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魔法の解像度を上げたら、世界が快適になりすぎた  作者: 茗子


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第102話 最前線の凍える夜と、悪魔の粉の真実

 ガレリア帝国、最前線基地。

 凍てつくような吹雪の中、帝国の歩兵たちは身を寄せ合い、焚き火にかざした石のように硬い黒パンを削り取って、虚無の顔で咀嚼していた。

「……今日で何人、凍傷で指を落とした?」

「五人だ。支給されるスープは雪水を沸かして塩を入れただけ。カロリーが足りなすぎる。俺たちは戦う前に、寒さと飢えで死ぬぞ」

 世界最大の軍事国家である帝国だが、末端の兵士たちの現実は悲惨だった。国境を越えれば「豊かなエデン領」があるという噂は聞いていたが、彼らにはただの御伽噺にしか思えなかった。

 そこへ、王都からの慰問品を積んだ馬車が到着する。

 乗っていたのは、帝国の情報部員であるバイパーとコブラの二人組だ。

「最前線の諸君、ご苦労。ささやかだが、温かいものを差し入れよう」

 彼らはすでにエデンの「焼きそばパン」に胃袋を支配された二重スパイだったが、表向きは優秀な帝国将校の顔を崩さない。

 バイパーは兵士たちの粗末な鍋に、持ち込んだ干し肉と乾燥ジャガイモを投げ込み、雪水を沸かした。そして最後に、小袋に入った「黄金の粉」を振り入れる。

 エデン第三工場で量産された『特製コンソメシーズニング』――領民たちが同情から密輸した、悪魔の粉である。

 フワッ……。

 雪と泥の匂いしかしない最前線の野営地に、牛肉と野菜をじっくり煮込んだような、暴力的に濃厚な香りが漂い始めた。

「な……なんだ、この匂いは」

 死んだ魚のような目をしていた兵士たちが、一斉に顔を上げる。

 小隊長が震える手で木杓子を受け取り、黄金色に澄んだそのスープを一口飲んだ。

 ――ズンッ。

 小隊長の言葉が失われた。

 大げさな悲鳴はない。ただ、真空凍結乾燥で抽出された極限の旨味(グルタミン酸とイノシン酸)と塩分が、極寒で干からびていた細胞の隅々にまで浸透していく。

 全身の粟が立ち、凍えていた胃袋が嘘のように熱を持ち始めた。

「……隊長。美味いですか?」

「……飲め。お前らも、早く飲め」

 小隊長は涙を流して騒ぐようなことはしなかった。ただ、呆然とした真顔のまま、ひたすらにスープを喉へ流し込んでいた。

 他の兵士たちも次々とスープを口にし、深い、深いため息をつく。

 塩味しか知らなかった彼らの味覚に、現代科学の結晶である「旨味」が、静かに、しかし決定的に刻み込まれた瞬間だった。

「バイパー殿……これは、一体どんな高級食材を……? 王都の将軍閣下たちが食べるような代物ですか?」

 小隊長が尋ねると、バイパーは焚き火に当たりながら、わざとらしく肩をすくめた。

「いや? これはエデン領の工場で、平民たちが余り物で作った『スナック菓子の粉』だそうだ。向こうでは、ただのジャガイモにこれを振りかけて、暖炉の前でおやつとして食っているらしい」

「…………は?」

 兵士たちの動きがピタリと止まった。

「……平民の、おやつ……?」

「ああ。エデンでは蛇口をひねれば熱い湯が出て、フカフカの寝床があるそうだ。この粉も、領民が『塩しか舐めてない帝国の連中が可哀想だから』と、タダで恵んでくれたものだ」

 吹雪の音だけが響く野営地に、重苦しい沈黙が降りた。

 自分たちは、凍傷で指を失いながら、泥水をすすって国境を守っている。

 だが、その向こう側では、名もなき平民が自分たちの「一生味わえないような美食」を、ただのおやつとして消費し、暖かい部屋で眠っている。

 忠誠心や愛国心といったものが、彼らの心の中で静かに、そして完全に冷え切って崩れ去る音がした。

「……馬鹿らしい」

 小隊長がぽつりと呟き、腰に帯びていた帝国の支給剣を、雪の中に無造作に放り投げた。

「隊長……?」

「俺はもう、こんな国のために凍え死ぬのはご免だ。……エデンの工場で働けば、これが毎日食えるんだろう?」

 他の兵士たちも、顔を見合わせた。そこに迷いはなかった。

 彼らは次々と武器や防具を雪原に捨て、身軽な格好になる。

「……夜陰に乗じて、国境を越える。目指すはエデンの食品工場だ。行くぞ」

「はっ」

 こうして、大げさな反乱もクーデターも起きることなく。

 ただ「あまりにも理不尽な生活水準の差」に絶望した帝国兵たちは、文字通り真顔のまま、静かに集団脱走を開始したのである。

        ***

 翌朝、エデン領主館。

「……領主様。昨晩から今朝にかけて、帝国の最前線から約500名の歩兵が国境の検問所に現れ、静かに武装を解除しました。『どんな重労働でもいいから工場で雇ってくれ』と懇願しています」

 実務官のキースが、魔導タブレットを操作しながら淡々と報告する。

 ベッドの中でブランを抱きしめていたアルリックは、面倒くさそうに寝返りを打った。

「ふぁ……不快な騒ぎを起こさないなら別にいいよ。第三工場の夜勤ラインが人手不足だったろ? 適当にコンソメスープでも飲ませて、シフトに組み込んどいて」

 アルリックの安眠と胃袋への執着が生み出した『悪魔の粉』は、一滴の血も流さず、怒号一つ上げさせることなく、帝国最前線の防衛網に巨大な穴を開けたのだった。

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