製の『保温弁当箱』です。開けてみてください」
元・小隊長が、ゴクリと唾を飲み込み、そっと箱の蓋を開ける。
パカッ。
「…………ッッ!!」
立ち昇る湯気。そして、暴力的なまでに香ばしい油とニンニクの匂い。
箱の中に敷き詰められていたのは、雪のように白く輝く『銀シャリ(白米)』。
そしてその上には、大人の拳ほどもある巨大な茶色い肉の塊が、ゴロゴロと鎮座していた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ。エデンの騎士団長レオナルドも愛してやまない、労働者のための究極のエネルギー食……『唐揚げ弁当』です」
元・小隊長は、震える箸(見よう見まねで持った)で、その唐揚げを一つ掴み、口へと運んだ。
――サクッ。
「!?!?!?」
衣が砕ける軽快な音と共に、閉じ込められていた熱々の肉汁が、爆発的に口の中へ溢れ出した。
(な、なんだこの食感は!? 外側は石のように硬いのかと思えば、驚くほどサクサクで……中から、信じられないほど柔らかい鶏肉の旨味が……!)
「二度揚げ(ダブル・フライ)の解像度です。低温でじっくり火を通し、最後に高温で表面の水分を飛ばしてメイラード反応を極大化させる。……アルリック様が『疲れた時は脂とニンニクを食え』と考案されたものです」
元・小隊長は無我夢中で白米を掻き込んだ。
濃い味付けの唐揚げの脂を、甘みのある白米が完璧に受け止める。美味い。美味すぎる。帝国の皇帝ですら、こんな熱々で肉汁溢れる料理は食べたことがないはずだ。
「喉が渇いたでしょう? そのコップの飲み物もどうぞ。氷魔法で限界まで冷やした『麦茶』です」
言われるがまま、ガラスのコップを煽る。
――ゴクッ、ゴクッ!
「プハァァァァッ!!」
焙煎された大麦の香ばしさと、突き抜けるような冷たさ。それが、唐揚げの脂で満たされた胃袋をスッキリと洗い流し、一瞬で「もう一個唐揚げが食える」状態へとリセットしてしまう。
「う、うおおおおおおっ! 美味い、美味すぎる!」
周りを見ると、500人の屈強な帝国兵たちが、全員ボロボロと大粒の涙を流しながら、子供のように弁当箱を掻き込んでいた。
「隊長……俺、ドン・カルロ殿の裏ルートを使って、初任給で帝都の娘にこの『白米』と、さっき袋詰めした『悪魔の粉』を送ってやります……!」
「キース殿が『お湯を注ぐだけのカップ麺という保存食もある』と言っていたぞ! それなら帝国の冷え切った家でも食えるはずだ!」
「ああそうだ……! 俺たちは家族を飢えさせないために、この悪魔のように快適な国に魂を売ったんだ……!」
彼らは「自分たちは家族のための尊い犠牲になっている」と真顔で思い込みながら、無限の唐揚げループを満喫し、エデンの忠実な工場労働者へと生まれ変わったのである。
***
同じ頃。エデン領主館の寝室。
「……ふぁ。キースから報告が来た。帝国の脱走兵500人が、夜勤シフトに定着してくれたみたいだね」
アルリックは、最高級の低反発マットレスに沈み込みながら、首に巻いたブランの頭を撫でた。
「あのう、アルリック様。彼らから『帝都に残してきた家族に仕送りをしたい』という要望が出ているのですが……ドン・カルロの流通網を使えば可能ですが、どうしますか?」
魔導タブレット越しに尋ねてくるキースに対し、アルリックは面倒くさそうに答えた。
「許可するよ。……家族を心配して労働効率が落ちたり、ホームシックで夜泣きされたりしたら、うるさくて僕の安眠の妨げになる。クール便で食料を送ってさっさと黙らせておけ」
「……相変わらず、動機が不純なのに結果だけは最高に慈悲深いですね」
キースの呆れたような声を切り、最強の引きこもり領主は満足げに目を閉じた。
自分が静かに二度寝するためだけに整備された完璧な福利厚生が、敵国の兵士とその家族を丸ごと救済していることなど、彼にとっては知ったことではなかった。




