第101話 胃もたれの朝と魔女の定住、そして悪魔の粉
特大打ち上げ花火の熱狂から一夜明けた、エデン領主館。
アルリックは、鼓膜を揺らす不快な重低音で目を覚ました。
「……うるさい。せっかくの二度寝のチャンスだったのに」
首に皇帝オコジョのブランを巻きつけ、不機嫌な足取りでリビングに向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
「ドガァァァン!」「ピロロロロッ!」
大画面の魔導プロジェクターから流れる、ド派手なアクション映画。
その特等席である最新型のサスペンション付きソファで、二人の魔女が完全にダメになっていた。
「ふふふ。何度見てもこの爆破シーンは最高だねぇ。ほらルルナ、ポテトばかり食べてないでこの『あさりのクラムチャウダー』も飲みな。腰痛に効く椅子と、濃厚な貝の出汁……極楽だよ」
「お師匠様、静かにして。映画の邪魔。……サクッ。アルリック様が作ったこの『沈黙の黄金ポテト』、二度揚げの厚切りだから中は飲み物みたいにトロトロで、咀嚼音が出ない『サイレント・ラグジュアリー』なんだから……」
オーロラの魔女ルルナは、ポテトに特製トリュフマヨネーズをたっぷりとつけ、幸せそうに頬張ってはコーラで流し込んでいる。
かつては空の最強格と恐れられた魔女の師弟だが、アルリックの持ち込んだ「ホームシアター」と「ジャンクフード」、そして「腰痛特効の椅子」の前にあっけなく陥落。今ではすっかりエデンの自堕落な定住者となっていた。
「……君たちね。飛行車の重力制御の仕事がないからって、朝から重低音で映画を観るのはやめてくれないか。安眠の妨げ(ノイズ)だ」
アルリックがため息をつきながら文句を言うと、さらに別のうめき声が聞こえてきた。
「うぅ……胃が重いぜ……アルリック、助けてくれ……」
「わたくしも……昨日の屋台グルメを食べ過ぎて、お腹が……」
ダイニングテーブルに突っ伏していたのは、昨晩暴飲暴食したレオナルドとエレノアだった。
「自己管理がなっていないな。……まあいい。胃が疲れている朝こそ、中途半端なお粥じゃなく、ガツンと塩分と脂質を補給して強制的に目を覚まさせる荒療治が必要だ」
「脂質!? これ以上油を入れたら吐き――」
レオナルドの悲鳴を無視し、アルリックは厨房へ向かった。
用意したのは、大量の豚骨と鶏ガラ、そしてついにエデン第三工場で量産に成功した「特製醤油」だ。麺は北の氷河で手に入れた天然かんすいを練り込んだ極太麺。
(解像度を上げろ。……熱量を極大化し、水の沸点を維持。豚骨から溶け出したゼラチン質を『界面活性剤』として機能させ、本来混ざり合わない水と豚脂を強制的に結合。スープの完全なる『乳化』を完了させろ)
ズドォォォォンッ!!
魔導コンロから、青白い完全燃焼の炎が吹き上がる。
強火でガンガンと煮込まれた骨からは骨髄の旨味が抽出され、スープは黄金色に濁った「乳化スープ」へと姿を変えた。
そこへ、キリッとした醤油ダレと、黄金の鶏油をたっぷりと注ぐ。
茹で上げた極太麺を入れ、温室育ちのほうれん草、海苔三枚、そして炭火で炙った豚バラチャーシューを乗せる。
「さあ、食え。先代転生者が地下の壁画に残した幻の料理。……『家系ラーメン』だ」
ドンッとテーブルに置かれた丼からは、焦がし醤油の香ばしさと、獣の暴力的な脂の匂いが立ち昇った。
「うっ……こんな朝から、こんな重そうな……」
エレノアは躊躇いながらも、スープの表面に浮かぶ黄金の油膜に目を奪われた。蓮華ですくい、恐る恐る口に運ぶ。
――ズズッ。
「…………っ!!??」
エレノアの瞳孔が開いた。
豚骨の重厚な旨味と、醤油の鋭い塩気。それが鶏油のまろやかさによって口の中で一つにまとまり、疲れた胃袋を「治癒」ではなく「力技でねじ伏せる」ような圧倒的な熱量が全身を駆け巡ったのだ。
「な、なんですかこれ! 濃厚なのに、ほうれん草のサッパリ感と合わさって、箸が……箸が止まりませんわ!」
ズズズッ! ズルルルッ!
