分からない理由
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
佐賀平野を抜ける道は、思ったよりも静かだった。
観光地として名前を聞く場所のはずなのに、視界に入る景色はどこか控えめで、風の音ばかりが耳に残る。
哲人は歩調を落とした。
理由ははっきりしない。ただ、足が自然と止まった。
舗装から外れた小道の先に、説明板も案内も見当たらない一角に祠はあった。遺跡の一部なのか、それとも単に残された空白なのか、区別がつかない。人の気配はなく、観光客の声も届かない。音が一段、遠のいたような感覚だけがあった。
空気が、少しだけ違う。
冷たいわけでも、重いわけでもない。ただ、胸の奥に薄い膜が張ったような違和感が残る。
――ここ、前にも来たことがあるだろうか。
そう思った瞬間、その考えは霧のように散った。記憶を辿ろうとしても、像が結ばれない。風景も、時間も、人の姿も浮かばない。何かを思い出しかけている感覚だけが、指先に残る。
名前も、声も、顔もない。
それどころか、それが「誰か」だったのかどうかさえ、分からない。
哲人は無意識に息を整えた。
何かをすべきだ、という衝動は起きなかった。手を合わせる理由も、言葉を探す必要も感じない。ただ、ここで立ち止まっていること自体が、正しいような、間違っているような、曖昧な感覚が続く。
長くも短くもない時間が過ぎた。
何も起きない。風景は変わらず、空は静かで、足元の土もただそこにあるだけだ。
――もういい。
そう判断したのが、自分の意思だったのかどうかも分からないまま、哲人は踵を返した。振り返ることはしなかった。振り返れば、何かが変わってしまう気がしたからだ。
元の道に戻ると、遠くで車の走る音が聞こえた。世界は問題なく動いている。遺跡も、空も、時間も、すべてが日常の延長に収まっている。
それでも、胸の奥には小さな引っかかりが残った。
何かを置いてきたような気がする。だが、それが何だったのか、確かめる術はない。
哲人は歩き出し、途中で一度だけ空を見上げた。
理由は分からない。ただ、そうした方がいい気がした。
空は青く、雲は流れている。
それ以上の意味は、見つからなかった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