聖女の品格などかなぐり捨て、エレノアは極太の麺を豪快に啜り始めた。
噛みちぎるたびに、かんすい特有の小麦の香りとモチモチの弾力が歯を押し返し、スープの旨味がジュワッと溢れ出す。
「おいおい、聖女様がすごい音立てて……俺も一口。……ズルッ。……ッ!! うおおおおおっ! ニンニク! これにニンニクを入れたいぜアルリック!!」
「ほう。どれ、私も……。ズルッ。おおおっ! この暴力的なカロリー、魔力がモリモリ回復するよ!」
「お師匠様、私の分も残して……ズズッ! んーっ、美味しい!」
胃もたれで死にかけていた者たちも、映画を見ていた魔女たちも、全員がわずか五分で丼を空にし、「スープに浸した海苔で白米を巻いて食わせろ」と暴れ始めた。
「……ふぅ。これで朝食の要求も片付いたし、映画も止まった。僕はゆっくり朝寝坊させてもらうよ」
アルリックは満足げに頷き、静かになった自室のベッドへと戻っていった。
***
同じ頃。エデン領、食品加工・第三工場。
実務官キースは、魔導タブレットを叩きながら、ベルトコンベアを流れる「ある物」を検品していた。
「領主様が考案された『特製コンソメシーズニング』……通称、悪魔の粉。野菜と肉の煮汁から水分を抜き、旨味成分であるグルタミン酸とイノシン酸を抽出・結晶化させたものですが……ついに量産ラインが整いましたね」
「フフフ。素晴らしい」
隣で視察をしていた商業ギルド長のドン・カルロが、醜悪な笑みを浮かべる。
工場のラインでは、清潔な制服を着た領民たちが、黄金色に輝くその粉末を小袋に詰めていた。
「……なぁ。これ、本当に帝国の人たちに送っていいのか? 衝撃で気絶するんじゃないか?」
袋詰めをしていた元・難民の領民が、隣の同僚に囁いた。
「仕方ないだろ。あいつら、いまだに『塩を振っただけの硬い肉』がご馳走だと思ってるんだ。俺たちみたいに、朝から魔法の蛇口でお湯が出て、フカフカのパンを食える生活を知らないんだよ。エデン領民として、見捨てておくのは寝覚めが悪い」
「だよなぁ。俺の帝国の親戚にも、この粉を分けてやりたいぜ。ただの茹でたイモに振りかけるだけで、王侯貴族の料理より美味くなるんだからな」
彼らは「エデンの豊かな生活」を誇るあまり、純粋な同情心から、帝国の最前線へ送る荷物に、おまけとしてこの粉を勝手に詰め込み始めていた。
キースがそれを咎めようとしたが、カルロが扇子で制した。
「おやめなさい、キース殿。領民たちの『慈悲』ではありませんか」
「しかし、カルロ殿。あんな劇薬を帝国の兵士が口にすれば……」
「ええ。彼らの貧相な味覚は完全に破壊され、二度とエデンの配給なしでは生きられない体になるでしょう。……これこそが、アルリック様の目論む『胃袋からの侵略』。帝国の崩壊は、剣ではなく、この一袋の粉から始まるのです」
カルロの笑い声が、工場内に不気味に響き渡った。
アルリックが自らの安眠と胃袋を満たすために作った至高のラーメンと、究極の調味料。
それが今、世界最大の軍事国家であるガレリア帝国を、内側から溶かし始めようとしていた。




